佐用町平福(ひらふく) 旧街道宿場の町並み 農村カフェ 淡路景観園芸学校㉖ 校外学習 平福

投稿No:8937

佐用町平福を歩く 旧街道宿場の町並み 農村カフェ「記憶」

案内は 農村カフェ「記憶」 地域振興文化研究所 遠入宏昭さん

淡路景観園芸学校の見学会で宍粟市から佐用町へ移動しました。

この辺りは岡山県との県境にとても近いところです。

江戸時代、宿場町として栄えた平福(ひらふく)は、

今もなお、400年前の景観を保っています。

今回、町の案内をしてくださったのは、

農村カフェ「記憶」のご主人、遠入宏昭さんです。

道の駅に立ち寄りました。

平福の街並みと歴史が分かる案内マップがありました。

とても興味を惹かれます。

カフェと言っても、こちらは

『播州平福本陣神吉氏別邸跡庭園(旧田住(たすみ)邸)』という

歴史的建造物で、立派な庭園があり、ギャラリーも併設されています。

平福 城下町から宿場町への変貌

平福はもともとは城下町でした。

お城は利神城(りかんじょう)という

利神山(りかんざん)の山上にある山城で、

江戸時代初期には天守があり、

その三段の楼閣が雲を衝く威容であったことから、

「雲突城(くもつきじょう)」とも呼ばれています。

平成29年10月には国の史跡に指定されました。

現在は、石垣の崩落の危険性から、

入山が制限されているようです。

参考 佐用町観光協会

平福が城下町であった期間はわずか30年。

江戸時代には因幡街道沿いの宿場町として栄えました。

また、平福は剣豪・宮本武蔵が初決闘をしたところでもあります。

佐用川にかかる金倉橋のたもとで、

13歳の武蔵が新当流の達人・有馬喜兵衛に勝負を挑み、

一刀のもとに倒したと言われています。

出典 智頭急行HP

「星降る町」 佐用町

佐用町は「星降る町」として有名で、

オオサンショウウオやゲンジボタルの生息地としても

知られています。

この佐用川でもホタルを見ることができたそうです。

川は改修工事があったので、

一時ホタルが飛ばなくなったそうですが、

白鷺、アオサギが戻ってくるようになり、

そのうちホタルも、見られるようになりそうです。

智頭急行(ちずきゅうこう) 平福駅

智頭急行は鳥取県の智頭駅から岡山県を通り、

兵庫県赤穂郡までを結ぶ鉄道です。

途中、岡山県美作には宮本武蔵の名を冠した「宮本武蔵駅」があります。

宮本武蔵の出生地、出身地へいき、お墓参りをしたことがあります。

宮本武蔵の出身地は、

美作という説もあれば播磨国という説もあります。

論争にはまだ決着がついていないようですが、

「宮本武蔵駅」は岡山県美作にあります。

智頭急行の平福駅の駅舎は瓦葺きの屋根で、

平福の街並みに溶け込むような造りになっています。

特急「スーパーはくと」の通過待ちです。

「スーパーはくと」は、

智頭急行および西日本旅客鉄道(JR西日本)が

京都駅 – 鳥取駅・倉吉駅間を

東海道本線・山陽本線・智頭急行智頭線・因美線・山陰本線経由で運行する

特別急行列車です。

列車名は日本神話の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」に由来し、

白兎の音読みで「はくと」と名付けられました。

出典 Wikipedia

平福 鳥取池田藩 本陣跡

平福駅前から西に真っすぐ歩き、佐用(さよう)川を渡ると、

すぐ旧因幡街道に出ます。

駅から約3分ほど歩いたところ、

この辺りがかつて因幡街道随一の賑わいをみせた宿場町、平福です。

今も、旧街道沿いには千本格子やなまこ壁の屋敷、土蔵群が残ります。

これは平福本陣跡。鳥取池田藩の本陣だった場所です。

当時の建物は残っていないため、

陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、

平成8年に整備したそうです。

平福は1930年代までは佐用の中心でしたが、

姫新線(きしんせん)が開通して佐用駅(さよえき)ができると、

町の中心はそちらに移り、さびれてしまったそうです。

(智頭急行が開通し平福駅ができたのは、ずっと後の1994年)。

※現在、町名の佐用の読み方は「さよう」ですが、

駅名は昔の読み方の「さよ」のままだそうです。

出典 兵庫県公式観光サイト / 佐用町観光協会 / 智頭急行HP

うだつ 「うだつが上がらない」の語源

町家の棟続きには、火事の類焼を防ぐために、「うだつ」があります。

『平安時代は「うだち」といったが、

室町時代以降「うだつ」と訛った。

本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことを言ったが、

そののち、自家と隣家との間の屋根を少し持ち上げた部分を

「うだつ」と呼ぶようになった。』

とあります。

出典 Wikipedia

うだつと言えば、以前に訪ねた、

徳島県美馬市穴吹町のうだつの町並みが有名です。

うだつの街並みは、「重要伝統的建造物群保存地区」になっており、

日本の道100選にも選ばれています。

農村カフェ「記憶」で昼食

農村カフェ「記憶」で昼食を取りました。

以下、農村カフェ「記憶」の案内です。

農村カフェ「記憶」≫ 地域振興文化研究所 遠入宏昭
【場 所】佐用町平福694
【営 業】9時~18時
【定休日】火曜日
【電 話】0790-83-2717
 ※不在のことがあるので事前に問合せください。

平福地区遠入宏昭氏
遠入氏は“播州平福本陣神吉氏別邸跡庭園

(旧田住(たすみ)邸)”の所有者であり、

地域振興文化研究所代表でもあります。

『「播州平福本陣神吉氏別邸跡庭園(旧田住邸)」

兵庫県佐用郡佐用町の平福にある歴史的建造物。

江戸時代から代々大庄屋を務め、

18世紀には旗本松平氏の代官として

平福陣屋での政務を任され、

明治時代は平福村の村長を務めた名家・田住家の旧邸宅。

邸宅は田住家の家臣である大年寄り本陣神吉氏の別邸として

江戸時代初期に建築されたもので、

元禄期に造られた庭園も残されている。』

出典 美作大学

農村カフェ「記憶」 庭園と座敷

広い敷地に日本庭園があり、

座敷からの眺めもすばらしいです。

季節が良ければ、緑が濃く、花も咲いて、

もっと美しい庭園が見られると思います。

庭園を見るには、時期的にちょっと残念でした。

お座敷にはたくさんのひな人形が飾られていました。

旧暦のひな祭り(4月3日)まで飾られるのでしょうか。

座敷の一角、広く取られた床の間には、

沢山の掛け軸も掛けられていました。

ほかにも、欄間など、

日本家屋の美しい意匠があちらこちらに

見られます。

お天気も良かったので、また、

春以降の良い季節に来てみたいと思いました。

農村カフェ「記憶」 遠入宏昭さんの自己紹介

朝日放送テレビ立ち上げ 50人のメンバーの一人だそうです。

各地を訪ねて放送したとのことで、

当時のテレビ放送は、全て生放送だったので、

残念ながらVTRの記録は残っていないそうです。

『1959年6月1日 – 朝日放送と大阪テレビ放送が合併手続き完了。

大阪市北区堂島1丁目42番地の旧大阪テレビ放送の本社社屋は、

合併後ABC堂島社屋(テレビ社屋)となり、

1966年に大淀社屋へ移転するまで

引き続きテレビ部門の拠点として運用された。

  • 合併したことに伴い、テレビのネットワークもそのまま引き継がれ、

KRT系列の準キー局となった。

ラジオ東京は朝日新聞の資本が入ってはいたが、

どちらかといえば毎日新聞と関係が深く、

また朝日新聞は同年2月1日に開局した

日本教育テレビ(NET。現:テレビ朝日)の

全ニュース番組の制作を担当した事で、

次第にNETとの関係を強化していった。

しかしこのNETは大阪地区では毎日放送とネットワークを結んだため、

この状態は新聞資本側からみて「腸捻転」と呼ばれていた。

(「腸捻転」に関しては、ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消の項を参照のこと)』

出典 朝日放送テレビ

平福の活性化に力を入れている

遠入宏昭さんは、

「播州平福本陣神吉氏別邸跡庭園(旧田住邸)」を

農村カフェとして復活させ、奥様と一緒に運営をされています。

平福の歴史や地域の活動などを来訪者に案内し、

平福の地域活性化に尽力されています。

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2021年3月19日(金)