高松市の街には、リュックを背負った欧米人が多いことに、気がつきました。

高松市の街に、欧米人が多いのは、栗林公園の美しさに惹かれて、集まっているのでしょうか? 高松ツアー(5)

日暮亭です。かつて江戸時代に「日暮亭」と称する茶屋があり、その後撤去された跡地に、明治31年、石州流の茶室として、再建された物のようです。

平成11年、保存修理、腰掛待合及び、露地の再整備など、一連の復元整備工事により、往時の姿を取り戻した草庵の茶室です。

こちらにその説明が書いていました。

石壁です。こちらの岸壁は、三国志の赤壁の戦いで出てくる、赤壁になぞらえた、同音異字の「石壁」です。中国の宋の時代の詩人「蘇軾」が有名な「赤壁賦」を詠んだ中国の揚子江左岸にある、景勝地「赤壁」に見立てて命名されたと言われています。

赤壁の崖には、一本の細い滝が流れています。この滝の上流には、どんな水源があるのでしょうか?水源は、綺麗であれば、お茶を点てる水汲みが出来ます。

旧日暮亭です。

松平二代藩主頼常の頃、南庭の東南隅に「考槃亭」という官休庵流の茶亭がありましたが、その後、会僊巌の東方に移築、「日暮亭」と改称され、さらには圏外の私人へ移りました。

昭和20年、関係者の尽力により、再び圏内に「新日暮亭」として甦った由緒ある茶室でありますが、歴史的経緯を踏まえ、現在は「旧日暮亭」と呼ばれています。

旧日暮亭は、今日は公開されていないようです。土・日・祝日だけのようです。

旧日暮亭は、床面積25平米ほどの小さな建物ですが、三千家のひとつ武者小路千家草創期の造りとも言われ、伝統的な大名茶室を今に伝える全国的にも数少ない貴重な茶室だそうです。

「戛玉亭跡の降蹲踞」という看板が目に入りました。そこにはこう書かれています。

この水流の北に沿って、茶亭(戛玉亭)があったが、五代藩主松平頼恭公のころ、扇屋原((講武榭)に移築された。この茶亭に使われた「降蹲踞」が、その後も残り、現在もこの水流の中にある。これは茶道上、また本園の歴史の上より貴重なものである。

また、蹲踞の手前にある円形の井筒内の水は、上の池から送水され、水がわき上がるように仕掛けられている。

これだけの庭園を、維持管理するには、相当な数の庭師さんが常勤していると思います。個人で庭園を持つのは、維持管理がとても大変です。結局は、文化財として地方政府が維持管理するのが、適切な方法です。

池の水面を見てみると、あちらこちらで、大きな鯉が、観光客のくれる餌に集まってきています。よく見ると、小さい幼魚も群れています。この池の中には、魚の小さな世界があるようです。

掬月亭は、江戸初期の頃に建てられた、回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と呼び、最も愛用した建物です。

1745年に松平5代藩主頼恭が、中国の詩人千良史の詩の一句「水を掬すれば、月手にあり」からとって、掬月亭と命名したものだそうです。

しばし見とれながら、栗林公園のすばらしさに感動しながら、ゆっくり歩いています。

こんな素晴らしい日本庭園は、外国人の目にはどのように映るのでしょうか?

そういえば、高松の街を歩いていて、すぐに気がついたのは、リュックを背負った、西欧人の旅行者が多いことです。

向こうに見えるのは、偃月橋でしょうか?

偃月橋は、園内の中で最も大きな橋です。弓張り月が湖面に影を映す姿から名付けられたそうで、美しいそりが特徴の橋です。この光景が、栗林公園のパンフレットに載るような、代表的な光景です。

ちょっと興ざめなのは、背後のビルです。

2014年4月3日(木)