三洋電機 井植歳男社長が創った淡路市大磯港は、上流から運ばれる砂に埋まってきています

淡路市大磯港は砂に埋もれ、遠浅の浜辺になってきました。 家族で淡路(3)

淡路市大磯を拓いた 三洋(SANYO)電機社長 井植歳男

淡路市大磯は、三洋電機 井植歳男社長が拓いた地域です。

大磯は井植歳男さんの出身地だったので、大磯に愛着があったのです。

須磨と大磯を結ぶ淡路フェリーボートを就航させて、神戸と淡路を24時間結びました。

大磯港を造ったとき、大磯の海を埋め立てて、土地造成をし、分譲したことで大磯に新たな住居地が出来ました。

私も、その時に三洋電機の子会社の塩屋土地から分譲地を買ったのです。

三洋電機の関連工場を造り、淡路島に多くの雇用を生み出しています。

農業の村が、街になったのは、井植歳男社長の功績です。

この付近には、井植家の菩提寺の本福寺があります。

本福寺には安藤忠雄さんが設計した、水御堂があります。

サンヨー電機 井植歳男社長の菩提寺 別格本山本福寺

淡路市大磯にある、別格本山本福寺にお参りに行ってきました。

りんりん追悼記念

ここに、安藤忠雄先生が設計した水御堂があります。

りんりん追悼記念

水御堂には蓮が植えられ、花は咲いていませんでしたが、池の中央では、極楽をイメージするように、大きな蓮の葉を広げています。

りんりん追悼記念

本福寺は、山の中腹にあるので、ここからは大阪湾が見渡せる、素晴らしい景観です。

りんりん追悼記念

水御堂は、屋上が池で、睡蓮の花が咲き、メダカが泳ぐ池になっています。

階段を降りると、お寺の本堂があります。

りんりん追悼記念

水御堂の水面には、時間が来ると水を噴き上げるように、噴水が池の外に設置されて、水が循環するようになっています。

大磯バスターミナル フローラルアイランド

明石海峡大橋が開通して、淡路フェリーボートは消滅しました。

このあと、高速バスで大磯と三宮を結ぶバスの、バスターミナルが出来ました。

マスターミナルには、日の出農協が経営する、フローラルアイランドが大磯の農産物を委託販売しています。

日曜日のフローラルアイランドは、買い物客で大盛況です。

フローラルアイランドでは、買う度に割引券をくれます。 その割引券を使う度に、また買い物客が集まってきます。

買い物客の連鎖が続いています。

それは良い事ですが、困った事もあります。

レジは二台しかないのですがあまりにも買い物客が多く、お店の壁伝いにレジ待ちの人が延々と続いています。

お盆が近くなると、そろそろ淡路島産のいちじくが出回る頃です。

毎年楽しみにしている金崎農園のいちじくも並んでいます。

フローラルアイランドで買い物をする時は、2人1組のペアで行かなければ、レジが遅くなります。

1人が採れたての野菜を選ぶ間に、もう1人がレジに並びます。

大磯港は海水浴場になりそう

大磯港に上流から砂が流れ込んで、砂浜が広がってきています。

以前は歩けなかった海も、砂浜になって、昔の姿に戻っているようです。

これなら、幼児にも安心です。お昼からU君とMちゃんの海水浴です。

松葉博雄がみんなの前に進んで、安全な場所を確保します。

苔がついた石を歩くときは、気を付けなければ滑って頭を打つ事もあります。

U君はプールに通っていて、少しずつ泳ぐ楽しみが出てきたようで、 今日も率先して海に入ろうとしています。

Mちゃんは、初めての海水浴です。 まだお父さんかお母さんに抱っこされていなければ、水に浸かる事も怖いようです。

 大磯港はフェリーボートが周航しなくなって、大磯港に注ぎ込む砂の堆積が進んでいます。

以前は深い海だったのが、何年も経って川から砂が運ばれ、大磯港にどんどん自然に戻っています。

これは船にとっては危険ですが、遊びには大変都合の良い事です。

以前歩けなかった場所が、今では遠浅の浅瀬になって、幼児でも歩けます。

Mちゃんも一大決心をして、砂浜に立ってみました。

お兄ちゃんのU君と、同じ事をしたいからです。

穏やかな大磯港ですが、時々波が押し寄せてきます。

浮き袋に捕まっていれば、子どもとしては十分な波乗り遊びが出来ます。

もう少し高い大きな波が欲しいところですが、 この先海を怖がる事もあるので、5歳児にはこの程度の波で十分です。

30年も前に、この大磯港で幼い長男と遊んだときは、ゴムボートが必要でした。

黄色い大きなゴムボートを足踏みペダルで空気を入れて、汗をかきながらボートを膨らませました。

そのボートの上から魚釣りをするのです。 釣れたのは、夏の季節のベラです。

時々とんでもない小魚が釣れて、その鬼オコゼを釣り針から離して、ゴムボートに置いておきました。

誤って、オニオコゼに足の親指を刺され、毒がまわってきました。

その時の痛みは、言葉が出ないほどの激しい痛みです。

大磯港が、自然の埋め立てで遠浅の浜辺になっていくと、これから先も、天然の水遊び場になりそうです。

8月の夏真っ盛りの海で海水に浸かれば、一応冷たく感じ、暑い夏の海水浴をほんの少し楽しむ事が出来ました。

幼児がいると幼児の安全が最優先なので、大人は子どもが喜ぶ姿をみて喜ぶミラー効果のようなものです。

2015年8月9日(日)

サンヨー電機 井植歳男社長が拓いた大磯港は静かな住宅地になって来ています。

大磯はサンヨー電機井植歳男社長のロマンの港

明石海峡大橋が完成する前は、神戸から淡路島に渡るには、淡路フェリーボートを利用していました。

淡路島出身の三洋電機の社長・井植歳男さんが、故郷の淡路島と、ご自分が住んでいる、神戸塩屋のジェームス山とを船で結ぼうと考えて、神戸側は須磨に、淡路側は大磯にフェリーボートの港を作りました。

今となっては、大磯港はフェリーボートも通わない、寂しい漁港になってしまいました。

淡路フェリーボートが就航していたころには、フェリーボートの発着場には、多くのお店がありました。

船の時間待ちをする人たちのために、喫茶店や、食堂があったのです。

ほとんどのお店は、今は閉店しています。

よく利用していたお好み焼き屋の、小磯も閉店してしまいました。

寂しいことです。

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