淡路島松帆神社には落とし物が帰ってくるという霊験がありました。

投稿No:8054

淡路島松帆神社には名刀菊一文字が宝物殿にあります。

初詣は松帆(まつほ)神社

初詣に行きます。淡路島の初詣は松帆(まつほ)神社です。

松帆神社は淡路島の東浦に600年以上前に創建されました。

松帆神社とは

南北朝時代の延元元年(1336年)5月に

楠木正成が湊川の戦いで敗れました。

楠木正成は自決する前に

家臣吉川弥六に身に着けいたお守りの八幡大神の神璽を託しました。

吉川弥六は命楠木正成の命令通り、御守りを持って湊川の戦場より逃れ、

安全な所でお祀るするように神璽を首にかけ、

仲間数人と共に夜陰に乗じて海路淡路島に落ちのびました。

現在の淡路市東浦長の楠本付近の浜に辿り着いたそうです。

弥六達は潜伏を続けながら楠本の山中に小祠を建て

八幡大神を祀る一方で楠本を開拓し一帯を楠木正成にちなんで楠木村と称しました。

これが後に楠本(くすもと)村と改められ、

現在の淡路市楠本となったそうです。

この小祠が元の八幡神社として伝わっています。

その後、応永6年(1399年)に来馬庄(現在の久留麻の社地)に遷され、

来馬・浦・仮屋・谷・下田・楠本・中持・小田・河内・白山などの

村々の鎮守の「八幡宮(八幡さん)」となったそうです。

明治14年5月に周囲の浜辺が「松帆の浦」

と呼ばれていたことから「松帆神社」と改称し、現在に至っています。

国宝 名刀菊一文字

松帆神社には国宝の菊一文字の刀があります。

普段見る事は出来ませんが、宝物殿に納められているということです。

名刀菊一文字の由来を宝物殿の前に掲示されていました。

鎌倉時代に後島羽上皇が全国より名刀工(刀鍛冶)を召し出し、

作らせた備前福岡一文字則宗が作った刀だそうです。

名刀には不思議な力があるそうです。

松帆神社としては一番大事な宝物です。

松帆神社で落とし物

初詣で、アクシデントがありました。

大切なものを神社の境内に落としていました。

初詣を終えて、奧さんと一緒に境内を歩いて駐車場に向かっていた時、

ポケットから大事なものが落ちてしまいました。

落とし物に気が付いたのは、昼食時です。

どこに落としたのか、立ち寄ったところは二箇所です。

一箇所目は」ホームセンターです。ホームセンターにはありませんでした。

もう一箇所は松帆神社です。

松帆神社に駆け付けて、境内を探そうとしていた時、

ちょうど神職の方が通りかかったので、

落とし物が届いていないか尋ねてみました。

すると、拾った方が社務所に届けてくれていました。

落とし物の中に、私の名刺が入っていたので、

本人確認が出来ました。

名刺には顔写真があるので、

私の顔と照合すれば落とし物は私のものであることが確認出来ました。

さすがは松帆神社

感心したのは、この神職の方の対応です。

名刺を見て、すぐにファックスで連絡をしてくれていました。

さすが名刀菊一文字を貯蔵する松帆神社です。

落とし物をちゃんと社務所に届けてくれた方に感謝です。

松帆神社のは楠木正成に由来する神社です。

神を信じるかどうかはその人の心掛け次第です。

しかし、拾った場所が神社であり、神社で落とした落とし物だから、また私の所に帰ってきたのだと思うと、これも神の加護があると思いました。

もう一度本殿に参拝して、改めてお礼の言葉を手を合わせて言いました。

落とすことは不幸な事、戻ることは幸運

落とし物をすることは不幸なことですが、

落とし物が帰ってくることは幸運なことです。

この二つを一つに足し合わせると、

不幸と幸運とはどちらなら大きいのか、つい考えてしまいます。

気持ちの上では、不幸が小で幸運が大のように思えました。

落とし物が見つかったところで、奧さんと私の気持ちは、

暗い気持ちから明るい気持ちに変わってきました。

元々初詣に来なければ、落とし物が発生することはありませんでした。

しかし、他の場所で落とし物御をした場合、

神を信じる人が拾ってくれるかは分かりません。

因果律で考えると、結果にはその前の原因があります。

原因と結果を対比してみて結果の方が喜びが大きかったので、

松帆神社のへの信心の気持ちが強くなりました。

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2019年1月6日(日)