小さな幸せを作るには 自分の時間をつくる 自分の時間を持てるか 

投稿No:8388

小さな幸せは 自分の時間をつくり自分の時間を持つ 

小さな幸せ 長く続く幸せ

奥さんと、夕食を二人きりで食べている時のことです。

一緒に買い物に行って、松茸ごはんとステーキを焼いて夕食を作りました。

今日は敬老の日です。

敬老の祝いに、奥さんに松茸ごはんを炊いて貰いました。

二人分なので、ご飯の量は一合半です。

阪神淡路大震災に罹災した時は、小さな幸せは、これまでのような何気ない平穏な生活の中に幸せがあったのだと、実感した経験があります。

いつの間にか二人とも敬老の日に祝ってもらう側になりました。

生活の心配がなく、二人で心穏やかに食事ができることは、小さな幸せです。

できる事なら、小さな幸せを積み重ねられたらと思います。

敬老の祝いを言われるまで、長生きできたことも、幸せなことです。

ささやかながら、二人でお祝いをしたくなります。

食事のときに、なんとなく小さな幸せを感じ、小さな幸せの話になりました。

松茸ごはんの出来栄えも上等です。

それにしても、松茸ごはんは美味しいなあ。

松茸ごはんが食べられるのも、小さな幸せです。

私が感じる小さな幸せ

幸せを感じるのは、身の回りのことがらに触れても、心が穏やかで、動揺せず、憂いがなく、汚れを離れ、心が安穏である、このような時です。

具体的には、世俗の利得を離れ、自分の世界に浸っている時です。

松茸を買ったとき、北海道産の岩ガキがあったので、岩ガキも買いました。

岩ガキの殻が開かないので、食べるにはかなり手こずりました。

小さな幸せは 人生のステージ毎に変わる

自分自身の人生のステージでは、年代と共に小さな幸せは変わってきました。

家庭を持って、子供を授かり、子育ての時代は、家族で一緒に過ごす時間の中に、小さな幸せが何度もありました。

子供が生まれて、ハイハイして、歩行が始まり、おしゃべりができるようになって、離乳食が始まり、美味しいものを一緒に食べて、喜ぶ笑顔を見たとき、一つ一つの時間が小さな幸せの連続でした。

子供たちの親として、子供たちの喜ぶ顔に触れたとき、教育の成果が表れた時、子供たちが褒められたり、努力をして希望が叶った時などです。

生活を支える収入を得るために、仕事に精を注いできた時代には、仕事が上手くいったときに、幸せを感じてきました。

松茸ごはんと、小さいステーキ肉を二人で焼いて頂きました。

人生のステージを通して変わらない 小さな幸せ

人生のステージが変わってても、変わらない小さな幸せもあります。

花を愛でる、園芸をする、ペットと遊ぶといった趣味で癒されている時です。

趣味に浸る時間を作れたら、小さな幸せが得られるのです。

自分だけの幸せを感じるのは、世俗のことに左右されないことで、幸福に包まれているからです。

非日常性に浸って 幸せを感じる

旅行に行って、非日常的な環境に浸ると、小さな幸せを感じます。

好奇心が満たされる時です。

テレビで見た、本で読んだ、学校で学んだ、でも見たのは、触れたのは、食べたのは、初めてといった非日常的な経験をできるのは旅行です。

それには、時間が必要です。

幸せに浸る時間をつくる 幸せに触れる時間を増やす

小さな幸せは、自分の時間が取れることと、深く関わっているようです。

なんたって、時間が無ければ、自分の幸せに浸れる時間が無ければ、答えは時間を作ることになってきます。

でも、生きるため、家族を養うため、一緒に働いているひとたちのため、社会貢献のためなど、それぞれの為には、思う様に自分だけの時間は作れていませんでした。それが、しがらみです。

家庭生活、仕事、社会生活などの中から自分だけの幸せを感じられる時間を確保できたら、小さな幸せにつながりそうです。

自分に時間を作ることには、あまたの障害があります。

人との付き合いは、自分の時間を割くことが多くあります。

義理が絡むお付き合い、飲み会で、時間が惜しいと思えるようなお付き合いは、判断基準をしっかりと決める必要があります。

幸せに浸る時間を作る 生産的な活動

趣味や癒しの時間と並んで自分自身の成長過程や生産的な活動に関わるときも、小さな幸せがありました。

大学院に入学して、修士課程から博士課程へと進み、自分自身の研究テーマを見つけて、研究に没頭していた時は、小さな幸せでした。

考えをブログに書くことも、知的な生産で、小さな幸せです。

これらは、自分自身に自分の時間を作れた結果でした。

有限の時間の中で、自分の幸せのための 時間を作る 

敬老のお祝いを受ける年代になると、人生は有限であり、有限の時間のなかで、自分が幸せに浸れる時間を作れなければ、小さな幸せには浸れません。

時間が出来たから、自分の幸せに浸れたのか、自分の幸せに浸るために自分の時間をつくるのか、それは自明の理です。

このように、奥さんと話しながら夕食は終わりました。

まとめ

小さな幸せとは、何気ない普段の生活の中にありそうです。

普段の生活を送るには、その糧を得るための、生きるための生活に関わることになります。

生きるために生活するのか、幸せになるために生活するのか、命題は変わってきます。

二つを同時に止揚することは難しくても、時間をずらせば止揚できるのではないかと思いました。

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2019年9月16日(月)