私にもこんな時が、孫達と一緒に遊んで思い出すこと

投稿No:8225

私にもこんな時が、幼い孫たちは好奇心に溢れなんでも遊びの対象にして

私にもこんな時が、子供にもこんな時が

孫と遊ぶと、幼い頃の自分自身がどんな事をしていたのか、想像がつくことがあります。

全く同じ事をしていたことは言えませんが、同じ幼い頃なら、きっと私もこんな事をしていたのではないかと想像がつくことがあります。

幼い孫達のしている事を見ると、私自身の幼い時の思い出や、孫の親である、私の三人の子供達も、こんなことをしていたなぁと思い出す事があります。

幼稚園児や小学校の低学年では、今も昔も共通点が多い事が気が付きます。

何にでも興味があって、見つけたものを遊びにしてしまうことです。

私にもこんな時が、自転車に乗れた喜びが

自転車に乗る事は、言葉で教えたり、絵本を見せて教えても、習得できることではありません。

自転車を乗る事は体で覚えることです。

自転車に乗って、倒れないようにするには、バランスの取り方が分かればいいのです。

しかし、言葉で幼児に向かってバランスをとりなさいといっても、わかることではありません。

私にもこんな時がありました、自転車に乗れた時の嬉しかった思い出です。

バランスをとってみて、倒れそうになったら、介添えをして、倒れないように何度も体でバランスを取る内に、段々と自転車に乗れてくるから、不思議です。

一度習得したバランス感覚は、その後時間が経過しても、忘れることはありません。

体が覚えているからです。

私にもこんな時が、躾をされた時の思い出が

では躾はどうでしょうか?

しつけは、一度や二度の注意で躾が完成するものではありません。

その場その場のシチュエーション毎に教えるべき躾が違うからです。

例えば、ご飯を食べる前に、「頂きます。」というご挨拶の躾は、食事の時以外にも応用できるかと言えば、これは難しいことです。

人に会ったときや、何か頂いた時に、ご挨拶やお礼を言うことの躾は、食事の前の頂きますの躾とは、違っています。

危ないことをしない、危ないことを避ける、という危険回避の躾はどうでしょう。

自転車でバランスが崩れたら、こけて手や足に擦り傷をするという危険性は、階段を走って下りたり、横断歩道を左右確認しないで渡っていくという危険性に対しては、応用できるでしょうか?

危険回避については、その都度その都度こんなことをしたら危ないという事例の積み重ねが必要です。

二人の場合は、家と違うところに来ると、非日常性を感じて、テンションが上がっています。

私にもこんな時が、何かを見つけて遊んでいた時が

外にある色々な物を見つけて、見つけた物で遊べないか、色々考えたり、工夫をしています。

その中には、危険な物もあります。例えば、釣り道具です。

針が付いている釣り道具をむやみやたらに振り回していると、自分自身にも他の人にも針が当たると大変危険です。

ボール遊びをして、ボールを追いかけて、庭の外に出ると、外を走っている車に衝突する事も危険です。

ボールを追いかけていくときに、周りをみて大丈夫かどうかを判断する用心さも求められます。

孫達がしている危ないことに、私自身は注意をしなくても、孫達の両親が危険回避の為の注意をしてくれています。

これは、昔注意したことが、今教訓として生きていることです。

孫達の行動を見ていると、幼い子供達は、好奇心に満ちあふれていることが伝わって来ます。

何かを見つけては、それを試してみたい、使ってみたい、大人と同じような事をしてみたいという好奇心が、すぐに出てきています。

私にもこんな時が、何にでも好奇心がわいていた

好奇心は、その中からその子供が持っている、温室的な才能が育つ可能性もあります。

注意をするばかりでなく、何に興味を持っているのか、何に夢中になっているのか、その好き嫌いを見つけてあげること、そしてそれを伸ばしてあげるのも大切なことと思います。

孫達と一緒にいると、エネルギーの違い、好奇心の違いなどに触発される一日でした。

2019年4月7日(日)


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