建国記念の日 日本の天皇家は 約2700年の歴史 なぜ世界最長の王朝なのか?

建国記念の日 日本の天皇家は なぜ世界最長の王朝なのか? 

 

2月11日は

建国記念の日です。

建国記念日ではありません。

建国の日は特定できないのです。

初代天皇とされる神武天皇の即位日として、

建国記念の日として制定されました。

普段、何気なく過ごしているこの日本にも、

悠久の時を刻んできた壮大な

歴史があります。

日々の暮らしの中では意識することは

少ないかもしれませんが、

私たちの立つこの土地には、

神話の時代から連綿と続く物語が

息づいています。

日本の起源については、

神話と歴史の両方の視点から

語ることができます。

神話の世界では、日本は

神々によって創られたとされていますが、

歴史的には数千年にわたる文化の発展と

統治の確立によって現在の形へと

進化してきました。

日本の建国に関する神話は、

「古事記」や「日本書紀」に記されています。

日本神話では、最初に

イザナギ(伊邪那岐)」と

イザナミ(伊邪那美)」という神々が登場し、

天の神々の命を受けて日本の国土を創りました。

彼らは「天の浮橋」から

矛を使って海をかき混ぜ、

最初にできた島が淡路島とされ、

その後、大八島(おおやしま)と呼ばれる

日本の主要な島々を生みました。

淡路島にある伊弉諾神宮は、

日本最古の神社の一つとされ、

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と

伊弉冉尊(いざなみのみこと)を

主祭神として祀っています。

(過去ブログ:日本の国の始まりは淡路島です。

天照大神の

孫である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が

高天原(天界)から降臨し、

日本統治を始めたとされています。

これを「天孫降臨」と呼びます。

その子孫である神武天皇が、

紀元前660年2月11日に

大和地方(現在の奈良県)で即位し、

日本の初代天皇となったとされています。

この日が日本の建国記念日の由来になっています。

神話とは別に、

歴史的に見ると、日本は

徐々に統一されていきました。

縄文時代には狩猟・採集生活が中心でしたが、

弥生時代に稲作が伝わり、社会が発展しました。

弥生時代には各地に小国(クニ)が誕生し、

王が統治する時代に入ります。

中国の歴史書、魏志倭人伝には、

3世紀ごろ日本列島には

「倭(わ)」と呼ばれる国々が

存在していたことが記されています。

その中でも邪馬台国という国があり、

卑弥呼という女王が

統治していたとされています。

邪馬台国がどこにあったか

(九州説・畿内説など)は、

今も論争がありますが、

日本の統一国家の萌芽と考えられます。

7世紀後半、

飛鳥時代の天武天皇の時代に、

「倭」という名称から「日本」へと

正式に国号が変更されました。

日本書紀には、

天武天皇が「日本」という国名を定めた

とする記述があります。

その後、701年に制定された大宝律令によって、

日本の国家体制が整備され、

律令国家としての日本が確立したのです。

日本は、世界において

最も長く同じ王朝が続いている国であり、

その歴史は約2700年にも及びます。

初代天皇とされる

神武天皇の即位から現在に至るまで、

一度も王朝交代を経験することなく、

その血統と伝統を守り続けている点は、

他国には見られない特異な特徴です。

世界には数多くの王朝が

存在しましたが、

多くは数百年で交代してしまいます。

しかし、日本の天皇家は

約2700年もの長い歴史を持ち、

世界最古の王朝として存続し続けています。

なぜ日本だけが、王朝交代を経験せずに

天皇の血統を保ち続けることが

できたのでしょうか?

日本では、

天皇は神話の世界と深く結びついています。

日本書紀や古事記によれば、

天皇は太陽神・天照大神の子孫とされ、

その血統が神聖視されてきました。

初代天皇とされる神武天皇も、

天照大神の血を引く存在とされ、

日本の支配者としての正統性を

神話的に裏付けられています。

これにより、日本では

「天皇の血統が変わることはありえない」

と考えられ、他国のような王朝交代の

概念が生まれませんでした。

中国では「天命思想」に基づく

易姓革命(王が徳を失えば新しい王朝が

天命を受けて交代する)が一般的でした。

ヨーロッパでも、国王が統治に失敗すれば

革命やクーデターが起こり、

王朝が交代することがよくありました。

しかし、日本では天皇は

「神の血統」とされていたため、

王朝交代の正当性が生まれにくく、

結果として天皇家が長く続くことになりました。

日本では天皇が直接政治を行うことはなく、

政治の実権は貴族や武士が握っていたため、

政変があっても天皇家は

生き残ることができました。

このため、政権が変わっても、

天皇を排除する発想が生まれにくかった のです。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、

自らの政権の正統性を確保するために、

朝廷の承認を得て「将軍」となりました。

このように、武士政権は天皇の存在を

利用しながら権力を維持しました。

武士政権は

「天皇を廃止するのではなく利用する」

という方針をとり、それが結果的に

天皇家の存続につながりました。

また、日本は島国で

異民族の侵略を

受けにくかったことも影響しています。

中国では異民族による王朝交代が頻繁に起こり、

イギリスやフランスなども、

異民族の侵略や王朝交代を経験しています。

他にも、日本の天皇家は

柔軟に適応しながら生き残りました。

14世紀の南北朝時代では、

天皇家自体が南朝と北朝に分裂しました。

しかし、最終的に統合され、

天皇家の血統は維持されました。

そして、明治政府は、

「天皇を中心とする近代国家」を掲げ、

天皇制を国家のシンボルに据えました。

これにより、天皇家の影響力は戦国時代や

江戸時代よりもむしろ強化されました。

1945年の敗戦後、天皇は「象徴天皇」として

政治的な実権を完全に手放しましたが、

それにより国家の象徴としての地位を

守ることができました。

結論として、

日本の天皇家が世界最長の王朝として続いているのは、

  1. 天皇の神聖性と日本独特の国家観

  2. 天皇が実権を持たず、政権交代の影響を受けなかった

  3. 武士政権が天皇を利用し続けた

  4. 地理的要因により異民族の侵略を受けなかった

  5. 制度の変化に柔軟に適応しながら生き残った

以上の要因が複雑に絡み合い、

日本の天皇家は2700年もの歴史を

刻み続けているのです。

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