沖縄恩納村前兼久村の地元のお正月行事に参加する ~竜宮の神、久高島のご先祖様、前兼久の鎮守様に礼拝~ 第72回沖縄訪問(10)

ゴルフの後、朝日会に行きました。朝日会では、ゴルフに参加人たちは、先ほどのスコアを話題にして、もう一度ゴルフを楽しんでいます。

今日のご馳走は、イカの墨汁です。イカの墨を水洗いしないで、イカの身をぶつ切りにして煮込みます。

イカの墨汁は、初めて食べる人には、書道の墨汁のように見え、何か気色悪い感じがします。

それが、食べてみると、おいしいのです。臭いを消すためには、 香辛料にンジャナ(にが菜)を入れます。

これを、カツオだしのスープとイカの墨で煮込むと、沖縄独特の郷土料理になります。イカの墨汁のルーツは、イタリア地方から宣教師によって沖縄に伝えられたと言われています。本当でしょうか。

それなら、キリスト教の布教に合わせて、日本の各地にもイカの墨汁が伝播したのでしょうか。これは、読者の皆様からの情報提供をお願いします。

2006年1月2日、晴れです。東の空からは太陽が見えています。風は強いですが、天気は持ち直しています。

昨日は、朝日会でビールとお酒をしっかり呑んだので、朝日会のある恩納漁港に車を置いています。朝から帰宅の準備に取り掛かるため、車を取りに行きます。

途中、前兼久の集落を通っています。細い道に入っていくと、公民館から流している沖縄の伝統舞踊、そして三線に乗った、めでたい歌が流れてきます。そうです。今日は、前兼久村では、お正月の行事なのです。

公民館の運動場に集まって、これから四方の神様に、この一年の祈願をして回る儀式が始まります。いよいよ、松葉博雄も村民に溶け込みつつあります。

区長さんを先頭にして、前兼久村の三箇所の礼拝所に、お参りに行きました。

1つは、海の幸の豊漁を祈って、竜宮城の神様に参拝します。運動場には、沢山の前兼久村の一家の主を中心とした年長者が集まり、一同で礼拝所に向かって頭を下げ、祈念します。

区長さんは全員を代表して、竜宮城の神様にお供えをして、豊漁を祈っています。

次の礼拝所は、小高い丘にあります。前兼久村を突き抜ける国道58号線を横切って、礼拝所に続く整備された階段を上っていきます。

階段を上りきった所には、少し開かれた広場があります。この広場で、また前兼久の皆さんは腰を低くしてしゃがむ形で、礼拝所に今年一年の安寧をお祈りします。

この後は、礼拝所とは反対の方向にある小さな石に向かってしゃがみなおします。この石の方向は、前兼久村の祖先が、沖縄全体の祖先の発祥地である久高島に向かっています。

沖縄信仰では、今の沖縄の人たちの祖先は久高島から本島に渡ってきたと言われています。そこで、久高島には、沖縄の本家の意識があり、 御獄が久高島の各地にあります。
久高島のご先祖様に礼拝した後は、前兼久村の鎮守の神様に参拝します。村の鎮守は公民館の近くにあります。

本土のお堂のような造りと大きさです。この祠は、普段は扉が閉まっていますが、夏のお盆にあるエイサーの時にも開かれます。
ここでも前兼久村の皆さんは、祠の前に膝まづいて、区長さんの礼拝について、鎮守の神様に、今年の家内安全をお祈りします。

全員が鎮守の敷地の中に入り切れず、通路に溢れるほどの沢山の人が集まっています。
鎮守の神様にお供えをしていたお米の粒を、全員が少しずつ分けていただきます。このお米を混ぜてご飯を炊くと、ご利益があるようです。

お神酒が振舞われ、おつまみも沢山揃っています。松葉博雄は、ご利益のあるお酒はどんどん飲みたかったのですが、これから神戸に帰宅するために、車の運転があり、残念ながらビールもお神酒もいただきませんでした。

前兼久村の伝統行事を見ていると、沖縄には、まだまだ地元ならではの血縁関係が強く残り、ご先祖様や年長者を大切にする儒教思想が残っていることを感じました。
この鎮守での参拝は、年始の交歓会も兼ねています。一箇所で沢山の人に新年のお慶びを言うことができます。
伝統行事には、根底には生活のために便利なように長い年月をかけて考えられた、知恵のようなものがあることがわかりました。

 

2006年1月1日

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