1995.1.17 忘れない阪神淡路大震災 6日後(№7)

神戸大震災 さんプラザビルの崩壊したビルの中を、明かりの消えた店舗の中に入って、罹災の状況を確かめました。

1995.1.17 灯りの消えたさんプラザビル

さんプラザビルに入るには大平閣の横にある一般通用門から
さんプラザビルに入っていきました。

ビルの出入り口には黄色と黒のロープが張られ、無断で用のない人が
ビルの中に出入りすることを防ぐためにガードマンが警戒にあたっていました。

これは震災の混乱時に乗じて略奪や盗難が起きているので盗難の自衛策です。

噂ではデパートの貴金属・宝飾・高級品の売り場に、
略奪や盗難事件が起きている噂がありました。

ガードマンに私は身分を明らかにし、入館の目的を述べると
中に入ることができました。

灯りの消えた暗い階段を3階に上がり、勝手知ったる廊下を用心をしながら
店舗に向かいます。

途中、窃盗を働いていたり、盗みの目的で入っている人とばったり出くわして、お芝居のように
「この野郎、見られたからには生かしておけない。」
と言われて、包丁で刺されたり、鉄パイプで殴りかかられると困るから、
抜き足、差し足、忍び足で店舗にたどり着きました。

さんプラザの廊下の天井は落下して、配管が剥き出しに見えていました。

写真はその後、廊下に仮設照明がついて、廊下の様子が分かる状態ですが、
1.17直後の廊下は灯りはありませんでした。

どこに何があるのか、手探りで歩くような暗さでした。

 
「天井の落ちた3階通路」
 
 

店舗から貴重品の搬出

明かりの消えたさんプラザビルに震災後2回目の探訪を行いました。

今回の目的は様子をみるという前回の時と違い、これから再建に向かって
必要な大切な物や貴重品を盗難から防ぐという目的が変わっていました。

幸いにも、3階の我が社がある辺りには人影もなく、略奪にあったような
形跡もなく、ほとんど無傷で、鍵を開けて室内に入ってみると、
震災当日の日と何も変わっていませんでした。

売り上げの現金は無事にありました。有価証券も無事でした。

 
「当社前3階広場」
 

1.17大震災 職場の様子

改めて室内を見回してみれば、立てかけていたものは床に倒れ、
ガラスや陶器は割れて散乱し、光学器械も横転していました。

大事なコンタクトレンズの在庫は、ロッカーにしまっていましたが、
ちゃんと鍵をかけていたので、レンズには被害がありませんでした。

これなら、商品として無傷なので、すぐにでも販売が可能のように思いました。

別の部屋に行ってみると、容量が1トン以上もある海水魚用の水槽は床を這い、
かなり移動していました。

水槽の台にキャスターをつけていたので、倒れることもなく、
床を移動するだけで幸いにも横転はしていませんでした。

もし水槽が横転して1000リットルの海水が床に流れると、
階下のお店にご迷惑をおかけするような最悪は起きていなかったので、
ややほっとしました。

 
「当社事務室の罹災状況」

 

大震災の後の職場の様子は、地震により高いところから物が落ち、
辺りに散乱して、まるで泥棒が何かを探すためにあるものを
撒き散らしたような状況でした。

現金・貴重品の確保

わが社の事務所の社長室から現金、実印、銀行通帳、不動産権利書などの
貴重品をカバンに入れ持ち出しました。

銀行が閉まっている現在で、売り上げの現金を確保出来たことは、
当面必要な資金が出来たので、気持ちはうんと軽く弾んでくるようでした。

自分の物を保全しているにも関わらず、何か手当たり次第奪っていくような、
ドラマの役割を演じているような、役者になったような気持ちで
部屋の貴重品を探しました。

しかし私が持てる物は僅かな物で、本当に貴重なものくらいしか
持ち出すことは出来ません。

 
「明かりの消えた室内」

 

さんプラザの廊下は廃墟のよう

日の光があり真っ暗闇ではないものの、3階の廊下の部分にまでは光は届かず、廃墟の中の洞窟のような不気味な静けさと、蛍光灯の光のない自然の明るさを
改めて知りました。

貴重品を運び出し、もう一度戸締りをしっかり点検して、また来た道を戻り、
北区を通って湯の郷へ向かいました。

北区の町はネオンが灯り、六甲山を境に地震の被害の様相は
大きく違っていることを改めて知りました。

今日は再建のために必要な大切な物を確保することができたので、
震災後、初めて仕事らしい仕事をした満足感に包まれました。

1.17神戸震災へのお見舞い

湯郷に帰ってみると、岡山白陵高校に行っている子供の父兄の方が
早速お見舞いに来て頂いていました。

私は神戸に行っていたので直接お礼を申し上げることができませんでしたが、
早くも支援の手が差し伸べられたことを本当にうれしく思いました。

震災の中で自分が逃げ回っている間はなかったことですが、
少し落ち着いてくると周囲の人たちが私たちのことを忘れていないと
感じただけで本当に嬉しく思えるものです。


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