冬の終わり 春の始まり 春分の日 自然をたたえ、生物をいつくしむ日 お彼岸の中日

投稿No:9838

冬の終わり 春の始まり 春分の日 自然と共に新しい季節を迎える日 自然をたたえ、生物をいつくしむ日 お彼岸の中日

今日は春分の日です

春分の日とは、国民の祝日の一つであり、

「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日

とされています。

そして、太陽は赤道上にあり、

地球のどこにいても昼と夜の長さが

同じになる日です。

しかし、実際には、昼の方が少し長いそうです。

地球が太陽の周りを公転する周期は

365日ちょうどではなく

365日と6時間ほどかかるので、

太陽が春分点を通過する「春分日」の日付は

年によって変わることがあるそうです。

この日は、冬の終わりと

春の始まりの象徴として、

新たな季節の到来を告げます。

植物が新しい生命を吹き込まれ、

動物が冬眠から目覚めるこの時期は、

自然界が再び活気づき始めるのです。

先日、春を感じに梅見に行きましたが、

もうそのほとんどは散ってしまっていて、

次は、桜が咲く準備を始めています。

(過去ブログ:南あわじ市 広田梅林 ふれあい公園 移り変わる季節

冬が終わりを告げ春の訪れが感じられるこの日を、

昔から人々は自然に感謝し

春を祝福する日として祝っていたのです。

春分の日は、なぜ祝日と

なっているのでしょうか?

その理由は、

昼夜の長さが等しく、「自然のあらゆる生命が

若々しく盛り上がる時」であるため、

異議なく採用されたとされています。

(参考:政府広報オンライン

春分の日と言えば、お彼岸の中日でもあります。

もともと、この時期はお彼岸で、

先祖を供養する日でもあるのです。

春分の日、秋分の日は

「此岸と彼岸が最も通じやすい日」と

考えられているため、お彼岸の期間中は、

ご先祖様への感謝の意味を込め、

お墓参りや仏壇の掃除、お供えなどの供養を行い、

それにあわせて自分自身の日頃の行いを振り返り、

見つめ直すのが古くからの習わしです。

太陽も真東から昇り真西に沈み、

西と東が一直線になるので

あの世とこの世が繋がりやすくなると考えられ、

その日にお墓参りをしてご先祖様を供養します。

お彼岸は仏教の教えの一つです。

仏教は、ブッダの教えです。

お釈迦さまは、今から約2500年ほど前に実在した方です。

ゴータマ・シッダールタが本名です。

ブッダ(Buddaha)とは「目覚める」

という動詞の過去分詞形で、

広く「目覚めた人」「悟った人」を意味します。

広い意味では、悟った人すべてを意味する一般名詞です。

インド巡礼記

この仏陀が省略されて「仏」となり、

日本語では「ほとけ」と読まれるようになりました。

今年のお彼岸は、家族それぞれが忙しく、

なかなか時間が取れないので、

1月に、家族みんなで、

お墓参りを済ませてきました。

初めて、孫たちを連れて行き、

先祖を敬い、家族の絆を

大切にする時間を設けました。

(過去ブログ:孫もびっくり我が家の前方後円墳

彼岸とは (浄土真宗の教えから)

「お彼岸」ということばは、

私たちの生きている世界を

「此(こ)の岸」というのに対して

「彼(か)の岸」、つまり阿弥陀の

さとりの世界である浄土を意味します。

お彼岸とは、此岸に生きる私たちが、

生死という迷いの世界から浄土の

さとりの岸に至ることを願う仏事なのです。

このお彼岸の考えは、

悩みや苦しみ のない

浄土に生まれたいと願わずにいられない、

私たち人間の奥底から生まれてきたといえます。

私どもの浄土真宗では、

亡くなられた方を諸仏といただいています。

私たちは亡き人を偲ぶことを通して、

亡き人が身をもって示してくださった、

生老病死の身 を生きているという

事実に立ち返らされます。

そして生老病死を受け止めることができず、

悩み苦しむ煩悩の身を

生きていることを教えられます。

浄土真宗において、

お彼岸にお寺やお墓に

お参りすることは、諸仏と仰ぐ

「亡き人からかけられた願」いを、

身をもって聞く場をいただくことなのです。

お彼岸をお迎えするにあたり、

私どもに先立って歩んでくださった人をとおして

念仏の教えに耳をかたむけたいものです。

(出典:東本願寺出版部「お彼岸」)

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彼岸とは (私の理解)

悟りの世界というものは、

大きな川を隔てた「向こう岸」にあるとされ、

それは「彼岸(ひがん)」と呼ばれています。

それに対して、悟りが得られていない人間世界を

「此岸(しがん)」と呼んでいます。

人間は 死ぬと執着から解放されるので、

死後には「彼岸」へ行けると考えられています。

彼岸では、煩悩、欲望などの、

苦しみの元である執着から解放されて、

煩わされることのない平穏に暮らせると

考えられているのではないでしょうか。

毎年春と秋のお彼岸は、

彼岸と此岸との距離が

最も縮まると考えられているので、

お墓参りをして、執着を捨てた祖先に

人たちにに近づけそうと、

思っているようです。以上私の理解。

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