理念経営 山中温泉「かよう亭」亭主上口昌徳さんの理念経営

投稿No:8204

理念経営 山中温泉「かよう亭」亭主上口昌徳さんの理念経営 やってみよう理念経営 かよう亭を創った理念を聞かせてもらいました。

理念経営 山中温泉「かよう亭」 理念経営ってなに?

理念経営とは職場の皆が共通する価値観を経営の中心に置いた経営です。

そのためには社長は会社がめざす目的と、

大切にする価値観である企業理念

を職場の皆に明らかにし、全員に理念を浸透させて、

その実現を追求して行きます。

では、かよう亭の場合は、どうだったのでしょうか。

小さくてもキラリと光る旅館、

そこには考え抜かれ理念があります。

1万坪の敷地に、僅か10部屋の小さくても、

旅人を魅了して止まない魅力が

あるのです。魅力を創っているのは創業者の理念です。

かよう亭の亭主にこの理念を聞かせていただく機会がありました。

理念経営 かよう亭は規模を追わない宿

かよう亭は、敷地面積一万坪の広い敷地に客室はわずか10部屋にして、

ゆったりとした数寄屋風の宿の設計にして、

ゆったりとした部屋造りになっていました。

かよう亭の玄関には、お出迎えのご挨拶に、宿の女将さんを中心に、

仲居さん達が畳に座って、ご挨拶をしてくれました。

宿の皆さんが大切にしているのはおもてなしの心です。

部屋に案内されると、12畳の部屋に3つの小部屋がありました。

今回の奧さんの誕生会には、孫のU君たちも参加なので、二部屋に分宿しています。

理念経営 「かよう亭」の季節を感じるおもてなし

控えの部屋にはこたつがあり、ここに集まって団欒も出来ます。

北陸の春は寒く、3月に入っても、こたつに足を入れると、

家に戻ったようなくつろぎを感じました。

これから4月になると、北陸にもゆっくりと春がやってきます。

山桜・白いこぼしの花が新緑の中に咲きはじめるかよう亭の山は、

春は春の風情です。

春は味の季節、たらの芽・山うど・芹・かたあは・山の幸・いわな・やまめ・鯛・すすき川

と海の幸寒い冬から身も心も解き放たれて

はなやいであたたかく

お客様をお迎えいたします。

かよう亭のリーフレットにはこのように書かれていました。

理念経営 「かよう亭」 山の自然が自然にかよう亭に溶け合って

部屋の窓からは、自然のままの山がすぐ近くに見えました。

山と山の間の谷間から渓流が流れ、

水の流れはかよう亭の敷地の中に注ぎ込んでいました。

流れ込んだ渓流の流れは、一旦ダムのように堰き止められ、池を作っています。

池にたまった水は、再び渓流に戻るように、

滝になって白いしぶきを作っていました。

山の景色が、客室から自然の絵のように見えるよう、

宿の高さを調整していました。

宿の外に廻ってみると、客室の窓が遠くを見渡せるように、

高くなっています。

理念経営 山中温泉「かよう亭」部屋の配置は回廊式

玄関から客室には、中庭を囲んで回廊式になっていて、

廊下に敷かれた琉球畳みのような、細かい網目の畳を踏んで、

回廊を一周すれば、また元の場所に戻って来れます。

廊下を歩くときは、着かえたときの足袋に履き替えて、

スリッパは使わないで足袋の上から畳の感触を感じました。

理念経営 「かよう亭」回廊には美術品が飾られて

回廊の途中途中に、置物・飾り棚・屏風・陶器などが目を保養するように、

途切れ目無く飾られていました。

この美術品を回廊に飾る考えは、かってかよい亭の亭主が

フランクフルトで見た小さなホテルのロビーがヒントになっています。

ロビーには中世の美術品が至る所に飾ってあり、

そこには芸術空間が広がっていました。

フランクフルトの客室数20あまりのホテルは、

この街の文化人の集う場でもあったのです。

これが「スモール イズ ビユーティフル」の演出です。

ぐるりと廻ると、また玄関の広間のある座敷に戻ってきました。

敷地面積は1万坪に対して、建物坪は500坪です。

平屋建てで、一部二階建てになっています。

定員は10部屋で40名です。

理念経営 かよう亭の亭主のおもてなし

憩いの部屋があって、ここで珈琲を頂いていると、このかよう亭の主人、

上口昌徳(かみぐち・まさのり)さんがご挨拶に出てこられました。

毎朝、こうしてお客様にご挨拶されるそうです。

そのとき、かよう亭のコンセプトや、おもてなしの理念を語られるのです。

理念経営 上口昌徳さんの 私の「かよう亭」のお考えです。

戦後、父が創った旅館は、やがて到来する高度経済成長の波に乗って増築をくり返し、

五十室余りの旅館になっていた。

その温泉旅館を昭和48年、父の長期の留守中、唐突に休業、廃業という、

全く無謀な私の計画を断行してしまった。

当然父との激しい争いが続いたが、ついに諦めてくれた父から実権を渡され、

4年後の昭和51年に拡大再生産の高度経済成長の流れに抗って、

水の流れと緑いっぱいの山間に十室の「かよう亭」を造り上げた。

当然、銀行からは時代逆行と見放され、

以後十年余、全く苦難の道を歩んだのだった。

あえてこの苦難の道を選んだゆえんは、「風景」「風土」という

言葉の意味の深さと大切さを知り始めたことが総てだと言える。

理論家でもない私が、事の大切さを伝えようとするならば、

身をもって体験し続けてきたことを通して、伝える以外にないと思う。

だから「自然」「風景」「風土」に限りなく畏敬の念をもって造り上げた、

小さな「かよう亭」物語から始めた。

 出典「風景」-日本の風景を考える- 人と風土を考える(2005年3月)

理念経営 「風景」「風土」という言葉の意味

上口さんは東京での学業を終え古里に戻り、

父の旅館の増築に従事していた中で手にした1冊の本がきっかけでした。

ドイツの建築家ブルーノ・タウトの「日本の美の再発見」という本でした。

桂離宮をはじめ,伊勢神宮,飛騨白川の農家および秋田の民家などの美は、

ドイツの建築家タウトによって「再発見」された。

彼は,ナチスを逃れて滞在した日本で,はからずもそれらの日本建築に

「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見いだしたのであった。

日本建築に接して驚嘆し,それを通して日本文化の深奥に遊んだ魂の記録.

桂離宮、伊勢神宮や飛騨白川郷の農家の日本建築に「

最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見出し、

日本の伝統建築を通じで日本文化の深奥を綴ったものです。

出典 岩波新書 日本美の再発見 増補改訳版 概要

四季の移ろいがあまりにも鮮やかな日本では自然を愛し、

限りなく畏敬の念を抱かればこそ「風景」という一語は生き続ける。

「風」を冠した「風情」「風格」「風物詩」等々、

不思議に耳に心地よく心和ませてくれる言葉、

それは自然を愛でる心の強い日本であることの証だろう、

そして多くの人達から与えられた

「風景」「風土」への畏敬の念の啓示によって

今日の心身の充実した日々があるのです、と書かれています。

理念経営 山中温泉「かよう亭」 父の作った宿を壊して造り変え

上口さんは規模の拡大を追わず、

質の向上を目指して宿の建て替えです。

お父上を1ヶ月のハワイ旅行に出され、その留守の間に客室40、

最大収容人員200人旅館を廃業してしまうのです。

その後3年を掛けて「質の良い宿屋」の構想を練る。

旅館はホテルではない、10室が限度。お客は20名くらい。

朝はゆっくり起きて、朝食は好きな時間に。。。

大きな旅館がしていることの反対を行こう!結果は世の中の笑い者。

銀行もそっぽを向く四面楚歌。

なぜ小さくするのか、父は絶対許さないと怒り心頭。

その最中に「息子が考えることだから何かあるのだろう。

だから言うことを聞いてやって」と言い残して亡くなった母。

宿を母“かよ”の名から“かよう亭”と名付けて、廃業から4年目に開業。

理念経営 かよう亭の基本理念        

◎朝はお客さまを起こさない。

◎宣伝はいっさいしない。

◎売り手市場であるから旅行代理店とはお付き合いしない。

◎利潤を追求しない。家族みんなで食べていければ良い。

このような理念をお伺いし、その英断に感心しました。

理念経営 かよう亭と私との繋がり

およそ30年前、こちらのお嬢様が神戸の大学に在学中にできたご縁でした。

とても美人で、聡明なお嬢様でした。

ケア用品の販売のお手伝いをお願いして、

学校の授業がない日に来て頂いていました。

玄関で女将さんのお出迎えを受けたときに、

お嬢様は、その後いかがおすごしでしょうか?

と、私との関係をお話ししました。

そのお話が、女将さんから、亭主の上口昌徳さんに伝わったので、

ご挨拶に来られたようです。

上口昌徳さんは、石川県の県会議員を6期努めた、政治家でもあります。

お若いときは、東京の法政大学経済学部で大学院まで進学していました。

県会議員はすでにリタイアされて、現在では、石川県観光連盟副会長や、

山中温泉観光協会会長、北陸環境問題会長などの、要職についておられました。

私も大学院を3つ行ったので、その話をすると、

サービスマーケティングの話が始まりました。

昨夜、女将さんから早速、お嬢様の方に、松葉さん御一行が来られましたよ

と電話連絡をされたようで、30年野前の話が弾んだようです。

私からも名刺に短いメッセージを書いて、

ぜひ私の社長研究室のブログを見て下さいとお願いしました。

30年前のあの頃の記憶が、私にも蘇ってきました。

あの頃はスタッフの数は少なく、お客様は多くて、

とても忙しい日々だったことを思い出します。

彼女は、スチュワーデスを目指していました、

卒業後は希望通り、航空会社に就職し国際線に乗って、

勤務していたお話を聞いて初志貫徹をしたことを喜びました。

以前から、かよう亭の話は、彼女から聞いていましたが、実際にかよう亭に

来て、泊まって食事を頂き、お父様・お母様ともお会いできて、長く思って

いた事が一つ実現したような期がしました。

やってみよう理念経営と改めて思いました。

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2019年3月16日(土)

山中温泉花紫