女性パイロットになる  渡米して夢を叶えたさんプラザコンタクトレンズ元社員神田yumiさんの行動

投稿No:8023

女性パイロットになる 在職中から大空を飛行機で飛ぶ仕事を夢見て、飛行訓練学校で学んでいました。

女性パイロットになる

さんプラザコンタクトレンズの元スタッフで、

退職後女性パイロットになった神田さんからお菓子のセットが届きました。

女性パイロットが我が社から誕生

阪神淡路大震災の少し前に、

我が社に勤務していた女子社員の神田さんは、

大きな夢を持っていました。

神田さんの夢は、パイロットになって、

仕事で大空を飛行機で飛ぶことです。

これにはまず、飛行機の操縦免許が必要です。

日本でパイロットを目指すなら航空学校や、

民間航空会社のパイロット養成機関に入らなければ、

男性であろうと、女性であろうと、パイロットにはなれません。

神田さんは既に大学卒業後の就職だったので、

パイロット養成学校に入るには、少し時計を巻き戻さなければなりません。

現実に生活があり、仕事をしながら収入を得て、生活を支えていました。

彼女の夢を聞いたとき、

その現実離れした夢に驚きました。

大阪八尾の民間航空学校へ通う

仕事をしながら、飛行機の操縦免許を得るには、

神戸であれば大阪八尾の民間パイロット育成期間に

スポットで教育訓練を受ける方法があります。

小型セスナ機に教員と一緒に乗って、

カリキュラムに従って除々に教育訓練を上げていく方法です。

1995年以前の教習料は、予想を超える値段でした。

現在なら1時間5万円です。
それが100時間の訓練が必要なので、500万円かかります。

アメリカの訓練学校に入学すれば、

200万円ほどでライセンスが取得できるようです。

しかし、アメリカに行く必要があります。

当時、神田さんは収入の内、

生活費を除く大部分を教習所の受講料に支払っていました。

飛行練習時間は一回が一時間以内です。

僅かな時間ですが、セスナ機に乗れることは、

彼女にとって夢実現の確かな一歩だったようです。

沖縄旅行では、コックピットに入り、パイロットの話を聞く

取引先担当者と交えて、

神田さんと沖縄へ接待旅行に行ったことがあります。

伊丹空港から那覇までの飛行時間の間に、

神田さんは大胆にも操縦室をノックして、

中に入れてもらい、実際のジェット機の操縦室を見せてもらいました。

このことを知って、私は彼女の熱意に感心しました。

なかなか出来る事ではありません。

飛行機会社も、ハイジャック事件が起きて以来、

一般乗客をコックピットに入れる事はありません。

それをどのように話して、

中に入れてもらったのかは立ち会っていないので分かりませんが、

きっと熱意が通じて、特例として中を見せてもらえたのではないかと推測します。

飛行機に乗る機会は一般的には少ないのですが、

その少ない機会を活かして飛行機の操縦室に入れさせてもらう熱意に、

今でも感心しています。

阪神淡路大震災が契機

1991年1月17日の阪神淡路大震災で、

さんプラザビルは大きく傷つき、さんプラザビルを取り壊すか、

それとも補強して使用できる階層だけ再オープンするか、

何ヶ月も意見がまとまりませんでした。

当初もさんプラザビルでコンタクトレンズの販売をする事が出来ず、

社員の皆さんも連絡がとれないまま、しばらくは散り散りの状態でした。

2週間後の2月1日から、

市役所の近くの今西ビルに移転してそこを仮店舗として、

コンタクトレンズ販売を始めました。

その時神田さんは、行方不明の状態のままでした。

渡米してアメリカのパイロット養成学校に入学

しばらくして、偶然神田さんと市役所の近くで出会ったとき、

神田さんはアメリカのパイロット養成学校に入学するため、

渡米するという話を聞きました。

期待していた職場復帰は、無理のようでした。

その後何年間は彼女から連絡もなく心配していましたが、

2006年12月に彼女からクリスマスカードが届きました

その文面の中に、小型飛行機の操縦免許を修得出来て、

アメリカの民間航空会社で働いているという情報を頂きました。

とうとうここまで夢を叶えた事に驚き、

私からも祝福のお手紙を書きました。

民間機の小型操縦免許取得

突然の事でした。

神田さんが一時帰国して日本に観光旅行に来た時、

当社を訪ねて来てくれました。

同じ職場のパイロットと結婚して、彼も一緒でした。

旅客機のパイロットに昇進

その後の便りでは、小型機から大型機の操縦免許がとれたそうです。

2015年4月にわが社を訪れ、大型機のパイロットに昇格したと聞きました。

日本で女性がパイロットに進もうと思えば、大変狭い門になっています。

日本では女性パイロットは、全パイロットの1%にもなりません。

海外ですら、女性にはパイロットは狭き門です。

神田さんからの贈りもの

2018年12月現在

私の自宅に、神田さんから荷物が届きました。

中は、菓子類でした。

手紙には、日本に二日間ほど立ち寄ったそうです。

会社に寄ってくたらよかったのですが、

今回は連絡はありませんでした。

私と奧さんに、「飛行機に乗せてあげたいので、アメリカに来て下さい」

と、何度も声をかけられています。

神田さんの仕事振りは、見てみたいと思いますが、

なかなかその機会がありません。

前の職場や、私とマネージャーのことを忘れないで、

今でも慕ってくれることを嬉しく思います。

女性パイロットはなぜ少ない?

では、神田さんのように女性パイロットへの道はなれるものなのでしょうか?

先ほども述べたように、

日本国内の女性パイロットは男性パイロット5000人対し、

女性パイロットは1%の50人しかいないということです。

その内、機長は5人なんだそうです。(2015年の調査)

これらは、ANAやJALはもちろんですが、航空会社だけでなく、

海上保安庁などの官公庁や、節輸送、

上空から報道写真をとる民間企業でも多く需要がありそうです。

なぜ、こんなに女性パイロットが少ないのでしょうか?

一番の大きな課題は、

女性でもパイロットや機長になれるということが知られていないことです。

日本のイメージとして男性はパイロット、

女性はスチュワーデス(CA)というイメージが強くあります。

パイロットになりたいというよりかは、

CAになりたいという女性の方が圧倒的に多いです。

ですが意外なことにパイロットになるにあたって、

男女間の能力には違いはないそうです。

ただ、女性がパイロットになるにあたり、難しい問題もあります。

妊娠がわかればフライトが出来ない上、

ホルモンのバランスにより体調不良を起こすと操縦は許されません。

しかし、今となってはドラマの影響で夢が生まれる場合もあります。

例として、堀北真希さん主演のドラマ「ミス・パイロット」がありました。

このドラマによって、女性パイロットへの感心度があがったそうです。

そして、ドラマをきっかけに、女性パイロット志望が実際に増えているそうです。

日本人初の女性パイロット

日本人初の女性パイロットは藤明里さんです。

航空会社に入社後10年間副操縦士を勤め、2010年に機長になりました。

一人のパイロットを育成するまでにかかる費用は約1億円と言われています。

女性がパイロットになるには?

まず、身長制限です。

航空大学校の入試試験では、「身長158cm以上」という制限があります。

身長条件は安全な運航の為重視されているので、

基準に満たさない場合は、受験することができないんだそうです。

しかし、日本初女性パイロットである藤明里さんは基準に満たしていませんでした。

藤さんの取った行動は、

日本での身長制限がだめならと、

アメリカのパイロット養成学校に入学したそうです。

女性パイロット パイロット養成学校教官になって凱旋

1995年の震災の少し前の頃、

我が社に勤務していたKandaさんが久しぶりに訪ねてきてくれました。

どこから来たかといえば、それはアメリカのフロリダ州からです。

長い飛行機の旅を終えて、関西空港に着くとすぐに我社を訪ねてくれました。

10年ぶりの再会でとても懐かしく思いました。

帰国は6年ぶりとのことでした。

関空でたちまち困ったことは、携帯電話の全盛で、

以前のようにテレフォンカードで公衆電話と思っていたら、

なかなか電話が見つからなくて困ったということでした。

ファッションについては、

茶髪に髪を染めている人が圧倒的に多いことに驚いたようです。

私たちは毎日のことなので気が付かないことが、

6年ぶりの帰国の人の目から見ると、

短期間で社会・文化・生活が大きく変わっているようでした。

Kandaさん

お昼を一緒に食べながらKandaさんの最近の話を聞かせてもらいました。

飛行訓練

彼女は以前から大空に飛び立つ夢を持っていました。

神戸にいるときは、八尾の飛行場に行って時々飛行訓練を受けていましたが、

日本ではとても飛行機の練習が高くつくので、

彼女は単身でフロリダの飛行機学校に行きました。

 飛行訓練

以来、6年間ずっと飛行機の操縦を勉強し、

そしてその後、飛行機学校の教官になり、

現地で結婚もして、今は大空に羽ばたく夢をしっかりと実現できているようです。

飛行訓練

飛行訓練

これこそ、彼女にとっては、Dreamcome true なのです。

飛行訓練

飛行訓練

学校、職場の同僚のみなさん、

近隣の皆さんともすっかり仲間に溶け込んで楽しそうな生活をしています。

多くの国から飛行機の訓練をしにくるので、

国際的な人脈が出来ているようです。

料理

しかし、2001年9.11のニューヨークテロ事件以来、

飛行機の操縦を教えることについては大変アメリカも神経質になっているようです。

料理

久しぶりに食べる日本料理にとっても喜んでいます。  

美味しい美味しいということです。

どうやらアメリカでは食文化が大雑把で、

特に美味しいと思えるものがなく、

日本料理店はあるものの、高いか不味いかのどちらかだそうです。

彼女の夢はまだまだ大きな

ボーイングクラスのジェット機に乗って操縦をしたいということです。

中々その壁は厚いようで、

大型機に乗れるのはまだ先のようですが、

彼女の夢はまだまだ続きます。頑張ってください。

2005年7月20日(水)

日本でだめならアメリカで

このように、日本でダメなら海外でという手段を選べば、

女性パイロットの夢も可能になるのです。

女性パイロットが少ないこと、数々の試練があること、

そんなことを聞く度に益々、神田さんのすごさに感心し誇りに思います。

こんな話をスタッフとしながら、

頂いたチョコレートを皆さんで分けて賞味しました。

神田さん、ありがとうございました。

これからも頑張って下さい。

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