らーめん熊五郎 神戸三宮さんプラザ店のお店が、長く続くには理由(わけ)があります。
らーめん熊五郎 さんプラザ店のお店が、長く続くには理由(わけ)があります。①美味しい味の工夫、②お客さんの入りやすいお店造り、③接客の良さ です。らーめん熊五郎 三宮さんプラザ店が長く続くわけは?
ラーメン熊五郎 さんプラザ店
長い間お店が続くには、理由(わけ)があります。
①美味しい味の工夫、
②お客さんの入りやすいお店造り、
③接客の良さ です。
さんプラザビルのらーめん熊五郎は50年の老舗です。
熊五郎のラーメンを初めて食べたのは、
もう50年以上前の事です。
らーめん熊五郎三宮店は、
1970年にオープンしているので、
さんプラザコンタクトレンズのオープンと、ほぼ同じ頃です。
さんプラザビル1階にあり、
昼休みに食べに行くのは、
近くてとても便利でした。
らーめん熊五郎からも、
スタッフの方がコンタクトレンズの
購入に来てくれていました。
らーめん熊五郎さんプラザ店の創業期
1970年代のころは熊五郎の醤油ラーメンは、は200円でした。
それにご飯が50円で、250円で昼食代が済む時代でした。
美味しいので、毎日のように食べていると、
奥さんから、ラーメンとご飯のたんぱく質の組み合わせは
考えた方が良いよと言われ、回数を減らしたこともあります。
その後、熊五郎に足が遠のいた時代があります。
きっかけとなったのは、
1995年1月の阪神淡路大震災です。
しばらく熊五郎も閉店していました。
さんプラザコンタクトレンズの本社事務所が、
さんプラザビルから、
センタープラザビルへ移転したのは2000年ですが、
移転により更に足が遠のきました。
らーめん熊五郎へ久しぶりに来てみると
今日、しばらく振りに熊五郎のらーめんが懐かしくなり、
お店に行ってみました。
壁にかけている
「或る女が ゴーガンの絵と
桔梗をもって 来てくれた 秋の日に」
の文章は、熊五郎が
センタープラザビル1階の別の店に掲げていた額です。
そのお店は閉店しましたが、
額だけは捨てないで、
熊五郎に今でも掲げています。
熊五郎の名前をイメージする、木彫りの熊 2体は、
今でもラーメンを食べる人を見続けています。
今の熊五郎の醤油ラーメンは、あさりでも、豚骨味
今日の醤油ラーメンは、あっさりですか?こってりですか?
と尋ねられました。あっさりにしました。
あっさりでも、少し豚骨味が伝わってくるようなスープでした。
40年前の醤油ラーメンの味のなごりが、
わずかに残っていました。
でも、全く同じ味ではありません。
やはり、時代と共に醤油ラーメンも変化しているのです。
らーめん熊五郎を支えている客は、パチンコ客
40年前は、男性ばかりのお客さんでした。
中でも、向かいのパチンコ屋さんから、
パチンコを打つ合間に、
腹ごしらえに、パチンコ台からちょっと離れて、
大急ぎでラーメンを食べて、またすぐに、
パチンコの台に戻る人が沢山いました。
それで、男性客が多かったように思えます。
麺は、やや太めのストレート麺です。セット物は、
半チャンラーメンになっていました。
半チャンとは、焼き飯が半分サイズで、
600円の醤油ラーメンが、
半チャンセットで720円になります。
40年経つと、ラーメンの値段は3倍になっています。
熊五郎の天津飯
噂では、熊五郎の天津飯は、中のご飯が白ご飯ではなく、
焼き飯になっています。
焼き飯の天津飯は人気メニューで、
とても美味しいと言われています。
これも味のイノベーションです。
40年も飲食店が続くのは、三宮では珍しい例です。
それには固定客が沢山いる事が分かります。
熊五郎がとっても流行っていた時代は、
寸胴で炊くラーメンスープがどんどん減っていくので、
廊下の作業場でスープを作っていた時代もありました。
今ではビルの管理上、多分許されないと思います。
まとめ 一般に流行っているお店のお客様は、
①お店のファン
②味のファン
③店主または従業員のファンの3つに分かれます。
熊五郎は①と②のように思えます。
かなり何度も通った店ですが、
どなたがオーナーなのか、今でも分かりません。
調理場で働いている人は、いつも若い人ばかりでした。
この方が熊五郎のオーナーかなぁ?と思えたことがありません。
さて、どんな方でしょうか?
2012年11月10日(土)