瀬戸内海の大きさは、中国大陸の河くらいです。(李鴻章談話)

倉敷と坂出をつなぐ瀬戸大橋は、電車と車の2階建て橋脚です。岡山倉敷歴史の街散策(7)

造船所の経営するホテルの朝食は、バイキング方式でした。一晩、倉敷シーサイドホテルに泊まって、翌日の朝です。朝は、ホテルの朝食バイキングで頂きます。朝食バイキングのレストランも、金波楼です。

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松葉博雄は、洋食がだめなので、和食を中心に選んでお皿に乗せています。

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あれやこれやあるので、いろいろ食べたくなって、たくさんお皿に乗せてしまうと、後で食べられなくなってしまいます。少しずつ乗せて、食べる量を調整しています。

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松葉博雄の朝ごはんです。残念なのが、漬物がなかったことです。

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コーヒーは、アメリカンで頂きます。

外を見ると、今日も雨です。不思議に感じることがありました。普段、同年代のシニア層が中心の平日の旅行に、小学生の団体およそ30人くらいが先生に引率されて、食事をしています。どうやら、修学旅行のようで、造船所の見学が修学旅行のコースに入るとは、昔とは変わったものです。

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朝ご飯を頂いた後は、ホテルから車で少し行ったところにある「瀬戸大橋」を見に行きます。瀬戸大橋は、昭和63年4月10日に開通して、今年で23年になります。

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この瀬戸大橋は、世界最大級の橋で、日本で最初に国立公園に指定された、鉄道と道路で、四国を結ぶ橋です。橋の下には、鉄道が見えます。橋の下は、下津井漁港です。下津井漁港と言えば、たこ飯です。それなら、明石海峡大橋も、淡路側も、明石側も、漁港は、たこが有名です。

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瀬戸大橋をいくらで建てたでしょう?なんと、1兆300億円(1983年当時)でした。本州と、四国を結ぶ連絡架橋は、3つのルートで計画されていました。

ところが、物価が高騰し、インフレが進んで来たので、政府は、総需要抑制策をとり、一度に3本の橋を架けることは見合わせて、1つずつ着工しました。

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最初は、神戸・鳴門ルート(通称:神戸淡路鳴門自動車道)で、2番目が、児島・坂出ルート(通称:瀬戸大橋)、3番目が、尾道・今治ルート(通称:瀬戸内しまなみ海道)です。

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橋が見える公園からは、絵になるような下津井魚港が見えました。その先に、岬の先端に見える小さな鉄塔は、下津井港の西にある燈籠崎で、海上航路標識塔です。

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5月に入り、つつじの花も最盛期を向え、あちらこちらで見られるようになりました。

人間にとっては雨は厄介ですが、ツツジの花は、雨水を花びらに乗せて、恵みの雨を喜んでいるようにも見えます。

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四国連絡橋 瀬戸大橋が、一望に見える展望レストラン「鷲羽山レストハウス」へ移動します。

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鷲羽山レストハウスからは、瀬戸大橋全体を見ることができます。橋は、途中に2つの島を通ります。一番奥に見えるのが、与島です。手前に見えるのが、櫃石島と岩黒島です。

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ここのところ3日間も降り続く雨で、せっかくの瀬戸大橋の写真は、曇天の瀬戸大橋になってしまいました。

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潮の流れが落ち着いたとき、水温も上昇して寒くないとき、となりに伴走の船があるとき、こちら側から橋のある向こうの小島に、泳いで渡りきってみたいなと思いました。

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瀬戸大橋は、2階建ての橋で、下はJR鉄道が走って、上は車が走ります。

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橋の下には、大きな船が行ったり来たりしています。このあたりに住む漁師さんの船もありますから、橋の下にはいつもいろいろな船が通っています。

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昔、中国の李鴻章さんを瀬戸内海に案内し、景色をお見せした所、その感想に、「日本にも、割と大きな河があるんだなぁ」と言われたそうです。

中国の黄河や長江を見ていれば、瀬戸内海もそのくらいの川幅に見えたと言うことです。

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これから、倉敷の町を探索します。倉敷の美観地区へ行きます。

2011年5月12日(木)