神戸ホスピタリティ都市構想シンポジウム 第2回研究会
第2回目の「神戸ホスピタリティ都市構想シンポジウム」の研究会は、国内外における医療産業集積の実態と今後の期待というテーマで事例研究の発表が3つ行われました。
神戸医療産業都市構想は、最先端の医療技術、産業、教育の場をクラスターとして集積させようという計画です。
そこで今回は、国内外の事例を研究することになりました。
1つ目は、タイの国から日本の一橋大学に留学して、現在は韓国の建国大学で助教授をしておられる女性の、スッパワン・スリスパオラーン(Suphawan Srisuphaolarn)先生が発表されました。
タイトルは「タイの滞在型ホスピタルの事例」ということになります。
タイの国は現在、医療産業に着目していますが、それはタイの通貨危機が一つのきっかけとなりました。
歴史的にみると、70年代は、公立の病院が中心で、サービスは良くありませんでした。その後、私立の病院が3つでき、この病院が成功したことによって、私立の病院に着目が集まりました。
成功の原因は公立病院の弱点に着目し、それを改善する方向に持っていったことです。特に医療にサービスを導入したことです。医療産業都市の背景には、おもてなしの心としてのホスピタリティが欠かせないということです。
公立病院の希薄なサービスから、金持ち層をターゲットとした、より品質の高いサービスを追求したことが成功の原因となりました。
政府の考えも変わりました。経済的に余裕のある人には、サービスを求める人には私立病院に任せるという方向に向かいました。
90年代になると、私立病院がブームとなって、外資系の参入が続きました。そしてそこではサービス競争が始まり、ベット数が増加していきました。
病院のサービスの質をあらわるホテルのような、サービスの品質を星の数で表すように、入り口に品質基準を表示されるようになりました。
先端医療機器の輸入とか、クオリティマネージメントの重要性が叫ばれ、MBAを持った方が経営に参画してきました。
外国資本による拡張が続き、その後、観光客を誘致して、ホスピタリティと観光を一緒にするような考えが進んでいきました。
神戸の医療産業都市でも、将来的に空港が出来て、最先端の医療技術、産業が集積した結果、たくさんの人を呼び寄せることができるかどうかは、やはり受け入れる側のサービス、ホスピタリティが大事ということになりそうです。
1997年には、タイの通貨危機が起きました。これはバーツの価値が半減し、借金が何倍にもなったことを意味します。これで生き残りをかけた競争が一層激化しました。
その中で提案されたのは、外国人向けの老人ホームの建設です。外貨の獲得について政府が熱心になりました。これは病気になってから治療を行うより、病気になる前に予防をするという考え方にも結び付きます。
このようにしてタイは現在、100万人の患者を世界中から集めているという研究発表がありました。
また神戸の医療産業都市構想では、将来的には海外、特にアジア諸国の医療技術の向上に貢献できる拠点づくりを目指しています。今回発表のあったタイの事例は、国際的な取り組みを進めるにあたり、大変参考になる事例でした。
二つ目の医療産業都市の事例報告は、神戸市機械金属工業会 医療用機器開発研究会の部会が米国ミネソタ州の医療産業集積の事例を発表されました。
これは現地に行って、事例を見てきたことについてのお話が中心でした。
三つ目の医療産業都市の事例は「長寿健康都市を目指して」というお話を、石川県小松市からこられた「財団法人北陸体力科学研究所」ヘルスケアトレーナーの南 祐治さんからの発表です。
北陸の小松市では、医療機関が中心となって、この体力の問題について医療と一緒になって行なっています。
よく知られている遺伝子のオン・オフ理論というものがあります。これは持っている遺伝子が環境の変化によって病気を起こしてくることになるのですが、この原因となる環境は生活習慣に関わってきます。
そこで生活習慣病というものがあるわけですが、それをしっかり良い方向に維持しようということに目が向けられます。
例えば運動をするとか、体力測定をしてそれを見合った運動をするというようなメニューを作ります。医療と医師を中核とした体制から、さらにそれを広げて、文化・知識・研究・予防・生活・スポーツに広げていきます。
そのためには、スポーツは仲間と一緒にやろうということになります。それは説明をして指導をして観察を行い、そしてその結果、支援をしていく、孤立しないように運動を続けるように支援していきます。そこには対話があって続くようにもっていきます。
このようなシステムを作っているという発表でした。
最後に、神戸ホスピタリティ都市構想シンポジウムのコーディネーターである安室憲一教授からまとめがありました。
医療サービスは今、不満が高い。だから改善の余地があります。それがビジネスチャンスともいえます。タイはそれに早くから気が付いて首相自ら陣頭に立って、それに対する対策ができました。現在では100万人の患者が世界から集まっています。
病院はリピートと口コミによって患者が集まってきますが、家族が来るとか見舞い客が来るということによって観光客が集まることにもつながります。
政府の働きも日本のビジネスと結び付いています。このようにして国を上げてタイという国は観光資源と医療とを一つに持っていきました。単に観光だけで来ると短い滞在で終わってしまうところが、医療と一緒にすると、見舞い客・あるいは家族・あるいは企業ぐるみで来ることがあるそうです。
安室憲一教授が米国での視察で訪れたメイヨーの病院が事例にあげられました。
これはビジネスチャンスにあふれていることが分かります。メイヨーの病院の中には医療器具を作る工場すらもあります。これは神戸が医療産業都市として目指していることでもあります。
今回の事例のアメリカ、そしてタイはその病院の仕組みは株式会社になっています。株式会社にすることによって投資家から資金が集まってきます。これが企業にとっての力の源泉となります。
そして一定以上の規模以上になると、病院の株式を公開して上場します。IPOを狙うことができます。このような事例から、神戸のホスピタリティ都市構想シンポジウム研究会でも、企業が上場できる可能性を探ることになります。
小松市の事例は、自分達で健康を作っていくことの大切さを分からせてくれます。
健康増進プログラムの大切さということです。医療産業は56兆円の市場を持っています。アメリカでは、医療産業がGDPの15~16%を占めているといわれています。日本もやがてそうなります。
これは市場規模はとても大きなマーケットであるということであり、成長が見込まれるということでもあります。この研究を通して、70歳からでもビジネスを起こすことができる研究がしたい、70歳からでも間に合うということを安室憲一教授は示されました。
これから年金が危うくなると健康が大切であり、あるいは年をとってからでもビジネスをはじめることができる、そういうモデル作りをしたいということを安室憲一教授はおっしゃっています。医療産業都市構想を巡って、様々なビジネスチャンスが生まれそうです。