JR福知山線の脱線事故の日 4月25日 大阪駅では緊急アナウンスがされていました

投稿No:8606

4月25日にJR福知山線の脱線事故が起きました

4月25日はJR福知山線の脱線事故の日

今日4月25日は、JR福知山線の脱線事故の日です。

事故の起きた日は2005年4月25日で、2020年より15年前のことです。

直接的な事故の犠牲者は死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名にのぼる大惨事でした。

事故のことを忘れないように、2005年4月25日のブログ記事をリメイクして、その日のことを回顧しました。

2005年4月25日のJR脱線事故

大阪府立大学社会人大学院に行く用意をしているとJRで大変な事故があったという情報がありました。

福知山線の尼崎駅の手前で列車が脱線し、そのまま前方のマンションの1階、駐車場部分へ激突し、50人以上の死者と200人以上の負傷者を超える大惨事となっているようでした。

JR福知山線脱線事故の概要 

JR福知山線脱線事故は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 – 尼崎駅間で発生した列車脱線事故です。

乗客と運転士合わせて107名が死亡562名が負傷しました

なお、JR西日本社内では、「福知山線脱線事故」ではなく「福知山線列車事故」と呼称しています。

JR三宮駅でも影響が

センタープラザの14FからはJRの線路が見えるので、JR三宮駅でも影響を受けているかどうかを見ることができました。

普段通り動いているようなので、JRを使って大阪府立大学へ行くことにしました。

大阪駅についてみると、遅延証明書が貼られていました。

遅延証明を見るなんて何十年ぶりなので珍しく思いました。

電光掲示板では、事故があったことをお詫びする情報が流れています。

大阪の駅構内では、腕章をつけた係員の方がポスターのそばで状況を説明していました。

大阪府立大学の大学院へ行ってみると、号外を持っている人が新聞を読んでいます。

講義の前にこの話題を皆さん大変関心を持っていました。

尼崎には大阪圏内で、神戸、大阪から見ると身近な距離で、ひょっとすると知人が事故に遭遇しているかもしれないからです。

それによると、JRの脱線事故で25日の現在50人が亡くなったという、大

変な事故であることがわかりました。

講義の前にはお腹が空くので、今日はいなり寿司を買ってきて、自分でお茶を入れて食べました。

ペットボトルを買ってもいいのですが、ペットボトルは冷たいので、私は温かいお茶をほしいので、自分の専用のコップを持ってきています。

そこにお茶を入れて飲んでいます。

講義が終わったあと、帰り道のJR大阪駅では福知山線が止まっています。

大変な影響を及ぼしていることがわかりました。

普段でしたら、三田や宝塚に帰る乗客者は、今日は大阪止めになった電車を前に途方に暮れているようでした。

参考資料 事故の間接的な要因

同事故においては以下のような多くの問題が指摘された。

JR西日本の経営姿勢が抱える問題

国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響からか、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされる。

私鉄各社との競争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益を優先し、安全対策が追いつかなかったと考えられる。

また同社においては、先述の競争の激しさや長大路線を抱えている点から、従業員がダイヤの乱れた時における乗客からの苦情の殺到を過度に恐れていたとの指摘もある。

同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社との競争環境に加え、民営化後多数の赤字路線を抱えていたこと、阪神・淡路大震災で一部の施設が全壊ないし半壊するなどの被害を受けたことや、山陽新幹線のコンクリート崩落問題で多額の支出を強いられたことなどが挙げられる。

日勤教育の問題

目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として再教育などの実務に関連したものではなく、日勤教育という懲罰的なものを科していた。

具体的には乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させた。

トイレに行くのも管理者の許可が必要で、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に

「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」「晒し者」にする事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺に追い込んだ事例もある。

それが充分な再発防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的プレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。

事故の当該運転士も、過去に運転ミスや苦情などで3回の日勤教育を受け、知人や友人に「日勤教育は厳しい研修だ」「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌だ」「降ろされたらどうしよう」と話していた。

さらに、事故直前の伊丹駅での72mのオーバーランの後、車掌にオーバーランの距離を少なく報告するように車内電話で要請したことも明らかになっている。

日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追及されている。

また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。

国土交通省の事故調査報告書は、日勤教育について「ほとんど精神論」と断じ、事故原因として「日勤教育等のJR西日本の管理方法が関与したと考えられる」と報告している。

ダイヤ面での問題

事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄宝塚線神戸線伊丹線と競合しており、他の競合する路線への対抗策と同様、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされている。

120km/h運転や停車時間が15秒などもともと全体的に余裕のないダイヤだった上、停車駅を次々と追加したにもかかわらず、所要時間は2003年(平成15年)12月に快速が中山寺駅に停車するダイヤ設定前と同じであったため、余裕時分を削って以前と変わりない所要時間で走らせ、慢性的な遅延が出ていることは問題視されていた。

特に当該列車においては基準運転時分通りの最速列車で、事故発生区間である塚口駅 – 尼崎駅間では2004年平成16年)10月のダイヤ改正によりさらに短縮されていた[17]

当時のJR西日本は施策で「余裕時分全廃」を掲げていた。

事故調査委員会が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時分のないダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった。

路線の設備での問題

当該事故発生前の現場周辺は、運行本数が多く速度も比較的高速な大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度照査用の自動列車停止装置設備が設置されていなかった。

JR東西線では開業時から全線でATS-Pが設置されていたが、福知山線においては付け替え区間も含めてATS-Pは当初設置されず、旧来のままとされた。

元々、福知山線では信号機に対する自動列車停止装置として、ATS-Pの代わりに、絶対停止機能と速度照査機能(点速度照査方式)のなかった従来の国鉄型ATS-S形の上位互換機種であるATS-SW形[注 8]が設置されていた[注 9]

が、速度照査を行うには速度照査用の地上子が必要だったものの、該当区間には速度照査用地上子(SN照査子)が設置されておらず、事故前には速度照査は実施されていなかった。

旧国鉄時代からJR東西線が開業するまで、福知山線は上下線とも東海道本線へのアプローチが尼崎駅西側の外側線(列車線)に接続されていた。

旧下り線は尼崎駅を出たあと東海道本線の南に分岐しそこから東海道本線を回り込む形で北上し現在のルートを通り現場のマンションの北側から直進していたが、旧上り線はそのままほぼ直進して南下し東海道本線の外側線に接続していた。

のち、福知山線はJR東西線との直通運転を開始するにあたり、上下線ともに内側線(電車線)に接続させる必要が生じたことから大掛かりな線路の付け替えが行われ、特に上り線は、下り線に併設されていた尼崎市場への貨物線跡地などを利用した新しいルートを通ることとなり、現在に至っている。

ただ、結果として、それまでより曲線半径が小さくなったのであった。

カーブでは高速運転をするためにカントを付けるのだが、現場は緩和曲線が短く、カントは上限105mmより少ない97mmなので、その分制限速度が5km/h低くなっていた(半径300mでカント105mm(上限値)での制限速度は75km/h。なお、従前の「本則」では60〜65km/h)。

なお、現場のマンションはこの上り線の旧線跡の一部を利用して建てられたものである(2002年竣工)。

以上、ウィキペディア(Wikipedia)より転載

JR 関連記事 アーカイブ

                        2005年4月25日

                        2020年4月25日編集