1994年9月の沖縄県 Part4~座間味島のお祭り~
海から帰ってペンションに戻って、潮水を洗い流します。一服した後、島を歩いてみることにしました。この島で一番高いところに行けば島全体が見えるということなので、展望台があるとこまで歩いて行きました。高月山展望台へは、ゆっくり周りを見ながら登っていきました。
「平和の塔」にお参りしました。ここでも太平洋戦争の時の戦争の犠牲者と傷跡があちらこちらに残っています。たくさんの追い詰められた軍人と民間人が集団自決をした遺跡は私の心を疼かせました。
少し登ったところで港が見える場所がありましたので、写真を撮ってみました。
珊瑚礁の海の変わり具合を見てみてください。今にも降りそうな雲の時と、やや光が差しかけた時の違いがお分かりでしょうか。ほぼ同じ時間でこのぐらい変わります。
「沖縄県海洋国定公園 高月山園地」に着きました。展望台の休憩所は丸太で作ったイメージのコンクリート造りでした。そこには恥を知らない人たちの書いた落書きが壁いっぱい隅々まで書き込まれています。こんなことをして恥ずかしくないのかと思います。島を一望して山を降ります。
今日はラッキーなことに島のお祭りの日です。浜辺では船が速さを競い合うペーロン祭りの日です。
町内から集まった地元の応援の人たちは、皆さん顔なじみの人のようです。
旗を立て、太鼓をたたいて、両手を振り、太鼓にあわせて踊りながら、応援ムードを盛り上げています。
船の漕ぎ手は村の若い衆でそれぞれのチームの名前を書いたハッピを着てハチマキを締め、船に乗り込み、沖を目指しています。
かなりの村の人たちが観客席のようになっている階段上の堤防に座って応援をしています。
こういうことは地域の住民の参加意識や共同意識がかなり高いことを感じます。とてもいいことだと思います。きっと男の子は応援している家族やかわいい女の子のことを意識しながら櫂の手に力が入っている事と思います。
ペーロン祭りの後は、夜は盆踊りがありました。神戸の街の盆踊りとは一味違います。
お盆のご先祖様をお迎えする踊りのようで、まずお祀りを重視しているようです。
食べ物とお酒を祖先の霊に奉げた後、村の長老を中心に車座になり、踊りがはじまります。
酒を酌み交わし、一人一人が言葉の挨拶をする代わりに踊りで挨拶の代わりをします。一人ひとりの踊り方が違っています。はずかしそうに踊るご婦人の方もおられました。本当に嬉しそうに踊る方もおられます。
見ていると、恥ずかしそうな踊りは斜めに走り去って終わってしまいます。嬉しそうな踊りは円を描いてぐるぐる回りながら長時間踊ります。私のように部外者が上手下手を論評できるほどではないのですが、隠しても隠しきれない踊りの味わいというものはありました。
私もいつのまにか手に杯を持ち、仲間に入れて頂き、泡盛をたくさん頂き、慣れない手振りと足取りで踊りの輪に入っていました。阿波踊りの踊りのようでもあり、自由に太鼓と三味線(さんしん)の音に合わせて即興で自分の思うように踊ればいいのです。
座間味の夜はいつしかすっかり遅くまで泡盛に漬かってしまいました。
(・・・次に続く)