穂浪で、法事の後の食事会になりました。
穂浪の食事会では、半沢直樹の銀行に関わる話で賑わいました。 岡山(2)
法界院での法事が終わると、場所を移動して「日本料理 穂浪」でご飯をいただきます。
こちらのお店は、2007年10月にも訪問しています。この時は、家族プラス親戚の皆さんで、10人を超える人数でお食事をいただきました。
お店の佇まいは、以前来たときと変わっていません。
この和同開珎のような銭貨形の石も、以前来たときにもありました。マスの中に、口を入れれば、五は吾になり、隹は唯になり、矢は知るになり、一番下は、足(る)、になります。文字埋めゲームです。
頭の体操を入り口でしながら、石畳を進んでいくと、入り口に至ります。
玄関には岡山らしく、備前焼の大きな壺がありました。備前焼は、高い評価を受けています。
穂浪の看板は、これでいくつでしょうか?まず入り口にあり、
暖簾にあり、玄関を入ると、額にありました。それぞれ、微妙な筆遣いの違いがあります。
座敷に通され、故人の写真を床の間に飾り、これから供養のための食事です。
今日の法事は、親類縁者の集まりなので、話題は亡くなった方の思い出話が中心です。
有松潤一郎さんは銀行員だったので、銀行の話になり、そこから今話題のテレビドラマ「半沢直樹」の話に広がっていきました。
皆さん、半沢直樹のドラマを毎週観ているようで、半沢直樹の話で、会話は大いに弾みました。
有松潤一郎さんは、銀行の頭取になっても、家族の皆さんには、偉そうにしたらダメ、と言われていたそうです。
親戚の元銀行員の方の話は、より内情に詳しく、半沢直樹の物語の、あれは本当とか、あれは作り話とか、テレビドラマとは、また違った裏の話を聞けて、ますます会話は面白くなりました。
銀行員にとって、憧れは支店長ですが、支店長になると、奥さんは支店長夫人になるわけで、役員の方に挨拶に行くときは、一般には和服で挨拶に行くそうですが、この和服も、華美にならず、見劣りもしない、ちゃんとした和服を、支店長になったご主人が誂えてくれるそうです。
穂浪の食事を食べるより、松葉博雄は、流動食のビールが中心だったので、海老の天ぷらは、残してしまいました。もったいないので、折に詰めて持って帰りました。
最後のご飯も食べきれませんでした。ご飯の時に出た塩昆布がとても美味しく、この昆布は土産用として別売りになっているそうなので、買って帰りました。
穂浪の食事は、法事の供養として、和やかに、かつ楽しく終わりました。これも最後の締めは、このように皆さんが集まってくれて、3人の故人にまつわる話で話が弾んで、故人もさぞかし喜んでいることでしょうという締めになりました。
穂浪での食事の後は解散して、次に松葉博雄と奥さんは、せっかく岡山に来たのだから、株式会社メニコン 岡山営業所に寄ってみます。
岡山営業所の所長さんに、お会いしたかったのですが、突然の訪問だったので、営業のために、外出中でした。
2004年5月に、岡山営業所を訪れています。岡山営業所では、2人の女性が留守番をしていました。
所長が留守の時、留守番役の社員は、来訪者に対して、どんな対応をするのか、大変興味のある課題です。
我が社の場合は、社長が留守の時に、大切なお客様の来訪があったとき、どんな対応が出来るか、自問自答してみる必要があります。
2013年8月29日(木)