回想1.17KOBE 大震災の岡本・摂津本山地区の惨状。(№3)
回想1.17KOBE大震災の2日目 阪急岡本からJR摂津本山駅の辺りを、見て回りました。摂津本山駅周辺ではマンションの2階・3階部分が潰れ、建物は斜めに傾いてしまっています。インフラは破壊されましった。
大地震からの避難生活の始まり
岡本地区、摂津本山地区では、倒壊した住宅が沢山ありました。
震災2日目の18日になると、もう会社に行く必要がなくなりました。
なぜなら、これまで経験もしたこともないような大規模な地震が
神戸市地区を襲い、これまでのように仕事が出来なくなったことが
だんだんとわかったからです。
現実の戻れば、今日から震災の避難民として、避難生活が始まっているのです。
電気、水道、ガスは止まって生活できなくなりました
阪急岡本駅の近くの自宅には、戻れる状況ではありませんでした。
入り口のドアは壊れ、家の内は手がつけれないほど家具が破損し、
ガラスや食器が割れ、歩くことも危険な状況でした。
電気、水道、ガスは止まって以前のような日常生活は出来ません。
近隣の状況が気になって、自宅の周りの岡本地区、さらに南の摂津本山地区
の状況をこの目で見て回りました。
予想を越える大きな被害を見て驚くばかりです。
無残な倒壊した町並みと、呆然と為す術もない人たちの様子を見るにつけ、
この地震の物凄さを改めて感じました。
早くも道路には荒ごみが山積み
今回の建物の被害の状況を見てみると、瓦を積んだ日本式の建物は
地震に弱く、潰れてしまっている家が多くみられました。
住宅から排出された家財や壊れた家具、使えなくなった電気製品、
割れた食器などが荒ごみとして、道路の端に山積みされて捨てられていました。
マンションの場合は直下型の地震として、建物の柱が折れて床が尻餅を
ついたような状態で倒壊をしているマンションが目に付きました。
車庫に駐車していた車に、天井部分の床が崩壊して車を押し潰していました。
震災直後の水と食べ物の確保
地震の被害に驚いていると共に、奥さんと私が生きていくためには、
食べ物と水がたちまち必要になってきました。
スーパーダイエー岡本店が店舗を開いているという情報があり、
食べ物を買うために駆けつけて行き、行列に並びました。
震災の災害の中にあっても、住民の皆さんは秩序を守り、列を作って
抜け駆けをするような様子ではありませんでした。
もちろん暴動や略奪のような暴力的な行動は起きていませんでした。
店の前で待っている間にも余震が続き、地面が揺れ、ビルの間に音が
共鳴しあって大きな音になり、「ゴーン・ガーン」という音が聞こえ、
不安を感じざるを得ませんでした。
避難場所は学校
被災した方々が一時的に避難している場所は、公共の建物である
小学校・中学校・大学などに避難していることがわかりました。
多くの方が毛布をかぶり、寒さに耐えて避難をしておられました。
魚崎に住んでいる親戚の方が、甲南大学に避難していることが
わかったので、少しですが食べ物を届けに行ってみました。
甲南大学の体育館の床に座って避難していた親戚の方にお会いできたので、
お互いに励ましあって、僅かですが、おむすびを渡すことが出来ました。
気になる社員の皆さんの安否情報
気になることは、従業員の皆さんの安否情報です。
停電により、電話は使えなくなりました。
携帯電話は震災の頃には普及していなかったので、連絡するなら固定電話ですが、電話は不通でした。
相互の連絡が取れない中で、お互いの安否を確認することは
とても難しいことでした。
文化的な生活は災害時には機能しません
都市生活は普段は便利に暮らすことが出来ますが、一旦電気・ガス・水道
などのインフラが破壊されると、この都市から田舎へ逃げて行った方が、
水や食料・暖房などの最低の生活を維持するためには良いようになります。
≫JR摂津本山駅南(提供:阪神・淡路大震災『1.17の記録』)
「マズローの欲求五段階説」という理論があります。
一番最初の欲求段階は、生命・生活に関する欲求に始まります。
この学説の通り、文化的生活から生活生命に関する欲求へと欲望は
第一段階に戻ってしまいました。
子供たちとの連絡もとれないまま、今日は近隣の被害の様子と、
判る限りの情報の収集に二日目の一日が終わりました。
2019年1月更新