ジョンソン・エンド・ジョンソンの浜田穣さんは、1995年の阪神淡路大震災の頃の我が社の担当者でした。阪神淡路大震災の復興に協力してくれた、取引先の人と会うと、あの頃の思い出が蘇ってきます。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの浜田穣さんは、1995年の阪神淡路大震災の頃の我が社の担当者でした。阪神淡路大震災の復興に協力してくれた、取引先の人と会うと、あの頃の思い出が蘇ってきます。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの浜田穣さんが

神戸の我が社に来られました。

浜田穣さんは、1995年の阪神淡路大震災の頃の

我が社の担当者でした。

2009年に来られたときも、昔話が出ました。

やはり

阪神淡路大震災とその復興の頃の苦労話になります。

浜田穣さんは、東京の本社勤めで

社長のデイビッド・R・スミスさんのすぐ側でお仕事をしているようです。

浜田穣さんから聞いた、デイビッド・R・スミス社長の良い所は、

コンタクトレンズがだんだんと日用品や、化粧品と誤解されている時代に、

基本通り、コンタクトレンズは

高度管理医療機器であるという考えを変えないことです。

デイビッド・R・スミス社長は、

我が社に二度来られています。

最初は2011年二回目は2013年に来られました。

もし理念を曲げて、販売拡大を第一に志向すれば、

コンタクトレンズを医療ルートから外して、

販売ルートを重視すれば、

それでジョンソン・エンド・ジョンソンの売り上げは多分増えると思います。

しかし、デイビッド・R・スミス社長は、

理念を曲げて売り上げを追求する事を選んでいません。

四国の香川で買ってきた和三盆をお茶菓子にして、

奧さんは抹茶を点てて、浜田穣さんにお茶のおもてなしをしました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンが経営学で評価されている事は、

一つはクレドと言われる理念です。

もう一つは、解熱鎮痛剤のタイノール事件での対応です。

このように、一つの心情を貫くことが、

経営学上で評価されています。

ジョンソン・エンド・ジョンソンが日本国内で、

取引先や販売先にこだわるのを、

この基本にある、フィロソフィーです。

話が弾んできたので、今日はたいした仕事の要件もないので、

夕方になったことから

、このセンタープラザビルの上にある、

東天紅で一杯やりませんか?と、話がまとまりました。

一緒に来ている、小山潤さんと岡﨑裕之さんは、経営勉強会に参加して、

熱心に論文作成を目指していますよとお話すると、

浜田穣さんも社長研究室の記事をよく見ているので、すでにご存じでした。

神戸の担当なら、

浜田穣さん自身も勉強会に参加したい気持ちのようです。

東天紅に来ました。

まずは乾杯です。

ここで、浜田穣さんの私生活について、インタビューです。

いつも聞くテーマは、どのようにして結婚に繋がったのか、

その馴れ初めです。

この話は、初めて聞く内容ですが、

事実は小説より奇なりという言葉通り、

まさかまさかのほんのわずかな偶然から

結婚に繋がるご縁があったそうです。

飲みながら話していると、

趣味に共通項がありました。

それは、週刊新潮で紹介されている、

田舎の不動産に対する憧れです。

香川県の不動産で、庭に溜池があるほど、広い敷地の不動産が、

2000万円以下で買えるのです。

田舎の不動産を買って、庭の手入れをしたり、

池で鯉を飼ったり、果物の収穫をするようなそんな田舎暮らしです。

先日、ドライブで立ち寄った、鳴門のびんび家の記事も、

浜田穣さんは読んでいました。

気がかりなのは、お嬢さんの成長です。

娘は、大きくなればなるほど、

父親から離れていくその心配です。

これは、男親なら、皆さんが経験する心配の種です。

飲んでばっかりではお腹が空くので、

北京ダックを注文しました。

ビールが飲めない人も中にいるので、ビールが飲めない人には、

急いでチャーハンを注文して、

ビールの代わりにチャーハンを食べて頂きます。

小山潤さんの、結婚の馴れ初めに移ります。

小山潤さんの場合も、かなりの偶然です。

横浜で忘年会をしているときに、

ふと知り合った事から始まっています。

かなり長い時間かかって、

北京ダックが出来ました。

アヒルの皮はカリカリになるほど焼かれています。

北京ダックの食べ方はどうするのですか?

と尋ねられたので、インドのナンのような

小麦粉を使って焼いた薄い生地に、

下地にソースを塗り、北京ダックとネギ、

にんにく、鶏肉を巻いて頂きます。

お店の違いが出るのは、このソースです。

ソースだけを持ち帰って、

何がどのように配合されているのか、研究したくなります。

美味しくて、うなりながら食べています。

北京ダックの薄い鳥の皮は、

想像以上に脂っ気を含んでいます。

話がいろいろ変わり、勉強の話です。

浜田穣さんもこつこつと、

仕事の後に勉強を続けるようなタイプの人でした。

ジョンソン・エンド・ジョンソンが許してくれたら、

もう一度販売職に就きたいようです。

その理由は、社内のデスクワークより、

会社の外に出て、いろいろな企業を訪問して、

いろいろな話を聞きたいようです。

大変笑いながら、面白い話しをしている内に、

センタープラザビルから見える周りの景色は、

いつの間にか、ネオンの灯る夜景に変わっています。

神戸の夜景は、東京ほどの華やかさはありませんが、

ビルの間からは海も見えて、

適度な都会と田舎が混じり合っている、住みやすい都市です。

今夜は神戸泊まりです。

明日は会社が休みの日なので、

朝もゆっくり起きて、

そのうちゆっくり東京に帰る予定のようです。

今夜は、浜田穣さんの高校時代の頃から始まる、

青春物語や、我が社を担当した頃の震災復興に参加した話、

そして現在の仕事、更に奧さんやお嬢さんの

ちょっとした家族の話などを聞かせてもらいました。

10時を過ぎて、これでお開きです。東京に戻って、

本社に出社したときは、

デイビッド・R・スミス社長に宜しくお伝え下さい。

2014年6月6日(金)