インドの国宝、サルナート博物館のブッダの像のレプリカを、四国霊場 第一番 竺和山 霊山寺でもう一度拝観しました。

四国霊場 第一番 竺和山 霊山寺の本尊は、釈迦如来です。  徳島 (21)

今回の旅で、最後の霊場です。

四国霊場 第一番 竺和山 霊山寺です。霊山寺には、一度お詣りをしています。それでも、もう一度行きたかったのは、サルナート博物館で見たブッダの像を、もう一度見たいからです。

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創されました。

霊山寺公式ホームページによると、弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされました。

その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。

大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられました。

(以上霊山寺公式ホームページより)

松葉博雄も、インドでブッダが修業された、霊鷲山にお詣りして来ました。

あの、サルナートで見たブッダの美しい像のレプリカを、霊山寺ではインドから取り寄せて、お祀りしています。

あのレプリカは、どうすれば松葉博雄にもお祀りすることができるのか、お寺の関係者の方にお尋ねしたかったのです。

しかし、前回の時は尋ねることもできず、そのあともう一度霊山寺に行って、あのブッダの像のレプリカを入手する方法を、是非お尋ねしたいと思っていました。

もう一度、ブッダの像を間近に礼拝すると、レプリカとはいえ、素晴らしいブッダの像です。さすがはインドの国宝です。

思い切って、本堂の横にある事務所に行き、朱印状を書いておられる方に、ブッダの像のことについてお尋ねをしてみました。

その方は、住職にお尋ねして、後日、松葉博雄宛に必ずご返事をすると、約束をしてくれました。

携帯電話の番号を尋ねられました。松葉博雄は携帯電話をあまり使わないので、この場合は奧さんの電話番号をお知らせしておく方が、安心です。

しかし、奧さんの電話番号は、その場ではわからなかったので、一旦車の場所まで戻り、電話番号を尋ねてきます。

片山正喜さんは、これからスーパーカブで、四国を回るとき用に、巡礼用の服を購入していました。最初に片山正喜さんが巡礼に興味がないと言っていたときと比べると、随分と信心深くなっていました。

片山正喜さんと鳴門で別れ、松葉博雄と奧さんは神戸に帰ってきました。早速今夜、あめん棒で買った鮎の塩焼きを頂きます。

あめん棒で焼いて貰った鮎の塩焼きは、間違いなく天然鮎でした。天然か養殖かは、鮎の体型で分かります。

もう一つは、鮎の内臓を頂いたときに、苔を食べていたか、食べていなかったかでわかります。

穴吹川の天然鮎を頂きながら、霊山寺でお願いした、ブッダの像のことを考えています。

ブッダの像は、かなり重量がありそうです。期待通りブッダの像をお祀りできるようになったとしても、搬入と据え付けには、相当な人手か、重機が必要のようです。

果たして、サルナート博物館で見たブッダの像のレプリカは、入手できるでしょうか。

2014年8月28日(木)