神戸大震災の時 駆けつけて、復興を手伝ってくれた元社員との再会 

投稿No:9834

阪神淡路大震災の時 駆けつけて、手伝ってくれた元社員。約30年ぶりに元社員の荒川さんと再会 時を超えた絆の大切さ 

結婚退職した元社員

本日は、荒川(旧姓山口)さんが

社長の私と、奥さんであるマネージャーに

会いに事務所に来てくれました。

彼女は、メルスプランの会員として

レンズを受け取りに来られました。

長らくお会いしていなかったので

彼女からその後の生活とか

わが社のその後の話をしたいと思っていました。

彼女はスタッフ3名の頃の、

1995年の震災前、

会社のスタッフが谷野さん、大渕さん、荒川さんの

僅か、女性3人程度しか居なかったときのメンバーです。

スタッフ3名の頃は、

スタッフも3人程度だったころは

私を含めて、4名で全ての店舗運営をしていました。

開店準備から始まり、受付、視力測定、レンズの取説、清算

顧客管理、PC入力、DM作成、在庫補充

メーカー担当者との交流、閉店作業まで

1人の役割があれも、これもというほどの

多岐にわたって分担していました。

スタッフとは家族のように

付き合いをしていたことを思い出します。

お昼を食べるのも一緒だったり

帰宅も同じ阪急電車で一緒っだったりしていました。

韓国旅行やお花見、日々の小さな出来事を

共に笑い、時には悩みを分かち合っていました。

私と奥さんの子供3人を、

会社に連れてくることも多く

荒川さんは、長女、次女、長男のことも覚えていて

幼いころの子供たちのことも話題になりました。

荒川さんの結婚の時には、

大阪梅田の丸ビルでの結婚式にご招待を頂き、

主賓のスピーチをしたことを

今でも覚えています。

冗談が言い合える仲で、

彼女のいる職場はいつも明るく、

活気に満ちていました。

そして彼女が退職してから

30年程経ったある日、荒川さんは

会社の事務所に、訪れてきてくれました。

荒川さんを一目見た瞬間、

時が戻ったような不思議な感覚です。

彼女は変わらず明るく、元気な姿で安心しました。

荒川さんとの一番の思い出は、

1995年の阪神・淡路大震災は、

多くの命とともに、

数えきれないほどのビジネスにも

深刻な影響を与えました。

私たちの小さな店舗も例外ではなく、

さんプラザビルでの営業が不可能になりました。

しかし、この試練の中で、

人々の絆と持ち前の頑張りが、

私たちのコミュニティを救いました。

やはり、阪神淡路大震災後の大変な時期に

お手伝いをしに来てくれていたことです。

阪神淡路大震災が起こった1995年1月17日は

実は、荒川さんは結婚により既に

退職をしていたのです。

退職する彼女を送り出した日、私たちは

荒川さんの新たな人生を心から願いつつも、

寂しい気持ちでいっぱいでした。

震災が起こり、

さんプラザビルで営業ができなくなり、

神戸市役所に近い仮設店舗で営業をすることになった時、

当時働いていたスタッフは、

交通機関が止まったり、神戸から

離れてしまった人が多く、

人手不足に陥っていました。

震災直後、交通機関の麻痺と、

神戸からの避難者の増加により、

スタッフ不足に直面しました。

この困難な時期に、

神戸市役所に近い仮設店舗での

営業再開の見通しを立てることができましたが、

人手が足りませんでした。

過去からの手を差し伸べ

そんな中、結婚して退職していた荒川さんから、

「何かお手伝いしましょうか?」

という連絡が入りました。

彼女は、私たちが直面している

人手不足の問題を解消するために、

協力することを申し出てくれたのです。

そんな時、結婚して退職をしていたのにも関わらず、

お手伝いと言う形で、

働いてくれるというのです。

震災直後は、

神戸三宮

ほとんどの電車やバスが止まり、

公共交通機関は麻痺していました。

彼女は当時、豊中に住んでいて、

三宮まで来るのは大変でしたが、

なんとか使える公共交通機関を探し、

お手伝いに来てくれていたのです。

震災後の1~3月は日が暮れるのが早く、

早めに帰宅してもらわなければなりませんでした。

働ける時間は限られていましたが、

荒川さんはその限られた時間で

精一杯の努力をしてくれました。

震災前に働いていた彼女の知識は、

私たちにとって非常に貴重な戦力となりました。

交通手段は限られていて、制限もあるので、

バスを1~2時間程待って、

やっと、乗れるか乗れないか、

といったような状況でした。

震災でレンズを求めている顧客を救いたい

三宮のほとんどのコンタクトレンズの販売店が罹災すると

困っているのはレンズのユーザーです。

困っている人たちのお役に立ちたいと

お手伝いに来てもらえることは

とても勇気づけられました。

でも、荒川さんは、出勤と帰宅困難者でした。

日が暮れるのが早く、

夕方には外は真っ暗になってしまいます。

あまり暗い中は危ないので、

早めに帰宅してもらっていましたが、

三宮へ来るのも大変なので、

働ける時間は限られています。

その限られた時間の中、

荒川さんは精一杯頑張ってくれていました。

震災以前に働いてくれていたので

知識もあり、重要な戦力になってくれて、

とっても助かったのです。

たくさん、昔話をしました。

時間を忘れて、当時のことを

たくさん話しました。

一緒に過ごした時間は、まるで

昨日のことのように鮮明に蘇ってきます。

荒川さんの明るい、素敵な部分は

何も変わっていません。

当時のことを思い出しながら、

あの頃の若かった私たちを懐かしみました。

彼女が結婚してからの話、

子供の成長の話など、

話は尽きることがありませんでした。

荒川さんは、

メルスプランができたときに

我が社で会員になっており、

20年以上たった今も、会員で居続けてくれています。

たまに、眼科には来ていたそうですが

今回、田野主任が、私達が会いたがっていることを

伝えてくれたそうなのです。

それを機に、事務所まで足を運んでくれました。

実際にこうして会いに来てくれて

とても嬉しく思います。

時が経っても変わらない関係を

感じることができた一日でした。

荒川さんとの再会は、私たちにとって

かけがえのない時間となりました。

時を超えた絆というものは、

大切なものなのだと、改めて

実感することができました。

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