今の時代に生まれてきて良かった。徳川家の為の、封建時代に生まれなくて良かった。
徳川家だけが偉かった、身分制度の厳しい時代に生まれなくて、良かった。道ばたの土下座なんて、したくない。 U君と静岡県熱海市(10)
「箱根の山は天下の険で、函谷關も物ならず」と言われます。その厳しい箱根の関所を再現した、観光名所があります。
次は箱根の関所です。よくある、顔だけ出して写真を撮れる看板がありました。U君はお姫様の看板から顔を出したり、侍から顔を出したりしています。お姫様は、まだ身長が足りなかったようです。
先日の雪がまだ残っています。これからだんだんと温かくなってくるので、今年はもう、雪を見る事はないかもしれません。
昔の箱根はこんな感じです。写真に残っていました。藁葺き屋根で、おそらく明治の頃の写真でしょう。
今の関所です。映画のセットのような関所です。入場券を払って中に入ると、箱根の関所があった時代を再現しています。
厩です。馬小屋と物置を兼ねていて、空いた場所に掃除道具や火を消す道具などが納められていました。
関所の改め処です。
昔江戸時代に徳川幕府が心配したのは、入鉄炮出女です。鉄砲が入っていることに対して、非常に気を遣っています。
大名から、人質に取っている女性が、江戸からこっそり国元へ出て行くことに対して、とても警戒していました。
箱根を通過するには、通行手形が必要です。通行手形は、武士と庶民では違います。
通行手形の発行は、武士の場合は藩庁に申請していました。そして、庶民の場合は在住地の町役人・村役人または菩提寺に発行を申請していました。
通行手形には、持参人の身元、旅行の目的、関所通過の要請、関係諸官への便宜・保護要請、発行者の身分所在地等、などが記載されていたようです。
脅しのための、武器が並べられています。鉄砲と弓です。
参勤交代で箱根を通る、大名行列の絵がありました。この場合は土下座です。昔の人は大変です。雨のぬかるみの時には、土下座はどうするのでしょうか。
箱根の石畳を、大名行列は、隊列を作って進みます。
あとで石畳を歩いてみましたが、でこぼこで足場の悪い道です。篭に乗る人も、篭を担ぐ人も、大変だったと思います。
箱根の関所には、昔の色々な写真や文化財、土産物などの展示物がありました。
関所とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設です。現代で言えば、税関のようなものです。
明治時代になると、箱根十七湯を中心に道路網や交通機関、発電所など、さまざまなインフラ整備が急速に進みます。また外国人たちの来遊や、別荘の登場など、観光形態も多様化していきます。
その中で、温泉の利用技術の進歩もあって、各地に新たな温泉場が開かれていったそうです。(箱根町観光情報サイトより)
段々平和になってくると、江戸の街から、伊勢にお参りに行く人も増えてきました。伊勢のお参りは、江戸の庶民にとってみたら、現代の外国旅行のような物です。
今度は千石平の方に行きます。
途中、箱根からも雪を頂く富士山が見えました。やはり何度見ても富士の山は、素晴らしい景色です。
2014年3月21日(金)