震災の記憶  阪神・淡路大震災から25年 

投稿No:8509

震災の記憶 阪神淡路大震災が起きた原因を仮説すると

震災の記憶は普段は忘れています

毎年1月17日が近づくと、世間では阪神淡路大震災の記憶が話題になってきました。

普段は、震災の記憶はゆっくりと、遠ざかっているように思えます。

震災の記憶は、記憶が鮮明なうちに書き残し、ブログでも一部書きました。

震災当日から、復興の日までを書いています。

是非、一読下さい。

震災の記憶から9131日

今年、2020年の1月17日は震災から25周年になります。

神戸の三宮センター街を歩くと、

9131は25年の日数を表しています。

1995年1月17日~2020年1月17日の25年間の日数です。

2010年、阪神・淡路大震災15年の節目にNHK神戸放送局などが「震災の絵」展を主催しました。

そこには、被災者自身や、震災について学んだ子ども達が描いた「震災当時の絵」約400点が出品されました。

そのうちの9つの絵や出品者にまつわる「震災以降のストーリー」を、今回改めて取材。

そして、それらをもとに兵庫ゆかりの9人のアーティストが、

「“あの日”からの9131日のストーリー」を絵で表現されたそうです。

三宮センター街では、1月17日~19日の間展示されます。

【出典:NHK神戸放送局

震災の記憶を継承しよう

1995年1月17日 午前5時46分。

阪神淡路大震災が発生し、私たちの大切なものを数多く奪っていきました。

あの震災から、25年を迎えました。

震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、

震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため、

2020年1月17日(金)に「阪神淡路大震災1.17のつどい」を、神戸市中央区の東遊園地で行います。

【出典:1.17のつどい

このまま、歳月が経過すると、震災の記憶が薄れていくことに、危機感が湧いています。

神戸市の市民の、およそ半数近くの人たちが、震災の後に生まれてきた人たちだそうです。

震災の記憶が薄れていく危機感から、継承への運動が始まっています。

あってはならない天災、無くてはならない防災

日本列島は、プレートの上の載っている島であると云われています。

大地は、不動であると思っていたのが、間違いでした。

大地が少し動いただけで、その上に乗っている都市の住居は崩壊するのです。

それが地震であり、津波が起こる原因なのです。

天災は忘れたころにやって来る、と言うように、日本の歴史の中でも大震災、津波の記録は残っています。

また、必ずどこかで天災が起きるのなら、その備えをする必要があるのです。

備えあれば憂いなし、と言うように、天災は語り継いで、防災の意識を持ち続けることで、被害を最小限にとどめることにつながります。

阪神淡路大震災の教訓

都市型大震災の教訓は、災害の発生には順番、地域性、法則、安全地帯などは無い事を思い知らされました。

25年前、なんで神戸に地震が?といった声がありました。

神戸は、全く震災に縁がないと言える位、安全地帯と思っていました。

天災には、次はどこが被災地になるかと言う順番はないのです。

近年の台風災害も、予想外の地域に集中豪雨が起きて、大きな災害になっています。

仮説 大地に負荷をかけると、地殻変動につながる

素人ながら、私は阪神淡路大震災が起きた要因を推測したことがあります。

淡路島の野島断層から、地震は起きています。

そこで、明石海峡大橋が、地殻に負荷をかけたのではないかと考えました。

明石海峡大橋は、膨大な重量です。

その荷重が、地殻を刺激したのではないかと推測しました。

脚の脛を硬いもので叩けば、反応して前に飛び出します。

あの現象が、明石海峡の地殻に起きたのではないか?と想像したのです。

大都市では、超高層ビルが、同じ地盤に集中して建てられています。

この重量も、かなりの負荷を地殻にかけています。

こんな仮説は、科学的な根拠はなく、当たらないほうが良いのです。

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2020年1月17日(金)