復興支援物資を求めて:阪神淡路大震災後:19日目(前半)~

神戸市役所の地域医療課へ行き、松葉眼科の再開をマスコミに伝えて頂くよう、お願いしました。

我が社が復興オープンしたことを広く罹災者に向けて伝えにいくために、市役所本庁6階の地域医療課を訪問しました。

ここでは、医療関係に関する復興の状況を把握し、その情報を新聞社やラジオ局へ伝え、新聞・ラジオから私たちの復興を伝えてもらうために訪れました。この行動は後日、新聞、ラジオにより予想どおりの効果が表われてきます。報道を通じてさらに支援の声が届くようになりました。

「祝・今西ビルでの営業再開 」

 

市役所もこの緊急事態に大忙しのようでした。全国から届いた医療関係の支援物資も地域医療課が情報を持っています。すぐにいただける医療用綿花、消毒用ウェットティッシュ、ガーゼなどは市役所でいただいてきました。

さらに、必要な物は、今のところ分散して学校の体育館に保管しているので、そちらに受け取りに行ってくださいと言われました。眼科の診療をしていく上で、緊急用の医療用具が届いているようです。

三宮の近くであれば、新幹線新神戸駅の近く、生田川の川沿いにある若菜小学校に行ってくださいと言われました。メニコンからケア用品が送られているので、それを探しに行きました。

イメージ画像「校庭での避難の様子」
サンデー毎日臨時増刊号、毎日新聞社

若菜小学校に歩いて行ってみると、教室は罹災者の方の避難施設になっていました。ダンボールで仕切りをし、タタミ2畳分ぐらいで、人が横になって寝て、そばに最低の生活用品を置くぐらいのスペースが一人分の避難所になっています。

避難所の食事は、お弁当が支給されていました。お弁当も毎回ほぼ同じような内容の食事なので、皆さんは炊き立てのホカホカの白いご飯を食べたいことと思います。

もちろん私も今は、お昼は近くの市役所に行き、市役所で支給されるお弁当を毎日いただいています。

もちろん私も今は、お昼は近くの市役所に行き、市役所で支給されるお弁当を毎日いただいています。

 


 

イメージ画像「体育館での避難の様子」
アサヒグラフ臨時増刊号、朝日新聞社

ボランティアの方に尋ねて、支援物資が置いてある場所の体育館を探して行きました。

「ここにあります。探してください」と言われた体育館には、フローリングの床の上に4、5メートルもある支援物資が山となっています。どの支援物資も、ダンボールに入り、ガムテープや紐で包装され、中に何が入っているのかまだ仕分けもされないまま、山積み状態になっています。

この山のような支援物資の中から、求める医療用具やレンズのケア用品を見つけることは、とても私一人で短時間にできることではありません。

(新聞紙山積み写真)

まさしく宝の山に入ったものの、為すすべもなく、あきらめてため息をついて座り込んでしまいました。

この全国から集まった温かい心のこもった支援物資は、欲しいと思えば、今いただけるのですが、神通眼でもなければ、中身は確かめようもありません。きっとこの中にメニコンから届いているケア用品やレンズに関する支援物資があるはずなのです。

あきらめきれない気持ちを引きずりながら、しばらく考え込んで、未練を断ち切り、若菜小学校をあとにしました。

イメージ画像「校庭での避難の様子」
サンデー毎日臨時増刊号、毎日新聞社

校庭にはたくさんの避難している家族の方と、全国から集まりつつあるボランティアの皆さんが何か忙しそうに、復興に向けて協力をしている姿が見えました。

ボランティアの方はたいてい若い方でした。気持ちは先走って何かをしなければと思っていても、何をどのようにすればよいのか指揮者が必要のようでした。若い体力のある人たちを的確に動かす経験のある現場指揮者がいるかいないかで、大きく効果が変わるように思いました。

このようなボランティアの活動を今まで見る機会がありませんでした。自衛隊や警察、消防隊などの政府系の支援が、人体に例えて言えば、主血管の役割に対し、民間のボランティアの人たちが毛細血管のように、血管の先端として体の隅々に入り込み、大切な酸素を供給しているように感じました。

 


この日の出来事は後半へ続きます…

阪神淡路大震災19日目:1995年2月4日(土)



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