インド巡礼記:ブッダの悟り~普遍の真理(ダルマ)~ 第18話

インド巡礼記:真理を求めて インドに、インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい、こう思ったのも、家庭を築き、仕事に精を出し、人生も順調に歩んでる時、ふと心の中に、「これで良いのかな?何か大事な事を忘れていないかな?成る程と腑に落ちる様な真理を理解できてるのかな?」このように、ふとした疑問がどんどん膨らんできたからです。インド巡礼は、真理を求める巡礼の旅になるはずです。 【その18】

インド巡礼記

妻と子供を捨てて、永遠の真理を求めて、ブッダは修行の旅に出ました。

有名な仙人のもとで修行をおさめたり、自分の体を傷つけて悟りを開く修行をしてみたものの、ブッダには、まだ納得のいく悟りが得られませんでした。

ニレンゼン河のほとりで6年間の苦行に入り、死の近くまでいき、ひたすら真理の道を追い求めました。

何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?

–世間は常に燃えたっているのに–。

汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?(ダンマハダ 146)

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ブッダの暮らしていた時代は、親がしていたことを子供がまた同じように行い、これが幾世代にも同じように繰り返されました。

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そこには、人の世に在る、生まれること、病に臥せること、年をとっていくこと、そしていつか死んでいくことが、絶えず繰り返されています。つまり、思うようにならないことから生ずる苦しみです。

それは、今のこの21世紀の時代でも続いていることです。この当たり前のように思える人間の運命に対して、ブッダは疑問を投げかけて、真理を求めて行きました。

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人里を離れ野山にこもり、前正覚山で6年間の苦行を終えたゴータマブッダは、身体は痩せ、細り肉は消え、骨は皮膚を通してその姿が外からわかるほど骨と皮の痩せ衰えた姿になりました。

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これだけの苦しい修行を通しても、自分の求める覚りが得られない。

いつか若い時代に心の迷いの中でもほんの一瞬でも心の平安を感じたことがあるのに、これまでの6年間の修行では覚りを得ることは出来なかった。

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歩くのもやっとと思えるほどの衰弱の中で、人生の苦悩を解く道は、苦行で求められないことを悟り、ついに苦行を捨てました。

ブッダはニレンゼン河の水に浸かり、苔のように体についた垢を河の水で洗い流しました。

これまでに感じられない、すがやかな気持ちになりおぼつかない足取りであっても砂を一歩一歩踏みしめ、ニレンゼン河を離れ近くの菩提樹の木の下で瞑想に入っていった。

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この近くに住むスジャータは、幸せな結婚と母としての健やかな子供の成長を祈念して、乳粥を神に捧げようと、菩提樹の木の側に来てみました。

すると、これまで見たこともない光り輝くブッダの姿を見て、持っていた乳粥をブッダに供養として捧げた。

これまで食を断ち苦行に専心していたブッダには、何年間も口にしたことのない食事である乳粥はブッダの口から体へとその栄養が隅々にまで広がり、ブッダの心と身体に新しい息吹のような熱い心を起こさせた。

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禅定に入ったブッダに、悪魔はその覚りへの道を邪魔をするように、幻想を持って語りかけた。

あなたは痩せていて顔色も悪い。あなたの死が近づいている。命あってこそ善行なすこともできる。苦行に努め励んだところで何になる。

もう止めて生きなさい、このままでは死んでしまう、と苦行を止めさせようとしました。

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また、美しい3人の女性が私を誘惑しようとする。媚態をつくり、唄ったり踊ったり、全裸に近い姿で私の情欲を煽動した。

ブッダはこのように考えた。

どんな美しく魅力的な外形を備えたところで、女の体の中には糞尿がつまっている。そんなものに触れたいと思うだろうか。

このように脅したり、誘惑をしてなんとかブッタの覚りを妨げうようとしました。

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これまで多くの人が生まれて、悩み苦しみ、そして死んで行く。この世の中は苦しみが絶えることはない。

どうしてこの苦しみが始まり、どうすれば苦しみを止滅さすことができるのだろうか。

ブッタを誘惑する悪魔の正体は何だろうか。

私はこの覚りを得るまではこの禅定を止め、この場所から生きて去ることがないだろう、と固い意志で悪魔の誘惑と妨害にも苦行を止めることなく禅定を続けていました。

そして、12月8日の明けの明星をブッダはふと目を上げて見た時に、これまでに求めていた覚りへの道が開けた。これこそすべての人にとって普遍の真理(ダルマ)であった。



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