敬老の日に寄せて:いつの間にか、敬老される側に 歳月人を待たず

投稿No:10020

敬老の日に寄せて:いつの間にか、老される側に 歳月人を待たず

歳月人を待たず

いつの間にか、私も

「敬老の日」に敬老される年代に流されてきました。

生きている限りは、川の流れのように

どんな若い年代であっても、

老という川下へと流されていくのです。

時の流れは早いもので、

振り返ってみれば長い年月、

さまざまな経験を積み重ねてきました。

若い頃には、人生の先輩方を敬い、

その知恵や経験に感謝してきましたが、

今や私もその「人生の先輩」としての

立場に立つ時が来たのだと実感しています。

日本では毎年9月の第3月曜日に

「敬老の日」が祝われます。

この日は、長年にわたり

社会に貢献してきた高齢者を敬い、

その長寿を祝う日とされています。

祝日法の改正により、

2003年からこの日が制定されましたが、

敬老の精神そのものは昔から

脈々と受け継がれてきた文化です。

とはいえ、敬老される側としては、

まだまだ元気に過ごしているつもりです。

もちろん、若い頃のように

無理をすることは少なくなりましたが、

それでも学び続け、

大阪市立大学

挑戦し続ける気持ちは持ち続けたいと思っています。

特に、これまでの経験を通じて得た知識や知恵を、

次世代に伝えていくことは、

自分にとって大切な使命だと感じています。

長寿社会を迎える日本では、

これからの時代、シニア世代の活躍が

ますます求められるでしょう。

私自身も、この「敬老の日」をきっかけに

これまでの歩みを振り返りつつ、

これからどう社会に貢献できるか、

改めて考える機会にしたいと思います。

敬老の日を祝うとともに、

私たちが今後どのように社会に貢献できるか、

ぜひ一緒に考えていきましょう。

【出典】『国民の祝日「敬老の日」の設定について』(厚生労働省)

敬老の日に 私が感じる小さな幸せ

歳を重ねると、幸せを感じるのは、若い時と違ってきます。

今の年代で幸せを感じるのは、

身の回りのことがらに触れても、

心が穏やかで、動揺せず、憂いがなく、

汚れを離れ、心が安穏である、このような時です。

具体的には、世俗の利得を離れ、

自分の世界に浸っている時です。

**

敬老の日に思うこと 小さな幸せは 人生のステージ毎に変わる

敬老の日に 人生を振り返ってみると

自分自身の人生のステージでは、

年代と共に小さな幸せの感じ方が変わってきました。

家庭を持って、子供を授かり、

子育ての時代は、家族で一緒に過ごす時間の中に、

小さな幸せが何度もありました。

子供が生まれて、ハイハイして、

歩行が始まり、おしゃべりができるようになって、

離乳食が始まり、美味しいものを一緒に食べて、

喜ぶ笑顔を見たとき、

一つ一つの時間が小さな幸せの連続でした。

子供たちの親として、

子供たちの喜ぶ顔に触れたとき、

教育の成果が表れた時、子供たちが褒められたり、

努力をして希望が叶った時などです。

生活を支える収入を得るために、

仕事に精を注いできた時代には、

仕事が上手くいったときに、

幸せを感じてきました。

人生のステージを通して 変わらない 小さな幸せ

人生のステージが変わってても、

変わらない小さな幸せもあります。

花を愛でる、淡路景観園芸学校で園芸を学ぶ、

ペットと遊ぶといった趣味で癒されている時です。

趣味に浸る時間を作れたら、

小さな幸せが得られるのです。

自分だけの幸せを感じるのは、

世俗のことに左右されないことで、

幸福に包まれているからです。

敬老の 幸せを感じる

平穏に、健康的な長寿を迎えられたことは

生んで、育ててくれた両親・家族へ感謝です。

ただ、長生きできたことだけがめでたいのではなくて

これまで、生かされたことがめでたいのです。

どれだけの周りの人に、

お世話になったことでしょうか?

幸せに浸る時間をつくる 幸せに触れる時間を増やす

小さな幸せは、自分の時間が取れることと、

深く関わっているようです。

なんたって、時間が無ければ、

自分の幸せに浸れる時間が無ければ、

答えは時間を作ることになってきます。

でも、生きるため、家族を養うため、

一緒に働いているひとたちのため、

社会貢献のためなど、それぞれの為には、

思う様に自分だけの時間は作れていませんでした。

それが、しがらみです。

家庭生活、仕事、社会生活などの中から

歳をとってくると、自分だけの幸せを感じられる時間を確保でき、

小さな幸せにつながりそうです。

自分に時間を作ることには、

あまたの障害がありました。

人との付き合いは、自分の時間を割くことが多くあります。

義理が絡むお付き合い、飲み会で、

時間が惜しいと思えるようなお付き合いは、

判断基準をしっかりと決める必要があります。

幸せに浸る時間を作る 生産的な活動

趣味や癒しの時間と並んで

自分自身の成長過程や生産的な活動に関わるときも

小さな幸せがありました。

大学院に入学して、修士課程から博士課程へと進み、

自分自身の研究テーマを見つけて、

研究に没頭していた時は、小さな幸せでした。

考えをブログに書くことも、

知的な生産で、小さな幸せです。

これらは、自分自身に自分の時間を作れた結果でした。

有限の時間の中で、自分の幸せのための 時間を作る 

敬老のお祝いを受ける年代になると、

人生は有限であり、有限の時間のなかで、

自分が幸せに浸れる時間を作れなければ、

小さな幸せには浸れません。

時間が出来たから、自分の幸せに浸れたのか、

自分の幸せに浸るために自分の時間をつくるのか、それは自明の理です。

このように、奥さんと話しながら夕食は終わりました。

敬老の日 まとめ

歳をとって、振り返ってみると、小さな幸せとは、

何気ない普段の生活の中にありそうです。

普段の生活を送るには、

その糧を得るための、

生きるための生活に関わることになります。

生きるために生活するのか、

幸せになるために生活するのか、

命題は変わってきます。

二つを同時に止揚することは難しくても、

時間をずらせば止揚できるのではないかと思いました。

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