徳川園を見て、あったらいいなぁと思うのが、広い日本庭園で、あったら大変なのが、広いお庭の庭掃除。あったら困るのは、固定資産税と維持管理費です。
あったらいいなぁと思うのが、徳川園のような日本庭園で、あったら大変なのが、広いお庭の庭掃除。あったら困るのは、固定資産税と維持管理費です。 名古屋観光(3)
自宅の庭にこんな日本庭園があったらいいなぁと思います。でも、あったら大変なのが広いお庭の庭掃除です。こんな大きなお庭があったら困るのは、固定資産税と維持管理費です。
名古屋観光ルートバスにまた乗って、次は名古屋城~徳川エリアに向かいます。名古屋城本丸より東へ約3キロのところに、徳川園があります。降りたところはその徳川園です。
徳川園は尾張徳川家の邸宅で、4月中旬~下旬は牡丹、6月上旬~下旬は花ショウブ、11月下旬にはもみじが、皆さんを待っています。
徳川園の入場料は300円です。
徳川園は、尾張藩第二代藩主 光友が、元禄8年(1695年)に隠居所として、大曽根屋敷を造営したことを起源としていますが、その後は主が変わり、また空襲で焼失するなど、姿を変え、平成13~16年の再整備で現在の姿となりました。
出入り口は大曽根口、黒門口の2箇所あります。
名古屋には、外国人観光客が沢山訪れているようで、バスの案内も日本語、韓国語、中国語、英語などで、説明がありました。
写真を撮ってあげたり、撮ってもらおうと、つい、国内の認識でお願いすると、これが外見はそっくりでも、言葉は外国語だったりする事があります。
名古屋の商工会議所に入会する時の話です。「名古屋は大なる田舎である」と、入会時に念を押されたそうです。名古屋商工会議所が指摘しているのは、
名古屋には、
1.芳しくない名古屋のイメージがあり、
2.人気芸能人が育たない名古屋
3.「名古屋人気質」が形成された歴史的背景があり、
4.名古屋の情報発信力向上を目指さなければならない
なるほどなぁと、名古屋は名古屋なりに、名古屋の事を気にしているのだなぁと思います。
徳川園の池の水面には、蓮の花が咲いています。徳川園の池の周りを、ゆっくり一周していると、昔、江戸時代の殿様のお屋敷のお庭は、よく似た造りだなぁと思います。
龍仙湖をながめます。この常夜灯、どこかで見たような?そうだ、これは出石で見たような常夜灯です。
錦鯉が餌に群れてきます。池の周りには、鯉の餌を売っている売店もないし、どうして鯉は人を見れば、餌をくれると思って寄りつくのでしょうか?
こんなことなら、昼ご飯の余り物をビニール袋に入れて、持って来て、ここの鯉にあげたら、きっとパニックになるほど喜ばれると思いました。
湖の向こうに観仙楼が見えます。中はレストランや土産物屋が入っています。
お庭を一周して、マンションが背景に写らない場所を探しながら、徳川家の邸宅らしいアングルを探し続け、見つけたのが蘇鉄が生える場所です。
大曽根の瀧がありました。 落差6メートルで、上中下段と三段構えになっていてそれぞれ岩の組み方が異なるため水しぶきにも違った表情が見られます。
街中にあって、郊外や自然の残る渓谷を真似るのですから、その仕組み作りは大変です。水が流れるようにするには、落差が必要で、矢田川から水を引き、池に水を溜め、それを瀧にして流しています。
徳川家のお屋敷のお庭を、周囲の高層マンションが囲っています。マンションからは、徳川家のお庭が見えて、さど良いことと思いますが、徳川家のお庭からは、周りにマンションが乱立する背景は、徳川家のお庭の奥深さを台無しにしています。
四睡庵が隠れ家のようにひっそりと建っています。このお庭も梅の木が沢山植えていて、近づいて、梅の実がついているか見て見ても、梅の実はあまりついていません。
御三家の尾張徳川家であっても、常に変わらないことはありません。昔13万坪あった邸宅も、第二次世界大戦の大空襲でほとんどの建物や樹木は失われ、今日見たお庭は名古屋市が徳川家から寄付を受け、2001年に日本庭園として整備した庭園です。
1695年に創られてから、306年経過して、今の姿になっています。
2012年5月24日(木)