思い出したくもないけれど、忘れてはいけない阪神淡路大震災の教訓です。

思い出したくもないのは天災で、忘れてはいけないのは、震災復興の努力です。  淡路ツアー (1)

淡路島の山頂部分の峰をドライブしていると、突然霧がかかり、大雨が降りそうになってきています。

山頂部分の稜線を走っていると、海岸部には見られない景色が現れてきました。その一つは、高原に立ち並ぶ、別荘の棟々です。こんなところにハイカラな別荘が建っているなんて、知りませんでした。

山の峰には、深い霧のような雨雲が、行く手を深く隠しています。これなら前照灯をつけないと、対向車に気がついて貰えなくて、衝突の危険があります。こんな時はゆっくりゆっくり前進して、前照灯を点けて進みます。

やや平地に移動すると、先ほどの霧と霧雨は、もうついてきていません。回りは田植えが終わった水田が広がっています。水田は回りの景色を映し、逆さまの光景をあちらこちらで描いています。

東海岸から稜線を越えて山越えすると、向こうに見えるのは西海岸の播磨灘です。

何のあてもなく稜線越えをすると、行く手に阪神淡路大震災の震災記念館がありました。

このあたりは、阪神淡路大震災を引き起こした、野島断層のあたりです。野島断層の亀裂から始まった阪神淡路大震災は、神戸にも、阪神地区にも、大きな被害をもたらしています。

気持ち的には、あの阪神淡路大震災を思い出すような展示物を見るのは、気が進みません。何しろ、会社のある三宮のさんプラザビルも、住んでいた自宅も、両方とも地震で傷ついたからです。

それでも気を取り直して、奥さんと相談して、一度ぐらいは記念館を見ておこうと、北淡震災記念公園に来ました。

松葉博雄の社長研究室にも、阪神淡路大震災の復興記事があります。

記念館は、震災の状況を伝えるための公共施設です。震災を忘れないように、語り次ぐために残すのであれば、入場料は無料にするか、うんと安くするべきですが、なんと入場料は大人700円です。

明石大橋を渡る利用料金は、2300円から900円に値下げされています。あの巨大な施設の利用料が900円で、震災博物館が700円というのは、どうも釣り合わないように思います。

まずは、野島断層保存館です。エントランスホールには、国道43号が倒壊した様子の再現模型、震災当時の写真パネル、活断層の地図があります。

断層保存ゾーンです。この保存施設は、建物の中に、地震の後を再現したのではなく、地震の跡地に、片手物を建てて、当時の地形をそのまま保存しているそうです。

地震で現れた国指定天然記念物・野島断層を、ありのままに保存・展示し、いろんな角度から断層を分かりやすく解説しています。

もし、この保存施設の建物がなければ、当時の地表や住宅区画は、その後の風雨にさらされ、自然に劣化し、今の20年後には、当時の状況から、かなり変わっているかもしれません。

分かりやすかったのは、断面図です。保存館に残っている地層の端の部分の横断面を、横から見えるように展示してくれています。

「神戸の壁」は、第二次世界大戦の神戸空襲に耐え、阪神・淡路大震災では、地震と火災に耐えた、神戸市長田区若松町の公設市場の防火壁です。

震災の記憶を風化させないために、阪神・淡路大震災の教訓を末永く後世に伝える北淡震災記念公園に「神戸の壁」を移設し、震災から得た教訓と防災に対する意識を発信させます。

地震断層が横切る民家をメモリアルハウスとして、保存しています。

家の塀や花壇の煉瓦がずれた様子や、地震直後の台所が再現されて、展示されています。

松葉博雄の家も、この展示の状態と殆ど同じような状況でした。

説明案内を見ると、日本という国土は、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートの、4つのプレートがぶつかり合っている、地震多発地帯です。

悲惨な状況を伝える、震災記念博物館から出て、外を見ると、雨天から晴天に、お天気は変わっていました。

このあたりは、風が強いのか、風力発電機が建てられています。

これから、昼ご飯をどこで食べるか探していきます。震災当時は、食堂は全てお休みで、自分の食事は自分で考えるのが、震災の初日と、2~3日の間でした。

そう思えば、僅か20年で、平穏な生活に戻れたことを、感謝しないといけません。

2014年6月12日(木)