知っていましたか?三途川を渡る船賃がなければ、奪衣婆(だつえば)に服を脱がされるそうです。
四国八十六番 真言宗 志度寺の石碑が建っているあたりから見る五重塔は、京都のお寺めぐりのような、深い歴史が重なり合ったような光景でした。 四国八十八ヶ所巡り(9)
この志度寺は、他のお寺と違って、敷地の中に、視界を防ぐ壁が少ないことです。
境内の隅の方に、足を向けてみると、そこには古くから建っているようなお墓がありました。お墓の周りには、これも年代の古そうな、大きなクスノキが立っています。
法隆寺の夢殿のような、お堂がありました。お堂の周りには、毎日のように参拝する人が集まっているのか、名前の書いているバケツや、柄杓が用意されています。
次の表札には、
文化財愛護 県指定有形文化財 奪衣婆堂 江戸中期
指定 昭和59年8月14日 さぬき市教育委員会と書かれていました。
このお堂は何のお堂なのか、考えながら周囲をぐるりと回って、なにか、ヒントはないか見てみましたが、わかったのは、奪衣婆堂だったことです。
調べてみると、奪衣婆(だつえば)は、三途川の渡し賃である、六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼だそうです。(wikipediaより抜粋)
悲願金剛の像は、何を願っているのか、像の前には花が手向けられています。
かなり広い志度寺の境内を歩き周り、最後は奧さんが探している、納経所です。
入り口の右手の奥に、納経所がありました。お茶の接待所もあるようなので、この中に入っていきます。
石亭がありました。心の落ち着きそうな石亭です。
納経所でお札を頂き、一休みして、熱いお茶を一服頂きました。
志度寺を出る頃は、すっかりお天気は回復して、五重塔には、やや西に傾いた太陽の光が当たっていました。
寒い初冬の、あまり花も、緑もない、枯れた時期でしたが、志度寺の境内では、苗木がたくさんあって、その中には、サザンカや椿もあり、やや、色を添えています。
志度寺の説明です。正式名称は、補陀洛山 清浄光院 志度寺です。
地図です。仁王門をくぐり、参道を進むと正面に薬師堂、その左に閻魔堂があり、さらに大師堂があります。
1670年(寛文10年)に建立された本堂は、大師堂の左にあります。
四国八十六番 真言宗 志度寺の石碑が建っているあたりから見る五重塔は、京都のお寺めぐりのような、深い歴史が重なり合ったような光景でした。
これで、志度寺の参拝は終わります。次は長尾寺を回ります。四国八十八ヶ所巡りは、なかなかエンドレスな旅です。
2014年12月11日(木)