浦壁昌広シード社長の企業家精神
投稿No:8064
企業家精神 浦壁昌広社長はイノベーションを遂行する企業家です。
企業家精神 アントレプレナーシップとは
企業家の定義を著わしたのは、シュムペーターです。
シュムペーターは『経済発展の理論」において、経済発展の根底に5の新結合の概念をあげました。
① 新しい財貨、あるいは新しい品質の財貨の生産。
② 新しい生産方法。
③ 新しい販路の開拓。
④ 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。
⑤ 新しい組織の実現。この5です。
企業家とはイノベーションを遂行する者と定義しました。
そして企業「Enterprise」を興す起業家をフランス語読みした英語では、「Entrepreneur(アントレプレナー)」と表現されました。
ドラッカーの企業家精神
企業家精神とは、独特の特性をもつ何かである。気質とは関係ない。実際のところ、私はいろいろな気質の人たちが、企業家的な挑戦を成功させるのを見てきた。
ただし、確実性を必要とする者は企業家に向かない。
だがそのような者は、政治家、軍人、船長など、いろいろなものに向かない。
いずれも意思決定を必要とする仕事だからである。意思決定の本質は不確実性にある。
意思決定を行なえさえすれば、学ぶことによって、企業家として行動できるようになる。
企業家精神とは、気質ではなく行動である。
自覚しているといないとにかかわらず、あらゆる仕事が原理に基づく。
企業家精神もまた、原理に基づく。
企業家精神の原理とは、変化を当然のこと、さらには健全なこととすることである。
(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』)
アントレプレナーシップとは?
アントレプレナーという言葉は「企業を起こす人」あるいは「起業家」という意味です。
日本においては「ベンチャー起業家」のことであると思われています。
新しくビジネスを立ち上げようと考えている人のみならず、既存企業内で新しく起業しようとする意味もあります。
つまり、大企業・中小企業はもちろん、行政機関などの非営利の組織に属する人にとっても重要です。
特にアントレプレナーシップを「企業家精神」と位置づける場合には、こちらの意味で使われることが多く、経営者や経営に関わる幹部に必要な「在り方」や行動指針として捉えられます。
企業家といるのは創業者だけなのか
企業家と起業家が混同されていることが多くあります。
日本ではアントレプレナーシップは、新しく会社を立ち上げる「起業」の意味で使われてきました。
しかし、イノベーションが大切になるのは、起業のフェーズばかりではありません、
既存の大企業でも、中小企業でも、あるいは行政機関でも企業家とは「業」を「企てる」人です。
会社を立ち上げる人だけでなく、「業」を「企てる」人にとって必要な能力こそがアントレプレナーシップなのです。
起業家精神に求められること
新しいビジネスに立ち向かっていく精神のみならず、忍耐力や責任感、広い視野も起業家精神に求められる資質です。
他人に見えないことが見える、気が付くことも起業家精神には必要です。
逆の表現になりますが、起業家精神がある人は、他人に見えないことが見える、気が付くことができているのです。
起業家精神がある人は、何も無いところから価値を創造することができるのです。
起業家精神とは、自ら事業を興そうとする者が持っているべき精神のことです。
浦壁昌広シード社長の起業家精神
シード(SEED)の浦壁昌広社長と、2019年の新年のご挨拶と食事会を行いました。
浦壁昌広社長へは、私から縁起物の亥のお守りを差し上げました。
イノシシのお守りは、毎年取引先の皆様にお配りしている、干支のお守りシリーズです。
浦壁昌広社長は、すでに強運の持ち主なので、今更干支のお守りで運を強めるということは必要ないのですが、縁起物なので、財布に入れて下さいとお願いしました。
浦壁昌広社長に同行しているのは、我が社の担当である、中野隆一さんと、池田永加さんです。
二人にはすでに、年始に来られた時に、猪の干支のお守りを差し上げています。
浦壁昌広社長とは、昨年末にお会いする予定になっていました。
私の方の都合で、年始にして頂いたのです。
浦壁昌広社長の起業家精神に学ぶことが多くあります。
① 新しい財貨,あるいは新しい品質の財貨の生産。
国産初の1DAYタイプの使い捨てレンズの製造です。
種を蒔いたのは、井上忠前社長でした。
② 新しい生産方法。 これは秘密事項です。
③ 新しい販路の開拓。アジア地域への販路開拓です。
④ 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。丸秘事項です。
⑤ 新しい組織の実現。これも戦略的組織で丸秘です。
浦壁昌広社長の企業家精神発揚のおかげで、シードの株価は200円から250円ほどが、一時7500円まで値上がりしました。
その後、株式を3分割し株価を下げて、買いやすくしています。
硬い話は終わり 震災の思い出
硬い話は終わりです。
昨日は阪神淡路大震災の日だったので、話の始まりは震災復興の頃の話題になりました。
震災の頃になると、阪神淡路大震災の復興物語のアクセスは、急に増えてきます。
浦壁昌広社長の震災から復興の経験は、東日本大震災の時だったそうです。
災害支援で頼りになるのは自衛隊
支援物資や、救援物資を被災地に送ろうと思っても、震災だけでなく、福島原発の事故の為、放射能の問題があったので、道路は封鎖され、思うように支援物資や救援物資を送ることが出来なかったそうです。
こんな時、支援物資を送る方法としては、自衛隊にお願いすると、相手先に届いたそうです。
阪神淡路大震災の時に、私も経験しました。
災害で街中が混乱している時、規律を守っていたのは自衛隊でした。
自衛隊にお願いすれば、確実に支援先に支援物資を届けることが出来たそうです。
更に問題があります。
支援先の市町村に救援物資が届いたとしても、それを流通ルートに乗せて、末端の避難している一人一人の方に、支援物資が届くかどうかは、流通ルートの問題が関わってきます。
阪神淡路大震災の経験で、ボランティアの働き方も、
その後は東日本大震災や、熊本地震、西日本豪雨などで、更に進化していったそうです。
浦壁昌広シード社長の今年の目標
年始なので、浦壁昌広社長に、シードの今年の目標について、お伺いしました。
浦壁昌広社長が目指すのは、海外市場の拡大です。
既に、海外市場への取り組みは始まっていますが、これをさらに広げることです。
人口が多い国は、市場が大きい事になります。
それは中国であり、次にインドです。
インドにはすでに市場開拓が始まっています。
新しい市場を開拓しようとすれば、今いるシードの社員の中から、誰かが新しい市場開拓へ出掛けていくことになります。
たった一人で、生活様式も全く異なる海外に出て行くのですから、それは大変です。
インドを例にとると、インドは貧富の差がとても大きく、近代的な建物が建つオフィスビルや、ホテルのすぐそばには、貧しい下層階級の人たちの住居地しか接近しているがあります。
食べ物も日本食は望めません。
インド式で食べる料理は、右手を使って、直接食べ物を掴んで口にする方法です。
浦壁昌広社長が、誰か社員に目を付けると、指名された社員は、皆さんこれまで新しい市場の開拓に奮って出かけていったそうです。
「拒む者や、辞退する人はいないのですか?」
とお尋ねすると、全くいないそうです。
使い捨てレンズは、最新の機械がどんどん新しい製品を生産します。
生産されたレンズは、ユーザーを求めて、商圏を広げて行かざるを得ません。
日本の市場は、既に競争が応和状態になっています。
そうなると、新しい市場を目指して、市場開拓せざるを得ません。
これは、過去の例から見ても、新しい市場を開けるのは、先進の国でした。
遅れてスタートした国は、残った市場を開拓していきました。
残った市場は、残る理由があって、市場開拓が難しいのです。
今日の食事は、交通センタービルの松迺家でした。
松迺家から見る我が社は、さんプラザビルが眼科と店舗で、さんセンタープラザビルは、事務所です。
浦壁昌広社長と、どこの会社がどんな経営戦略を考えているのか、
神戸の市場についてもこの先どうなるのか、
コンタクトレンズ業界についてお互いの意見交換をしました。
私達は、神戸の市場だけを見ていますが、シードの浦壁昌広社長は、アジアやヨーロッパまで目が向いているので、そのスケールの違いが大きな刺激になりました。
2019年1月18日(金)