明石市 中崎公会堂 100年の歴史です。 100年建っても、まだまだ現役です。
100年の歴史です。明石市中崎公会堂は、1911(明治44)年7月に建設された100年の歴史がありました。明石の人丸花壇でいい日だな(4)
100年の歴史です。明石の中崎公会堂は、
100年前に建てられました。
松葉眼科も、100年の歴史があります。
料理旅館 人丸花壇の駐車場で、
周りを見ていると、
すぐ近くに随分立派なお屋敷のような
瓦葺きの殿堂が見えます。
ここは、なんでしょうか?
さっそく次の訪問先が見つかりました。
車では、ほんの1分と言った所です。
中に入ってみると、どうやら公会堂のようです。
「中崎公会堂」です。
市民の為に解放されているこの公会堂は、
明治時代(明治44年/1911年)に建てられたようです。
1911年と言うことは、今年で100年を迎えています。
外観は日本古来の建物の様式ですが、
中に入ってみると洋風の要素も織り交ぜられていました。
建築当初は、「明治郡公会堂」と言う名前だったそうです。
公会堂が建てられて、一番はじめに、
こけら落としの講演会をしたのが、夏目漱石だそうです。
講演の内容は、「道楽と職業」というテーマで、
仕事は人の為にするものであり、
自分の好きなことを仕事にしても、
仕事にすると苦しいものであるという講演だったようです。
いい話です。
インターネットで検索すると、
道楽と職業の全文もでてきます。
読んでみましたが、なかなかいい話しです。
自由に中に入っていいものやら、
正面玄関で立ち止まって奥を眺めていると、
管理人の方が気軽に声をかけて、
「こんにちわ」と言われ、入っていいのですか?
と尋ねると、どうぞどうぞと、上にあげてくれました。
管理人の方が、この公会堂の天井は、
とても文化価値のある天井だそうで、
その筋の方は、天井の写真を
撮りに来られる方が多いそうです。
200人規模の人が入れると言う広間の仕切り戸は、
漆黒が美しい、洋風の雰囲気で作られています。
光がよく差し込んでいます。
この体育館のようなスペースでは、
剣道、空手、日舞、茶華道などに解放されているようです。
今日の夕方は、武道の試合があるそうです。
床が、体育館の床のように、
フローリング仕立てなので、
これは、張り替えたのですか?
と尋ねると、やはりそうです。
さすがに床は、100年も持たないようです。
管理人のご厚意で、照明を点けてくれました。
天井から大きな水銀灯の明かりが一斉に灯ると、
部屋の中が光り輝くように明るくなりました。
廊下の天井を見てみると、
太い丸太を使った木造の造りで、
とても筋肉質の力強さを感じます。
なんだか、奈良の古いお寺の造り方のようです。
これだけ強い木造建築なので、
1995年の阪神淡路大震災にも、耐えられました。
和風建築の神社だと、屋根が重くて、
屋根の重さで、地震に耐えられなくなった事例があります。
中崎公会堂は、現在、明石市が管理しています。
これだけの立派な公会堂は、
この先も貴重な文化財として、
残して欲しいと思います。
地震に耐えられても、次の心配は、火事です。
木造建築が、火事に弱いのは当然ですが、
最近の防火設備で、リスクはある程度回避できます。
廊下の隅に、中崎公会堂の屋根を葺き替えたときの、
昔の瓦と新しい瓦が、展示されていました。
新しい瓦は、型枠を使って作られたように見え、
昔の瓦は、一枚一枚が、手作りのように見えます。
明石市は、戦争で火災が起き、
あまり昔の文化財は、
駅周辺には残っていないと思っていましたが、
中崎公会堂のような、
立派な文化財が残っていることを知りました。
2011年10月13日(木)