淡路島で発見された松帆の銅鐸は大発見 、松帆銅鐸のレプリカを叩いてみました。松帆銅鐸と桜ヶ丘銅鐸は、兵庫県の隣接した場所から出土しています。
淡路島で発見された、松帆銅鐸のレプリカを叩いてみました松帆銅鐸と桜ヶ丘銅鐸は、兵庫県の隣接した場所から出土しています。
淡路島で発見された、松帆銅鐸のレプリカを叩いてみました
淡路島で銅鐸(どうたく)がたくさん出たニュースを思い出します。
どんな銅鐸なのか、銅鐸はどんな役割をしたのか、
今日、美菜恋来屋(みなこいこいや)で
淡路で発見された銅鐸のレプリカを見て、理解が深まりました。
小学生の時の社会科の授業では、
銅鐸はお祭りに使われていた、祭事の道具と教えられました。
今回の松帆の銅鐸は、大発見だらけのようです。
松帆銅鐸 1.【一番古い形の銅鐸だった】
7個のうち1個は
一番古い菱環鈕(りょうかんちゅう)式という形の銅鐸でした。
今までに日本で11個しか見つかっていない種類で、
淡路島では江戸時代初めに洲本市中川原からも1個見つかっています。
他の6個は次に古い外縁付鈕式
(がいえんつきちゅうしき)という形の銅鐸でした。
松帆銅鐸 2.【舌(ぜつ)がたくさんあった】
それぞれの銅鐸の中谷は青銅製の鳴らすための棒(舌)が入っていて、
合計7本見つかりました。
これまでに銅鐸と舌が一緒に見つかることはほとんどなく、
南あわじ市(慶野中の御堂銅鐸)、
鳥取県(泊銅鐸)に次いで3番目の例になりました。
松帆銅鐸 3.【ひもが残っていた】
舌(ぜつ)には吊り下げるための
植物で作ったひもが残っていました。
銅鐸の原料である銅の防腐作用が働いて、
腐らずに残ったと考えられます。
ひもが確認出来たのは全国で初めてのことです。
銅鐸は、製造当初は、黄金のような金ぴかで、
銅鐸を鐘として叩いていたようです。
私もレプリカの銅鐸を叩いてみました。
とてもいい音です。
銅鐸は紐で吊り下げられていて、
振れば風鈴のように金属製の澄んだ音が聞こえてきます。
松帆銅鐸 4.【大量に見つかった】
兵庫県は銅鐸の出土数が全国一多い県(68個)です。
そのうち、淡路島では松帆銅鐸を含めて21個が見つかっています。
松帆銅鐸は全国で4番目に多くまとまって見つかり、
特に古い銅鐸が1度に大量に埋められた珍しい例です。
松帆銅鐸 5.【鳴らす銅鐸だった】
銅鐸の使用目的は、飾るだけでなく、
銅鐸が鐘の役割をして、
叩いて音を出すようになっていたようです。
レプリカの銅鐸なら、
ゆすって自由に鳴らすことができます。
淡路島でこれだけの銅鐸がたくさん出土したのは、
銅鐸を集めた実力者が存在していたことになります。
銅鐸の作り方も展示されていました。
銅鐸を叩くために、銅鐸には、ひもがついていたようです。
ひもには固い金属か棒がくくられていて、
ひもをゆすると、銅鐸から音が出ます。
鋳型(いがた)を作って、
銅を溶かして流し込んで作っていたようですが、
古代では銅の素材自体が貴重品なので、
やはり実力者でなければ、
沢山の銅を集めることは難しいと思います。
ひょっとすると、銅の製造工場を作って、
全国に銅鐸を売りさばいていた販売ルートがあったのでしょうか。
各地で発見された銅鐸は、
1.加茂岩倉(かもいわくら)銅鐸 39点(島根県)
2.大岩山(おおいわやま)銅鐸 24点(滋賀県)
3.桜ヶ丘(さくらがおか)銅鐸 14点(兵庫県)
4.松帆(まつほ)銅鐸 7点(兵庫県南あわじ市松帆地区)
5.星河内(ほしこうち)銅鐸 6点(徳島県)
荒神谷(こうじんだに)銅鐸 6点(島根県)
6.柳沢(やなぎさわ)銅鐸 5点(長野県)
兵庫県には、桜ヶ丘銅鐸14点と、
松帆銅鐸7点があります。
銅鐸をたくさん作った人、
いわゆる実力者は誰だったのか、
たくさん作って、何かと交換するような商業的な思想はあったのか、
どうして今回まとまって見つかったのか、
まだまだ知りたいことがたくさんあります。
2016年7月10日(日)