こちらのページには、松葉姓の方からの情報をお待ちしております。

下記のコメント欄に、情報をご提供ください。

個人情報について

頂いた情報は、松葉姓の研究のみに使用し、ウェブページで公開する際は、ご提供者の確認と許可を得て公開します。

松葉氏のルーツ、松葉氏の家祖 松葉姓の人口比 松葉さんは日本の人口で1万人に一人の割合です。

松葉氏のルーツ、松葉氏の家祖

松葉さんの名前がついているひとは、日本の人口比では、1万人に一人の割合だそうです。

平成30年4月1日現在(概算値)では 日本の総人口は1億2653万人です。

これに対して、松葉さんは12600人です。

見事に日本の人口に対して、一万分の一の比率になっています。

比率は少なくても、全国には12,600人もの沢山の松葉さんがいます。

松葉氏の名前の由来  

歴史資料、郷土史、個別資料との検証

歴史資料については、参考文献として

「東鑑」「尊卑文脈」「系図纂要」「大日本古文書・家わけ十四」「平賀氏系譜」

などがあげられます。

一族

郷土史としては広島県の「賀茂郡史-中世武士編-(飯田米秋著)」があります。

前方後円墳 を松葉家記念モニュメントとして造りました。

松葉家を顕彰する前方後円墳を作ろうと思い立って、東広島に作りました。

各地の前方後円墳を見て回り20年の長きに渡る構想を考え、設計士に依頼して図面を書いていた

だき、工務店にお願いして工事に取り掛かりました。

日本古来の前方後円墳に沖縄の墳墓を取り入れた構造になりました。

工事の概要から完成までの工程を紹介しています。

松葉家顕彰モニュメント 前方後円墳

前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメントの由来
松葉の祖先 家祖について

 

「前方後円墳の構想」 第1話
「前方後円墳の設計・整地」 第2話
「前方後円墳の墨だしから配筋、コンクリート打ちまで」 第3話
「前方後円墳の防水と埋戻し工事」 第4話
「前方後円墳の外装石材工事」 第5話

松葉氏の家祖

 
「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見ても 梅のから花」

「松葉家の歴史 安芸の松葉氏 藤原姓松葉氏の素」
系図集の原典である「尊卑分脈」によると、松葉氏は藤原氏の太祖、大織冠藤原

鎌足より始まる。

淡海公不比等、参議房前、大納言眞楯、内大臣内麿、左大臣冬嗣、太政大臣良

房、利世、中納言共良、内蔵頭良春、遠江守、備中守共資、共保、共宗を経て、

松 葉氏の家祖、資宗となる。

資宗は、松葉遠江次郎と称していた。

「東鑑(あずまかがみ)」に松葉次郎について、尾張国の御家人にて、文永2年

(1265年)97才にて没する。

父の 宗益(松葉入道と称する)と共に源氏に属して軍功あり、出羽の平鹿郡、安

芸の高屋保などに所領を有するという記述があり、

この松葉次郎が資宗と見られ、松 葉氏の家祖と見られている。

平賀氏の開祖、松葉資宗が壇ノ浦で平家の赤旗を射切り、

その功績で文永元年(1185)後鳥羽院より、

御歌「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見 ても 梅のから花」を賜った(写真 左)。

この時から唐家紋が平賀氏の家紋となった(写真 中央)。  

資宗の子息は出羽に転じて平鹿郡の地頭となり、その後安芸に移り、

「平鹿」が「平賀氏」と称することになった。

この平賀氏から松葉氏が生ずる事となった (写真右の系図)。

 
 
松葉氏(全国松葉マップ)

全国の松葉姓の方からのご連絡をお待ちいたしています。

よろしくお願い申し上げます。

ご連絡はメールにてお願いします…松葉博雄

 

松葉掲示板は全国の松葉さんの掲示板です

松葉掲示板にお便りをいただいた『松葉さん』の居住地を地図に表示しました。

松葉さんで地図が埋まるよう、みなさん、お便りください。

 

松葉が繁る樹齢250年以上と推定される、国の天然記念物に指定されている久米島のリュウキュウマツです。

松葉の高さが6m、幹の周りが4.3m、枝が地面をおおう面積は250㎡にも及びます。

松葉は外見から見ると多くの枝が集まり、葉は「松葉」です。松葉だらけですがその根は一つです。

松葉姓はもともとこの「五枝の松」のようにどこかで繋がっているのではないでしょうか。

松葉敏幸さんより 岩手県宮古市:

平家に落ち武者とか 義経の落し子とか、定かではありませんが・・・

非常に攻撃的な遺伝子が、いまでも岩手県宮古市(旧川井村)に現存実在していますよ。

松葉剛さんより 茨城県土浦市:

関東における、土浦市の松葉氏は今(2004年)より九代前の祖先が医学を学び、

土浦郊外の手野という村から土浦の城下に出て開業したという。

松葉氏に は三人の男子がいて手野、土浦、石岡、君津に分かれその子孫は医師が多く、

関東での松葉姓の医師は何らかの姻戚関係が窺い知れる。

千葉の君津で現在皮膚科を開業している松葉氏とは、五代前に枝分かれしていることが相互に確認された。

松葉豪さんより

岐阜県にはいくつか松葉の苗字の多い地域があります。旧上宝村、旧神岡町、旧宮川村、

旧丹生川村、旧根尾村などです。

いずれも山の中の谷の奥という共通点があります。

したがって、我が家ではこのあたりの松葉氏は平家の落人ではないかと考えています。

今の市区町村でいくと高山市、飛騨市、本巣市になります。

いずれにしろ市街地ではなく谷筋の奥の方もしくは山の中にあります。

平家説は単なる伝承です。

ただ岐阜あたりでは山の中の集落(それも相当)は平家の落人が多いとのことです。

松葉剛氏から情報を頂きましたので報告させていただきます

松葉氏の関東での一脈が少しながら分かりました。

松葉剛家の家系については、登(陸軍軍医)、栄(海軍軍医)、

健(慈恵医大整形外科客員教授)、聡と続き、

松葉剛氏は栄氏の次男、泰(航空自衛隊主席医務官)の長男ということです。

松葉剛氏には翼、光の二児がいます。

併せて、文教大学短期大学部ライフデザイン学科に松葉氏が2003年に在籍し、

卒業論文に「松葉姓の歴史や分布についての研究」を進めていたという情報をいただきました。

ぜひこの松葉氏からも松葉研究会宛に論文の詳細をお知らせ頂きたくお願いします。

吉井(旧姓:松葉)美和さんより

上海在住:

現在、中国の上海に住んでいますが、一時帰国した際に、父と松葉家のルーツの話になりました。
父の話によると、岐阜の根尾村に親戚がいるそうです。

源氏との戦いに敗れた平家の末裔だとの話を冗談半分に聞いておりました。

松葉茂治さんより

三重県度会郡南伊勢町:

三重県度会郡南伊勢町(旧南島町)東宮出身です。

この集落には10戸ほどの松葉姓がございます。

伊勢市から南に車で約50分ほどの熊野灘に面した風光明媚な所です。

江戸時代に東回り航路、淀川の改修等を行った河村瑞賢の生誕地です。

私は現在、地方公務員で獣医師です。松葉姓の研究に期待しております。

なお、三重県いなべ市北勢町にも松葉姓がございます。

松葉信行さんより

大阪市八尾市:

大阪府八尾市出身八尾市在住で、実家ともう一軒親戚が近くにあります。

父から以前に聞いた話では長野の方のお寺の僧兵がルーツと聞きました。

父の話は全くあてにならないので研究の邪魔になるかと思いますが、一応載せておきます。

それより娘のクラスにもう一人松葉君がいます。

親戚でもないのに同じクラスに”松葉”が2人いることがすごいことだと思うのですが。

松葉貴昭さんより

大阪市泉佐野市:

なんとなく検索していたら辿り着きました

自分と同じ苗字のかたが珍しくてつい・・・。

私は神奈川に住んでいますが地元は大阪の泉佐野です(^^)

七子さんより

関西在住:

私自身は松葉姓でないのですが、父方祖母の実家が松葉でした。
広島県芦品郡です。

「安芸の松葉氏」に繋がるかどうかはわかりませんが、

家祖の記事はとても興味深く拝見しました。

広島県にある資料をあたってみたいのですが、

なかなか時間も取れずもどかしいですね…。

松葉修さんより

宮崎県日向市

私は現在、愛知県に住んでいます。

私の周りにも、松葉姓は数人いますが、すべて宮崎県日向市の平岩出身です。

詳細に言えば『鵜毛(うけ)』という部落出身者が多いですよ!

ちなみに私の父母も、鵜毛出身です。

また、昭和60年ごろまでは、鵜毛の世帯数半分近くが松葉だったと思います。

現在は帰省していないため、推移状態はつかめませんが、

日向市や延岡市などの宮崎県北部に在住者が多いと思います。

親が子供の頃(戦時中)に、家の床下から刀が出てきたと言う話も聞きましたが、

先祖がどのようになっているのかは全くわかりません。

松葉さんの研究結果を楽しみにしています。

がんばってください!!

 松葉祐二さんより

栃木県足利市:

北関東は栃木県の足利市に住んでおります。

町内に松葉姓の方々はおおよそ十数戸あり、

一番古い家の方は確か松葉定雄様で、十五、六代続いているらしいです。

詳細は菩提寺(華厳寺)の住職にお聞きくだされば・・

但し、当寺は過去に消失し、過去帳の一部がなくなってしまったようです。

足利氏の発祥、鑁阿寺には、松葉寺(松葉○○氏で、医師をされていました。)があります。

その方の先祖の墓は華厳寺にあります。

 松葉洋一さんより

茨城県水戸市:

茨城は水戸市に住む松葉です。

先日に、父が他界し家紋等を調べているうちに、

このサイトが目に入り投稿した次第です。

松葉さんより

広島県福山市:

名字で検索をして、このサイトにたどり着きました。

広島県福山市の松葉です。

祖父は源氏系の寺社の息子で祖母は平氏系の寺社の娘です。

私はサラリーマンの息子で、現在私もサラリーマンです。

松葉さんより

東京在住: 

初めまして、こんにちは。

私は東京に在住ですが「松葉」姓の親戚が北海道(釧路・別海町・中標津付近)におります。

曽祖父(だったかな?)は「アイヌ人に似ているから、アイヌの血が入っているんじゃないか」と噂された事があったようです。

てっきり松葉姓は北海道がルーツかと思い込んでおりましたが、

こちらのサイトをみる限り、そうではないようですね(´∀`)

またサイトに遊びに来ます!

松葉氏研究人さんより

茨城県:

はじめまして。宜しくお願いします。

常陸国の松葉姓について探求している者です。

さて、『家系本末抄』という茨城県北部在住の人々について、

その家系や由来をまとめた本に

「松葉織部之允」なる人物が所収されています。

原文では、

「那珂郡芳野村大字飯田 松葉織部之允 武政 正親町天皇ノ御宇参議従三位織田信雄ノ将丹波

五郎左衛門 長秀ノ家臣ナリ 主長秀憤恨スル処アリ天正十三年自殺スルヤ辞シテ常陸ニ来タリ

本村ニ住ス 佐竹氏旧臣 松葉内記トアリ」

となっております。

当方、現在の姓は松葉ではありませんが、先祖筋に松葉氏があり、

特に常陸国在住の松葉氏のルーツと分布に非常に興味があります。

この掲示板にも、茨城県在住の松葉様がおいでですので、

発祥にかかわる伝承や系図の有無、家紋等の詳しい情報をお持ちでしたら、

是非ともご教授頂きたく存じます。

特に、土浦、石岡近辺の松葉様とはルーツがつながるかもしれません。

また、管理人様のブログに『松葉一族』という本の写真がありますが、

この本はどこで入手されたものでしょうか。こちらも、ご教授ください。

宜しくお願い申し上げます。

松葉 Sakuraさんより

東京在住:

東京在住の松葉です。

生まれてこの方、同じ苗字の方にお会いしたことがないので、

こんなに松葉さんがいるとは驚きです!!

あまり深いルーツは知らないのですが、私の故郷は和歌山県になります。

しかし、その付近に同じ姓を名乗っている方はいないので、

うちの松葉はどこからきたのか・・・

江戸時代に米問屋をやっていたということしか知りません。

また訪問させていただきます!

松葉康秀さんより

兵庫県赤穂市:

地元兵庫県赤穂市の松葉です。

もともと武家の長谷(ながたに)家から分家した家系です。

明治の平民苗字許可令の折に、「役所に『松原』と届けたのに聞き間違えられて

『松葉』になった」と、明治36年生まれの祖父に聞いたことがあります。

本当なら、これはやっぱり亜流でしょう?(^0^)/

松葉修一郎さん

和歌山県東牟婁郡古座川町: 

はじめまして。松葉修一郎といいます。

ふと自分の名前のルーツを調べようと思ったら、ここにたどりつきました。

私は現在大阪府在住ですが、私の父は和歌山県東牟婁郡古座川町です。

まだ父の兄がそこに住んでいます。私のお爺さんをはじめ、数代にわたっての墓がありました。

もっとも古いものは、それこそ石を置いただけみたいなお墓です。

ちなみに、私のお爺さんは明治生まれで、

私が小学生の時に亡くなり、その時の葬式はまだ土葬でした。

前から自分の祖先に少し関心があり、意外と松葉という苗字が全国にあるのだとわかり、

うれしい気持ちです。

ちなみに、今は大阪府南河内太子町というところに住んでいますが、

偶然ですが、ここで、私の娘の同級生で初めて同性の松葉さんがおられました。

その方は私よりずっと前からこの地に住んでおられるようです。

以上です。また参考になることがあれば教えてください。

松葉美晴さん

新潟市江南区: 

現在は、新潟市江南区に住んでいますが、出身は、大阪府岸和田市です。

岸和田には親戚兄妹が住んでいます。松葉姓は母方の苗字ですが、

母方の父親(私にとって祖父で、既に他界)が伊勢志摩の出身だということです。

親戚も何軒かあるとの事。

電話帳等で調べると、新潟県内ではどうやら私を含めて

3軒ほどの松葉姓があるようです。

新潟に住んで既に30年ほど経ちますが、

やはり大阪岸和田出身の人には巡り会いません。

以上、新潟にも松葉姓があることを「松葉さん分布図」に掲載をお願いします。

 松葉聖斗さん

福井県敦賀市金山:

初めまして、松葉聖斗と申します。

私の家紋は何だっけと思い検索してみた結果、ここに辿りつきました。

実家には左右に竹の模様があった気がするんですが

、全国の松葉さんと違うのか知りたいですね。

私の出身は福井県敦賀市金山です。

敦賀市には松葉町という町名がある他、そこには親戚もいます。

 松葉巌さん

北海道別海町:

北海道別海町で人生の大部分を過ごした亡き祖父が松葉姓(松葉巌)でした.

樺太で生まれ,根室周辺で育ち,戦中シベリアからの帰還後,

別海町上風連に住んでおりました,

親戚は同じく別海町や根室市,東京都にもおります.

 松葉力さん

福井県敦賀市松葉町:

福井県敦賀市松葉町(櫛川)出身の松葉です。

我が家の家紋はシンプルな松葉菱に三(屋号の頭文字が三)です。

松葉町の町名は地理的に名勝・気比の松原に隣接し、

周囲には松島町、松原町、松栄町等「松」のつく町名が多くあり、

昭和期に三楽園から松葉町に町名変更されました。

その際、私の祖父が関わって町名が決まったようですが、

今や真相は定かではありません。

また、市内には大きく分けると少なくとも3件の松葉姓の家系があり、

どこも650年近く遡れると思います。

敦賀市原にある浄土宗西福寺の建立時(1368年)までは記録が残っています。

その前を調べることはお寺に相談すれば、可能かもしれません。

いつか調べたいと思っています。

まずは全国の松葉さま、以後お見知りおきを。

松葉誠司さん

松阪市東黒部町: 

今は仕事の関係で、中国にいる松葉です。

私の出身は松阪市東黒部町です。阿弥陀寺のそばに住んでいました。

阿弥陀寺の檀家です。

祖父が死んだ時に過去帳を見せてもらったのですが

江戸時代初期か中期くらいだと思いますが長く続いています。

海沿いの墓も大中小様々で字が読めないくらい古い墓が多数あります。

過去帳によると子供のうちに死んだ方が多数いたのが解り、

悲しくなった思い出があります。

もし古い事を知りたければ早いうちが良いと思います。

阿弥陀寺の住職がかなりの高齢になっておりますので、

昔の話を聞くのであれば、この方が生きている間でしょう。

私の生家の近所ですが、面白い事に松だらけです。

隣が松田、松本、松井で、その向こうに松下、松島さんです。

ご近所であれば、松浪、松山さんもいます。松葉は数軒あるかなって具合です。

私の家(松葉)が昔、何をしていたのか知りませんが、家は古く大きかったですよ。

美濃の平姓松葉氏

美濃国本巣郡の根尾村越波(オッパ)の地に、松葉氏があると言われている。

ここの願養寺に郷土史料としての「松葉氏系図」が伝承されているようである。

寿永2年(1183年)5月、越中の礪渡山に於いて木曾義仲の軍に大敗し、

美濃、飛騨などに逃れた人々の後孫と見られている。

尾張の松葉氏

松葉氏は尾張国海部郡に松葉郷があり、

平安時代に編集された「和名類聚抄」に記録が残っている。

地名による松葉は尾張の他には、武蔵、相模、伊予などにも認められている。

尾張の松葉氏は、その後出羽に転じて平鹿郡に移り住むこととなった。

渡会(わたらい)一門の松葉氏

伊勢神宮の社家の中に松葉氏の系族があると言われている。

松葉氏の同族には、松林、松並、松下、松原、松永、松倉などがあり、

どれも渡会一門の支流と伝えられている。

諸国諸流の松葉氏

常陸国那珂郡芳野村大字飯田に松葉氏の伝承があるという。

「天正13年(1585年)松葉織部允武政についての記述」

常陸の佐竹氏の家臣に松葉氏織田信雄の将、丹羽五郎左衛門、

丹羽長秀の家臣に松葉氏があったようである。

茨城県土浦市の松葉氏

関東における、土浦市の松葉氏は今(2004年)より九代前の祖先が医学を学び、

土浦郊外の手野という村から土浦の城下に出て開業したという。

松葉氏には三人の男子がいて手野、土浦、石岡、君津に分かれその子孫は医師が多く、

関東での松葉姓の医師は何らかの姻戚関係が窺い知れる。

千葉の君津で現在皮膚科を開業している松葉氏とは、

五代前に枝分かれしていることが相互に確認された。

一族の特徴は男子の名前が皆漢字一文字になっているとの事です。

大和国十津川の松葉氏

大野村庄屋 松葉藤兵衛の名が「大和十津川国鎗役由緒書」の文書に残されている。

この松葉氏の由来については、詳細が分からない。

南九州の日向国の松葉氏

この地方の鎌倉時代以降の領主であった工藤祐経の子孫である伊東氏の歴史を伝える

「日向記」に松葉六左衛門尉、松葉新九郎などの人名が見られる。

戦国末期の争乱の時代には、松葉市左衛門が宮崎城に討死した事が記されている。

明治維新により、苗字を名乗る事への自由や、移住の自由により、

領民から市民へと身分が変わり、多くの苗字が誕生した。

明治の後期に弁護士より判事となり、政友会の県支部の重鎮であった松葉秀太郎の名がある。

 

松葉さんを探す掲示板” に対して3件のコメントがあります。

  1. 松葉 蒼一郎 より:

    広島県福山市駅家町の松葉家の者です
    現在駅家町服部の谷には松葉の性を持つ家系が5つほどあり、その総本家の私の家計は現在松葉三四郎というこの家の始祖とされる人物(1616年に生まれたとされている)にまでたどり着きました。
    その後の家系図はかなりあきらかになっていますが、三四郎以前が全く不明です。
    おそらくどこからか移住してきたものとされています。
    家紋は「丸に剣片喰」です。

  2. 社長研究室 より:

    松葉 蒼一郎 様

    掲示板へコメントを頂き、有難う御座いました。
    史書に書かれている松葉家の始まりは、平賀氏から分かれた松葉資宗氏と言われています。
    松葉資宗氏が広島の加茂郡に所領を得たのは鎌倉幕府の初期の頃のようなので、その後沢山の松葉氏が広島県に根を張っていったことが想像出来ます。
    松葉蒼一郎様のご先祖様と、我が家のご先祖はどこかで繋がり分岐した事が想像出来ます。
    お寺の過去帳などをお調べになったらいかがでしょうか?
    我が家の場合は、檀家寺の倉が焼けて過去帳は消滅してしまいました。

  3. Manabu Matsuura より:

    先日、東広島郷土史研究会山城探訪会で、記念モニュメント拝見に行きました。改めて検索したら松葉社長の研究サイトにたどり着きました。以前にもからたちばなの家紋の調査について調べた時松葉社長の研究室を訪れたことがあり勉強させていただきました。松葉氏から平賀家が生まれ、木原家に派生していきますが、からたちばなの家紋は引き継がれていきます。2020.04から文化財の施設管理(旧木原家住宅含む)をするため改めて勉強中です。素晴らしい記念モニュメントを作っていただきありがとうございます。モニュメントを訪問したときのことを記載したFacebookを記載しておきます。勝手にですが、文章を転載させていただきました。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください