栗林公園の庭園の桜を愛でながら、お花見弁当をいただきます。
栗林公園の庭園を散策していると、行く手に、白い鳥が舞い降りてきました。瑞祥です。 高松ツアー(4)
栗林公園のお花見の所です。料亭二蝶のお花見弁当を食べながら、周りを見てみると、春を待ち焦がれていた高松市民の皆様が、栗林公園で、お花見をしている姿が見えます。
お昼なので、ベビーカーに子供を乗せた、お母さんの姿も見えます。その反面、会社や企業のお花見担当者たちは、お昼からビニールシートをひいて、陣取り合戦をしています。かなり大きいビニールシートです。
まだ敷地を使わないのに、夜のお花見のために、大きな面積を独占しています。そしてちゃんと、場所取り当番の人がいました。
栗林公園の桜は、今が見頃です。桜の木の下の一等地を、大きなビニールシートに占領されているので、仕方なく、たくさんの人が、桜から離れた場所で、お花見をしています。
お弁当を食べた後は、これから栗林公園を回ってみます。栗林公園の特徴は、たくさんの松があることです。
松平頼寿の銅像がありました。松平頼寿は、旧讃岐高松藩主松平頼聡の8男で、明治41年貴族院議員となった方です。大正6年に、高松城を再建した方でもあります。
御手植松です。こちらは、大正時代に皇室の方々がご来園されたときに、お手植えされたものだそうです。昭和天皇が皇太子の時代にお手植えされた松がありましたが、2005年2月に落雷によって枯死してしまったようです。
桧御殿跡です。松平初代藩主頼重公が、30年余にわたって東讃岐を治めた後、隠退するにあたって、この地に周囲を土塀で囲み、広大で豪壮華麗な桧御殿を建てて、ここに住まわれたそうです。
その後、歴代藩主の別邸として使用された跡地で、明治4年頃、その建物は民間に払下げられ、往時の建物は残っていません。
栗林公園を回っていて思い出すのは、よく似た公園のことです。これまで行ったよく似た公園で、思い出深いのは、ひとつは岡山の後楽園です。
そしてもうひとつは、名古屋の徳川園です。
≫2012年5月24日
いずれにしても、お殿様が江戸と領地を、参勤交代で行ったり来たりしていると、他国の殿様との交流ができ、庭園の自慢話でも出てくると、自分の屋敷にも、領地にも、優れたお庭が欲しくなるのが当然です。
元々、本州に自生していない蘇鉄を、全国の大名に配っていったのは、琉球や奄美大島を支配していた、鹿児島の島津氏です。島津氏から、蘇鉄の株が、大名のお庭に株分けされています。
南側の背丈の低い松が箱松、北側の背丈の高い松が屏風松と言います。箱のような形をしていることから、そう呼ばれています。この木の形は、栗林公園独特のもので、300年以上にわたる手入れの積み重ねによって、このような枝振りが保たれています。
ちょっと風情を壊しているのは、周りから見える、高層ビルです。これは景観を壊してしまっています。
北湖です。この池泉内には、前嶼、後嶼の二島、その奥に富士を縮景した芙蓉峰を築き、手前には救心点として朱塗りの梅林橋を架けるなど景勝地のひとつとなっています。
この北湖は、南湖に対する命名だそうで、南湖に次ぐ大池泉であり、特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い池面にくっきりと見せています。
瑞祥がありました。白い鳥が、行く手に現れることを、瑞祥と受け取ります。瑞祥が現れると、この先、きっと良いことが起きるように感じます。どんな良いことが起きるのか、楽しみです。
2014年4月3日(木)