田中恭一会長と田中英成社長の創ったメニコンの社史が、ミュージカルになります。社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン
メニコン神戸営業所の、社員の皆さんの思い出話が、篠田浩樹本部長の暮れの挨拶の食事会で、沢山出ました。社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン
年末の挨拶に、メニコンの篠田浩樹本部長と、九鬼真之部長、菊川紀幸課長さんが、来られました。
お歳暮に、日本茶をいただきました。
いつの間にか、年末の挨拶回りの時期になっています。
本部長となれば、全国を回るようで大変です。
話は、11月の石巻での、勉強会の話になりました。勉強会ではその合間に、食事会があったり、東日本大震災の被災地に、花を手向けに行きました。
もめ事もトラブルもない、良好な取引関係の場合、話すこととなれば世間話ばかりです。
お昼頃来られたので、この後は、皆さんでビジネスランチに行きます。
センター街を通り抜けると、献血ルームの献血へのお願いの看板が、目を引きます。
ビジネスランチのお店は、さんのみや 三ツ輪です。ここの3階です。
時々、三ツ輪の3階を使って、食事会をしています。思い出すのは、兵庫県立大学の小西一彦先生を囲む食事会をここでしました。
メニコンさんが3人、我が社が3人で、合計6人で、ビジネスランチです。
仕事中なので、飲み物は、ニセビールこと、フリービールです。
三ツ輪の女子スタッフとは顔なじみです。写真を撮りましょうと気を利かせてくれた方は、三ツ輪に入社して13年です。それなら、メルスプランが始まった頃です。
先日の石巻の勉強会で、特によく気を遣っていた、男子社員の話が出ました。逆に、気が回っていなかった男子社員もいました。こんな話から、我が社に関わっていただいた、これまでの記憶に残る、社員の話になりました。
特に記憶に残るのは、田中英成社長が神戸に来られたとき、社長同士で話をするので、同席を遠慮して欲しいと言った言葉に、激しく反応して、どうして私が同席したらいけないんですか?と、つむじを曲げた社員がいた話は、今でも語りぐさです。
我が社のために、尽くしてくれた、メニコンの社員の方は、沢山います。神戸営業所で、新入社員だった社員も、その後、功を重ね、課長から部長へ、部長から役員へと、昇進していった人もいます。
九鬼真之部長は、神戸の営業所から、横浜に転勤するとき、松葉博雄が権限をもって、また我が社の担当に戻って来て下さいと、言われたことを、今でも覚えているそうです。
篠田浩樹本部長は、安永幹夫さんと、同期だそうです。
安永幹夫さんとの思い出話も、沢山出ました。
今年の8月に、田中英成社長が、我が社に表敬訪問をしていただいた時、松葉博雄から出た提案で、メニコンの歴史を、メニコンの文化を、現在と将来の社員の皆さんに伝えるための、物語を作られたらどうですかと、話したところ、この話は実現して、来年には歌劇になるそうです。
歌劇となれば、ストーリーと作曲の二つを作り、さらに舞台にあげるための演出が必要です。
田中英成社長は多芸多才な方で、経営以外にも、文化的な活躍をされています。
メニコン創業者の、田中恭一会長とも、何度もお会いしています。
田中恭一会長が創業し、田中英成社長が継承した、メニコンの発展のストーリーが、歌劇になるようです。
今日のビジネスランチは、よく出来る社員や、こんな社員の方が、その後経営者や得意先から評価を受けているという、普段話さない話があったので、菊川紀幸さんは、これは大変と思い、席から立ち上がり、皆さんにお茶を注いで回っています。
田中英成社長は、就業中は禁煙にしています。この社長の決断は、一部の社員にとっては、大変重い、辛い決断のようです。そこで、禁煙を守れない社員も出てきます。
しかし、田中英成社長は、誰が守れていないかを、何となくご存じのようです。知らないのは、社長に知られているとは思わない社員です。
2014年12月8日(月)