大里グスクで、薩摩藩が沖縄を支配していた、過酷な徴税のことを思い出しました。社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

大里グスクは、南山王・島添大里按司によって15世紀のはじめに、築城されたお城です。 第151回沖縄訪問(22)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

垣花樋川を出て、片山正喜さんの運転するレンタカーは、方向性のないドライブを続けています。

帰るには、まだ時間は早く、かといって、どこか特定の目的地が決まらないのです。

あてのないドライブで見つかったのは、大里村指定有形文化財のチチンガーです。

チチンガーは、島添大里グスクの城門近く城壁外に設けられた、降り井形態の井戸で、西原集落の村の共同井戸として使用されていました。

井戸の湧水地点は、地表から8mも下にあり、取水地までは琉球石炭岩の岩盤を削って43段の階段が取り付けられているそうです。

取水地の岩盤部分は、琉球石炭岩の面取り積みの石垣が積まれており、島添大里グスクの城壁の一部ともみなされています。

チチンガーは、島添大里グスクと密接に関わっているばかりでなく、冬至の城と井戸との関係を理解する上でも貴重なんだそうです。

片山正喜さんと奥さんを残して、松葉博雄は、島添大里グスクの奥の方に進んでいます。

この時期、まだハブは冬眠中で、雑草の中に入っていっても、ハブに遭遇することはないので、怖い物無しです。

島添大里グスクとは、お城のことです。沖縄本島各地では、それぞれの地域にグスクといわれるお城がありました。お城には、農民から税を取り立てる、役目がありました。

取り立てられた税の一部は、九州の島津藩に納められていたのです。九州の島津藩の、沖縄から、沖縄の農民から、沖縄の島民からの徴税方法は、過酷なものでした。

代表的なのは人頭税です。石の柱を立てておき、その石の柱の高さより、背が伸びると、その時から納税の義務を負わされたのです。

離島では、島が養える人口には、自ずから制限があり、その制限を越えた人口以上に、人が増えないように、人口抑制政策がありました。

サトウキビは、沖縄と奄美の特産品でした。このさとうきびは、島津藩の専売品として、作った農民ですら、砂糖を食することは許されず、全て、江戸や大阪などの諸費地で売られ、藩の財政を潤す財源となっていました。

サトウキビをかじったり、出来た砂糖をなめたりするだけで罰せられるのですから、たまりません。

こんな、沖縄の歴史を思い出しながら、グスクの頂点に進んで行きます。

どのグスクも、内地の天守閣のように、高いところに、一番偉い人がいた、建物があったようです。

夏なら、ハブが出てきたらどうしようかと、怖くて足が進まない草原も、今の時期はどんどん進んで行き、大体のグスクの外郭に沿って、歩くことが出来ました。

このグスクにも、ご近所から飼い猫が集まって来ています。片山正喜さんは、猫のお相手がお得意なので、猫も、片山正喜さんが良い人のように見えています。

階段の下には井戸があり、井戸がこのグスクの命を護っていた時代には、とても大事に大切にされていた井戸です。

この後、どこか植木屋さんはないか、植木屋さんが見つかったら車を止めてもらうように片山正喜さんにお願いして、ドライブを進めていると、高速道路の脇に植木屋さんがありました。

松葉博雄がほしいのは、神戸に持って帰ることが可能な、小さな苗ですが、ここの植木屋さんには、庭に植えるような、クレーンでなければ持ち上げられないような、成長した大きな植木ばかりでした。

これでは、神戸に持ち帰りできないので、また次の場所に行きます。

2015年3月2日(月)

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