哀悼 兼高かおる旅の資料館は淡路ワールドパークにあります。

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哀悼 兼高かおる旅の資料館 TBS放映「兼高かおる世界の旅」のファンでした。兼高(かねたか)かおるさんは地球を180周した冒険家であり、ジャーナリストです。

哀悼 兼高かおるさん 90歳で天寿全う

2019年1月9日のテレビ報道で、兼高かおるさんが90歳で天寿全うされたことを知りました。

淡路島の淡路市塩田新島の淡路ワールドパークONOKOROに兼高かおるの旅の資料館があると知って、すぐに資料館を訪問しました。

きっと沢山の方が来られていると予想していましたが、1月10日に私が資料館を訪れたとき、来訪者は私とTBSの取材チームだけでした。

兼高かおる世界の旅

兼高(かねたか)かおるさんが2019年(平成31年)1月5日午後8時45分に亡くなられました。

兼高かおるさんは、1928年2月28日神戸市生まれです。

神戸生まれと聞いてファンになりました。

 
兼高かおるさんは、1958年スカンジナビア航空主催の世界早周りに挑戦し、73時間9分35秒の新記録を樹立したことから、有名になりました。
 

1959年(昭和34年)からTBS系のテレビ局「兼高かおる世界の旅」の放映が始まりました。

これまで訪問した国は150ヵ国、距離にして地球を180周した計算になります。

 なぜ淡路島に兼高かおる旅の資料館があるのか

1985年淡路島において開催された「くにうみの祭典」のメイン会場の一施設に、兼高かおる旅の資料館が建設されました。

淡路ワールドパークONOKOROには、世界の有名建築物のミニチュア版があります。

ワールドパークに施設内にコンパクトな世界があるのです。

そこで、世界一周できるというのがコンセプトです。

世界一周と言えば「兼高かおる世界の旅」となって、記念館が出来たようです。

なんで、TBSのテレビ局が記念館の前に?

兼高かおるさんの訃報を聞いて、翌日早速資料館に行ってみました。

兼高かおるさんが亡くなったことで、TBSのテレビ局が記念館の前に放送車を停めて、資料館の取材に来ていました。

なぜ、TBSのテレビ局が記念館の前に放送車を停めて、資料館の取材に来ているのか、不思議に思いました。

資料館に入って、資料を見るとその疑問が溶けました。

TBSが「兼高かおる世界の旅」の番組を制作・放映していたからでした。

きっと哀悼番組を制作するための取材に来ているのだと思いました。

資料館には兼高かおるの資料が一杯

資料館は、8つのゾーンで構成されています。

ゾーン1では、兼高かおる世界への誘いです。

展示しているのは、兼高かおるの取材フィルム編集室、ジャングルでの撮影風景をジオラマで再現しています。

ゾーン2では、世界の自然と動物です。

世界の様々な自然・動物・風景を地域別にVTRで紹介しています。

自然の偉大さと、エコロジーの大切さを物語っています。

ゾーン3では、特別展示がされています。

主に、これまで訪問した国の民族衣装です。

ゾーン4では、兼高かおるコレクションです。

兼高かおるが世界の国々で収集した多数のコレクションの中から、特に珍しいものを展示しています。

ゾーン5では、兼高かおる世界のアルバムです。

兼高かおるが巡ってきた様々な国を写真パネルで紹介しています

民芸品人形なども展示しています。

ゾーン6では、世界の風俗と祭りです。

世界の風俗や祭りを48面マルチ方式で紹介しています。

ゾーン7では、南極点・北極点の展示です。

南北両極点を訪れました。北極点の取材は4月、南極点の取材は1月でした。

共にマイナス30度でした。

当時の衣装や、写真パネルを展示しています。

ゾーン8は、兼高かおる世界の旅ハイライトです。

訪問した30ヵ国の様子を、VTRで紹介しています。

好みの国をボタンで押して選ぶ事ができます。

安倍晋三内閣総理大臣のお父さんの安倍晋太郎外務大臣から表彰状

外務大臣安倍晋太郎から、表彰状を頂いています。

表彰状を頂いたのは1986年(昭和60)年7月4日です。

安倍晋太郎外務大臣は、安倍晋三内閣総理大臣のお父さんです。

賞状を頂いた理由は、広報文か活動の推進に尽力し、我が国と諸外国との友好親善に寄与し、その功績を表彰されたものでした。

ケネディ大統領を取材

1962年ホワイトハウスでケネディ大統領を取材していました。

それはちょうどキューバ危機(1962年10月)の時でした。

彼らが徹夜でディスカッションしていたいところへ兼高かおるさん達が入っていったようです。

ケネディ大統領は、当時のアメリカを象徴するいい男です。

政治家としてじゃなく、一人の男としてもいいと言われています。

育ちがよくて、優しくて、人柄の良さで相手を安心させてくれるのです。

当時のホワイトハウスのセキュリティーはそれほど厳しくなく、開放的でした。

「自由に見ていいよ」と兼高かおるさんに言ったそうです。(産経ニュースより

1964年には、ランバレネでシュバイツァー博士を取材しています。

1967年にはトンガ国王を取材しています。

1978年2月24日のエクアドル共和国の赤道通過証が展示されていました。

こちらは1971年6月22に受賞した、スイス連邦からのアルプス越表彰状です。

出口に哀悼の献花と哀悼文が飾られていました。

哀悼

平成31年1月5日午後8時45分

当館名誉館長・兼高かおる氏が逝去されました。

兼高氏は世界150ヵ国を巡り、各国の文化・生活に密着され、旅のジャーナリストとしてご活躍されました。

そして当館は、1985年4月21日より、長きにわたり多くのお客様をお迎えして参りました。

ここに生前のご功績、在りし日のお姿を偲び安らかにご永眠されますよう心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2019年1月10日(木)