大阪府立大学大学院の同期生川邊一正さんと川邊典子さんご夫妻が神戸に遊びに来られました。
投稿No:7910
川邊一正さんの学生時代や仕事に精を出していた頃の昔話を聞かせてもらいました。
2005年に大阪府立大学大学院に入学した時の同期生川邊一正さんご夫妻が神戸に遊びに来られました。
当時、同期生の植田英三郎さん、木村勝男さん、川邊一正さんそして、松葉博雄の4人の頭文字を合わせてMUKKの会を作りました。
2005年7月にメンバー4人の奧さん達も参加してもらって、MUKKの会の食事会をした想い出があります。
MUKKの会の初めての食事会では、4組の夫婦の馴れ初めを紹介し合いました。
その後、何度もお会いしているので、今日の川邊さんご夫妻との会話も、大阪府立大学大学院の頃の想い出話から始まりました。
2007年3月に大学院が終了すると、その後MUKKの会の会合は少しずつ回数が少なくなってきました。
やむを得ません。皆さん住んでいるところが離れているからです。
川邊一正さんは現在、静岡県に住んでいます。
富士山が家から見える場所なので、私に遊びに来るように以前から何度も誘われています。
なかなかお家に遊びに行かないので、川邊さんの方から神戸に来てくれました。
今日のお泊まりは、淡路市岩屋の松葉庵です。
30度を超える猛暑の日が続いています。
こんな時には冷たい物がご馳走ですが部屋を涼しくして、すき焼きをすることにしました。
すき焼きには、松茸を入れます。
8月の松茸は国産松茸ではありません。外国産の松茸です。
外国産の松茸ですが、松茸を洗って切ると、内部から松茸の香ばしい香りがしてきました。
すき焼き用のお肉は、神戸そごうの大井肉店で買ってきました。
神戸に来て頂くとなると、神戸ビーフがおもてなしに最適です。
味付けは、いつものように私が担当しました。
川邊さんご夫妻は、私は家では何もしないと思っていたのに、私が鍋奉行をすることに驚いています。
川邊ご夫妻には、用意した部屋着に着替えてもらって、くつろいだ雰囲気ですき焼きを頂きました。
最初にお肉だけを鉄鍋で焼いて、すき焼き風の味をつけて、生卵を漬して頂きました。
ご夫妻は、その美味しさに驚いていました。
神戸牛が美味しかったのか、それとも松葉博雄の味付けが良かったのか、
はたまた明石海峡大橋の景色が良かったせいなのか、とにかく美味しさに感動です。
私と奧さんが気がついたことは、川邊一正さんの奧さんは、とても旦那さんのお世話が良く出来ている事です。
例えば、食事の時は取り皿へ料理を取り分けてお皿に移し、さらに食べやすいように細かく切るとか、果物なら皮を剥いて食べやすくするとかです。
調味料でも川邊一正さんの意見を聞きながら、お醤油をかけたり、味付けの調整をしていました。
これには私の奧さんも驚きです。
私の奧さんは自分が知っている中では、自分こそが世界で一番旦那様の世話を焼いていると思っていました。
それなのに川邊さんの奧さんは、その世話のレベルがもっと上なので、驚いていました。
うちわを持つと、うちわを旦那さんの方に向けてあおいでいます。
うちわの風は奧さんの方に吹くことはありません。
全て旦那さんの方に風を送っていました。
夜になって暗くなると、部屋の明かりを全て消して、外に見える明石海峡大橋の明かりを見ながら一緒にお酒を飲んで、ゆっくりと川邊一正さんの若い頃のお話をお聞きしました。
川邊一正さんは高校を出るとアメリカに渡り、英語を学びながらカリフォルニア州のある市立大学の経営学部に入学したそうです。
当時は円が360円の時代で、円の持ち出しは1人500ドルの厳しい持ち出し制限が課せられた時代でした。
川邊さんは、皿洗いや個人の家での庭掃除や、細かい雑用などを引き受けて、生活費を自分で稼いで大学に通ったそうです。
学生なので就業ビザも持っていませんでした。
あるレストランのオーナーは、就業ビザを持っていないことをつけ込んで、働いて得られるアルバイト料を払ってくれなかったそうです。
それどころかレストランのオーナーは、川邊さんを無実の罪で訴えて、川邊さんは裁判所で簡易裁判を受ける身になりました。
その時、裁判所で弁護してくれたのは、個人のお家でハウスキーピングの仕事をさせてくれていた雇い主の方でした。
その方の証言で、裁判は無罪の判決になったそうですが、アルバイト料は未払いのまま終わったそうです。
アメリカの大学は、入学するのは簡単で、卒業するのが難しいシステムになっています。
3ヶ月毎に進級テストがあり、ちゃんと講義が理解出来ているか、テストを受けて、その結果次の授業に進むことが出来るそうです。
いろいろ科目があって、得意科目で良い点を取れば、全体の平均点が上がり、進級が可能になったようです。
アメリカの大学の数学は、日本と比べるとかなり簡単な数学の内容だったそうです。
この数学のテストで良い点をとれたので、他のテストの結果を補うことが出来たそうです。
2年間の英語研修を受けて、さらに4年間いろいろ働きながら、大学を卒業して、合計6年間アメリカに滞在した後、日本に帰国しました。
アメリカでは大学卒業後、就職をしなかったそうです。
帰国して就職をしたのは、自動車会社のスズキです。
スズキでは英語が出来るという事で、中途採用で採用されました。
配属先は貿易部で、フィリピンのマニラには数年駐在したそうです。
駐在員にはプールがあるような広い住宅が付き、メイドさんも付いていたそうです。
フィリピン以外にもあちらこちらの国に出張した経験があるようです。
残念なのは、中途採用だったので新卒社員との格差です。
給料や退職金など、所得の差があったようです。
スズキの鈴木修会長とは気楽に話が出来る時代に入ったので、今でも鈴木会長に面談を申し込めば会って貰えるそうです。
鈴木修会長は現在87歳ですが、今でも会社に出社しておられるそうです。
川邊一正さんの奧さんは、永らく中学校で英語の先生をされていました。
二人とも英語が出来るので、海外に行っても言葉には困らないそうです。
一晩ゆっくり話をして、お互いの知らなかったことを話して、一層親しくなりました。
翌日はゆっくり朝起きて、朝ご飯です。
朝ご飯は、昨夜のすき焼きを使って、牛丼を作りました。
一晩すき焼きの出汁につけていた具材は、一層味が良くなり、丼鉢にご飯を盛って、その上に松茸入りのすき焼きを載せ、さらに上から生卵をかけて牛丼を頂きました。
これがまたとっても美味しくて、川邊夫妻からも美味しい美味しいと大変褒めて頂きました。
川辺一正さんの趣味は油絵です。
示現会の展覧会に出品すると、入賞するほどの腕前です。
以前、写真で川邊さんが描いた絵を見せて頂いたことがあります。
一枚の絵を何ヶ月もかけて描き上げるには、相当なエネルギーが必要です。
絵を描くことは、私にはもっていない才能です。
こんな話をしながら、朝食の後は淡路市岩屋の近くを車で案内しました。
暑い日なので、あまり外を歩くのは控えて、案内した場所は明石海峡大橋の橋のたもとにある、海峡公園です。
明石海峡に流れる潮の流れをすぐ側でみて、潮の流れの速さに驚いていました。
次の場所は、山の上にある花桟敷です。
花桟敷では炎天下なので、駆け足で全体の眺望を見て回りました。
暑い日なので休憩所でソフトクリームを購入しました。
休憩所は、ログハウスで作られている建物です。
スズキでは、スウェーデンの会社と協力して、ログハウスの販売を手がけたことがあるそうです。
その為、研修でスウェーデンに数ヶ月出張したそうです。
あまり売れなかったので、今はログハウスの販売から、スズキ自動車が撤退しています。
ソフトクリームを食べながら気がついたことがあります。
それは、あまりにも上げ底だったということです。
普通、ソフトクリームの高さは、コーンの上部から計って15cm~20cmあるのが普通ですが、花桟敷のソフトクリームのは、たった5cmもありません。
お店の方に、「これはあまりにも少ないのではないですか?」と意見を言うと、「すみません」と言われました。
近隣ドライブから帰って、一服すると、間もなく昼食の時間です。
今日の昼食は、寿司の源平で特上寿司と鱧の刺身を頂く予定でした。
お昼12時を少し回って、源平に行ってみると、もう外には行列が出来ていました。
名前を書いて、順番待ちは約1時間です。
1時間もお店の前で待っているのは時間が勿体ないので、大磯の別宅の方に案内しました。
かんかん照りの暑さで、芝生と植木は弱っていました。
川邊さん夫妻に家の中で涼んでもらっている間、私は庭の芝生と植木の水やりです。
もう一度源平寿司に行くのは気が変わりました。
川邊一正さん夫妻が新神戸駅から新幹線に乗る時間があるからです。
大磯の近くにある回転寿司金太郎に行って、回転寿司を頂く事にしました。
回転寿司を食べる時も、川邊一正さんのお世話を奧さんはしっかり実行していました。
川邊さんは口を開けるだけでいいくらい、細かい世話を受けています。
沢山お寿司を食べた後は、このまま神戸に戻り、新神戸駅まで二人を送っていきました。
一泊の短い滞在でしたが、これまで話していなかった話をお互いがしたので、一層友情が深まりました。
次は私の方から、静岡の川邊一正さん、川邊典子さん夫妻のお家をお訪ねするよう、ご招待を受けました。
2018年8月2日(木)