大阪府立大学大学院社会人大学院:講義『関西経済論~講師は宮本勝浩教授です~』

大阪府立大学大学院に2005年4月から入学し、同期生の皆さんと沢山の履修科目を一緒に履修し、共同研究や共同発表などを行いました。さらに、レポートの作成には、お互いに資料を集めるための情報提供を求めたり、提供したりすることもありました。

このような中から、当初、見知らぬ人たちが、徐々に打ち解けていき、友達になり、さらに共同研究者に関係が発展していきました。ホームページの掲載については、事前に閲覧をいただき、了解をいただいき、日付を遡って掲載をさせていただきます。掲載をすることにより、学生相互の理解と交流の活性化につながることを期待しています。さらに、社会人として先生と生徒との関係だけでなく、良き社会人同士としての交流が深まれば、府立大学のサテライト大学院に来てよかったという喜びになるかもしれません。

このような理念の下に、前期の講義の中から、一部を紹介させていただきます。このホームページへの掲載を許可してくださった先生方に、あらためて感謝とお礼を申し上げます。このホームページの記事が、これから社会人大学院を目指す人たちに資することがあれば幸いです。


 

2005年4月9日(土)今日の講義は、関西経済について、特に著名な宮本勝浩教授の講義がありました。

宮本教授は関西の経済について詳しく発表されています。その中で特に有名なのは、阪神タイガースが優勝すれば経済効果はこれだけある、と2年前に発表されたので、当時の阪神が星野監督の下で優勝したこともあり、とっても大きな話題として、テレビなどでも採り上げられました。宮本教授の話は、大阪の経済的な地盤低下の問題、その原因は何か、そしてその原因はどうすればできるか、ということについてお話をされました。

簡単にお話しますと、大阪の最盛期は戦後の万国博覧会の時がピークだったそうです。その当時は日本のGDPの約10%くらいを大阪が占めていたそうです。それが現在では8%ぐらいになっています。現在、年間のGDPはおよそ500兆円ですから、2%下がれば10兆円ほど少なくなっているということです。しかし、このような低下傾向のなかで、近畿の中では滋賀県だけは伸びています。

歴史の話になりますが、大阪の経済の活性化の功労者として、秀吉が大坂城を作り、米市場を開き、運河を拓いた、ということを評価しています。秀吉と信長は経済がよくわかった武将であるという話でした。

大坂城を作ることは、当時としては巨大な公共工事でしたから、常時作業にあたる人がおよそ3万人くらい集まったそうです。そのために食べるお米のお世話が必要で、米を集めるという課題がおきました。そこで、大坂では高い値段で米を買い付けたことで、全国からお米を売るために大阪にお米が集まったそうです。

秀吉が行った有名な話で、備中の高松城を攻めた時の話があります。とても難攻不落な城で、攻めるに難しい時に、秀吉は壮大な計画を立てました。それは、土嚢を積んで、足守川の水を城の周りに入れて、城を水攻めにしようということを考えたそうです。土手の規模は、底辺が40m、上辺が20m、高さ10mの堤を4km。これをたったの12日間で完成させました。

軍師の黒田官兵衛の予想では、2年かかるだろうと予想していたそうです。秀吉の偉いところは、着眼力です。土手を作るその時に、土地の百姓から俵に入れた土一俵を米一升、銭百文で買い付けたそうです。これだけのインセンティブを付けると、当時の土地のお百姓さんは、先を争って俵を持ってきました。それで、あっという間に水攻めが成功し、城主の清水宗治が切腹してお城が陥落しました。

しかし、その切腹した時にはすでに本能寺の変が起きており、毛利方はそれを知らないまま和睦に応じてしまいました。やはり秀吉はついている、ということになります。この話は、秀吉が経済がよく分かっているということを意味しています。人の気持ちを掴む為にはインセンティブを付け、時間をかけるよりも、やや高いレートで時間を短縮し成果を早く出したことになります。まだまだ沢山の話が出ました。大阪を強くするにはどうすればいいか。

それは色々沢山の問題があるので、すぐには答えは出ませんが、結局、人が集まる、あるいはお金が集まるには、仕組み作りというものが必要になります。

それでは、大阪経済がなぜ地盤低下しているのでしょうか。宮本教授の講義では、東京に権力が集中したことにあるということです。権力とは、行政による許認可権です。たとえば、実際にあった例ですが、数十年も昔のことですが、地方の小さな銀行の頭取が、旧大蔵省に何かの許認可をもらいに行きました。

大蔵省の役所では、たとえ頭取が来られても、事務員がおもむろに新聞を読み、そろそろ話しを聞いてやろうかと思うまで、頭取は直立不動のままで役人の前で立って待っています。もし、この時に「早くせんかい」と言おうものなら、たちまち険悪な雰囲気となり、許認可のための判子をもらうことは難しくなります。

現在では改善がなされて、このような対応をされることはありません。もう一つの例では、中央官庁に許認可の判子をもらいたいと書類を提出したとき、判子の写りが悪いということで、もう一度大阪に戻って書類の作りかえを指示された会社がありました。

そこで、その会社は霞ヶ関より30分以内に会社に戻れる場所に本社を大阪から移転しました。このように、霞ヶ関に近いところに会社が移ることで、大阪から東京へと本社を移した例が多くあるようです。これでは、大阪経済の地盤低下も無理もないという、わかりやすい講義でした。

2005年10月12日 松葉博雄