敬老の日:「親がここまで生きてくれたことに 感謝を伝える日」でもあります。
投稿No:10020
敬老の日に寄せて:いつの間にか、老される側に 歳月人を待たず

敬老の日に寄せて

いつの間にか、親も「敬老される側」に
気がつけば、私自身も
「敬老の日」に祝われる年齢になっていました。
若い頃は、自分にはまだまだ
関係のない日だと思っていたのに、
時は容赦なく流れていきます。

ふと振り返れば、

子育てや仕事に追われる日々を駆け抜け、
家族と共に積み重ねてきた時間がありました。
その年月の中で、
子供たちの成長が私の
「小さな幸せ」そのものでした。

親の幸せは、子供の笑顔の中にあった
子供が初めてハイハイした日、
歩き出した日、言葉を覚えた日。
どんなに疲れていても、
笑顔を見せてくれるだけで心は満たされました。
勉強や部活で努力している姿を見守り、
結果が出たときには
自分のこと以上に嬉しかったものです。
「親の幸せの多くは、子供の笑顔に宿っている」
――歳を重ねた今、改めてそう思います。

子供たちに伝えたいこと
敬老の日を迎えるたびに感じるのは、
長生きできることは決して
自分の力だけではないということです。
支えてくれた家族、友人、
そして社会とのつながりがあったからこそ、
ここまで来られました。
だからこそ、子供たちには伝えたいのです。
「親は子供のために時間を惜しまず過ごしてきた。
けれども今、心から嬉しいのは
“子供が自分の人生をしっかり歩んでいる”こと」だと。

敬老の日は「感謝を伝える日」
敬老の日とは、ただ長寿を祝う日ではなく、
「親がここまで生きてくれたことに
感謝を伝える日」でもあります。
親にとって最高の贈り物は、
高価なものでも豪華な食事でもなく、
子供や孫からの「ありがとう」
「元気でいてね」のひと言かもしれません。
今年も、息子の家族から
敬老の日をお祝いする
立派な胡蝶蘭が届きました。

お互い仕事が忙しく、
なかなか会う機会は多くありませんが、
こうして忘れずに心を込めて
お祝いしてくれることを、
本当に嬉しく思います。

成長していく孫の姿を
直接見る機会は少なくなりましたが、
節目ごとに届けられる心遣いから、
家族の存在の大きさを改めて感じます。

届いた大好きな胡蝶蘭を、
さっそく家に飾りました。
胡蝶蘭を見るたびに、
息子や孫のことを思い浮かべ、
離れていても身近に感じて過ごそうと思います。
まとめ
人生のどのステージでも、
幸せは身近なところにあります。
親にとって最大の幸せは、
子供が笑顔で生きていること。
そして子供にとっての幸せは、
親が元気でいてくれること。
敬老の日をきっかけに、
ほんの少しでも「ありがとう」を言葉にしてみませんか。
そのひと言が、親の心を
どれほど温めるか――きっと驚くはずです。
