沖縄本土復帰 2022年5月15日は復帰50周年記念日 初めての沖縄の思い出

投稿No:9362

沖縄本土復帰 50周年 記念日 50年前の沖縄 初めての沖縄の思い出

沖縄本土復帰 50周年 記念式典

沖縄県は、2022年に本土復帰50周年を迎えます。

沖縄の本土復帰50周年という歴史的節目の年を記念するとともに、

沖縄の一層の発展を記念し、

国と県の共催により、沖縄復帰50周年記念式典を開催されます。

日時 令和4年5月15日(日) 午後2時

会場 沖縄コンベンションセンター(沖縄県宜野湾市真志喜4-3-1)

沖縄国際映画祭

わが社でも沖縄本土復帰50周年を記念して、

5月のさんぷら通信は

沖縄本土復帰50周年記念「おすすめの離島」特集を企画しました。

復帰前 上陸にはパスポートが必要

沖縄返還は1972年でしたが、

私は、それよりも5年前

1967年に、初めての沖縄訪問の為に、

パスポートを取得しました。

これが、第一回目の沖縄訪問で始まりのパスポートです。

1967年のこの当時は、

沖縄は琉球政府の統治下にありました。

第1回目の沖縄訪問は、

パスポートを使って訪れています。

神戸港から船で沖縄本島の泊港に停泊し、

沖縄に初めて上陸しています。

1967年11月4日の日付のスタンプが残っています。

再上陸したのは同じく1967年11月21日でした。

沖縄訪問のはじまりは1967年です。

沖縄訪問は琉球政府の時代からです。

もう55年も経過しました。

琉球政府の沖縄石垣島へパスポート入国審査を受け上陸、

沖縄の美しさに感動しました。

初めて沖縄訪問したときは、

沖縄は戦後のアメリカによる統治下にあり、

琉球政府の通貨は米国ドルでした。

1円〜アメリカ ブルーシール ドル紙幣 米国 紙幣 1ドル札 幸運 Lot3417

切手は琉球政府が発行していました。

【沖縄切手】「守礼門復元記念」切手シート 1958年【琉球切手】

沖縄へ行って分かったことは

アメリカ軍によって琉球政府が創設され、

日本本土とは分離した行政機構をもっていました。

沖縄訪問でわかったことは、

車はアメリカ流に右側通行、

切手は琉球政府の発行する切手、

市民が使っているお金はアメリカドルでした。

神戸から出港した船は、

神戸港を出発すると途中、

瀬戸内海、鹿児島、奄美大島、沖永良部島の奄美列島を経由し、

那覇の泊港に入港しました。

沖縄訪問のために、

沖縄に上陸するにはパスポートがいるのです。

沖縄訪問のはじまりは、

入国審査を受けてパスポートにスタンプを押してもらい、

そして沖縄に上陸できるのです。

飛行機なら2時間程度ですが、

船旅は途中で寄港するので2日ほどかかりました。

1967年当時の沖縄の写真

 

沖縄の海の玄関口、

泊港に停泊した大島海運の貨客船の写真を写していたのです。 

沖縄本島は短い滞在で、

すぐに沖縄本島から離れた石垣島に向かいました。

はじめての石垣島

はじまりの石垣島では

色々と石垣島の観光に回ったのですが、

これも写真があまり残っていません。

ブラブラと石垣に囲まれた、

集落の中で散歩をしているときの民家の写真が残っています。

今見ると民族博物館に展示されているような石垣島の民家です。

石垣島の民家は、普通の家は藁ぶき屋根です。

屋根の上にはロープで縛り、

石を積んで風に飛ばされないように防備していました。

石垣島は猛烈な台風の風を受けるため、

かやぶき小屋でも屋根は竹を使い、

紐でくくり、しっかりと防風対策をしています。

石垣島の民家の垣根には、

初めて見るブーゲンビリアやハイビスカスの花が咲き、

これが南国か、と美しい花に感動しました。

石垣島の川平湾に行く途中では、

草原には水牛が放牧されて本土で見る牛とは、

色といい角の形といい大きな違いに驚きながらも、

ついちょっかいを出して

草を摘んで牛に誘いをかけてみました。

石垣島の由来は、

台風に備えて家の周りに石垣を積んでいる風景から

「石垣島」になったのではないかと、容易に想像つきます。

集落の中で子供たちが11月でも

シャツ一枚で遊んでいる中に入っていきました。

沖縄はパスポートが必要であっても、沖縄は日本国内です。

言葉はちゃんと会話できます。

石垣島の子供たちがお金の数え方を話しているのを

そばで聞いていると、一銭、二銭、十銭と呼んでいるので、

最初は何のことかわかりませんでした。

確か一銭は明治の時代の筈、と考えていたら、

わかりました、わかりました。

1ドルの100分の1が1セントです。

この「セント」を「銭」に聞こえたのです。

「セント」と最後まで言わないで

「セン」だけだったので、わからなかったのです。

石垣島の民家の前の道端に座り込んで、

縄を使って子供たちは時間を忘れて遊んでいます。

石垣島の子どもたちと、

子供たちの遊んでいる様子を見ながら

少しずつ打ち解けて話を聞いています。

後ろには風除けの石垣が積み上げられ、

その後ろには民家があります。

家の庭にも暴風林が植えられ、

日常生活の中で台風への備えが伺えられます。

ちょっと庭からおうちの方に声をかけても、

石垣島の人は気軽におうちに入れてくれます。

本土の神戸から来た事を言えば、

縁側に座ってお茶も出していただき、

もてなしてくれました。

石垣島の自然の美しさ

「芭蕉布」の歌の歌詞にあるように、

~ 海の青さに 空の青 南の風に 緑葉(みどりば)の ~

このイメージに、私は魅了されてしまいました。

気候の暖かさ、人情、食べ物、草や花の美しさ、

エメラルドグリーンの海、砂浜、寂しそうな三線の音や、

うきうきするような太鼓の音、目に見えるもの、

手に触れるもの、口に味わうもの、耳に聞こえるもの、

肌に感じるもの、鼻に匂うもの・・・、

沖縄の色々なものが私を魅了し続けます。

1967年から既に180回以上は、本島をはじめ、

周辺の離島、八重山諸島、石垣島、西表島など、

ほとんどの島を訪れました。

はじまりの、沖縄を好きになったのは、

最初のこの出会いからと思います。

沖縄訪問はこの後どんどん続いていきます。

沖縄訪問記 関連記事 アーカイブ