昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスター写真 昔懐かしいJASの「コーラルアイランド」の宣伝写真

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真 与論島は、「パナウル王国」とも呼ばれています。「パナウル」とは、与論の方言で、「パナ」 とは「花」、「ウル」 とは「珊瑚」を指しています  与論島訪問 1

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスター写真 で見た与論島へ出航

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真で見た与論島へ行きます。

普段よりも早く、朝、7時前に起きました。楽しいことがある日には、自然と目が覚めて、体内時計の不思議さに驚きます。

7時ごろの前兼久の夜明けの状況です。

今朝は、穏やかな海です。だんだん陽が上がってくると、周りが明るくなってきます。朝焼けです。

今日は昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真で憧れてた与論島に行くことになっています。

本部港から与論島に向かいます。

マルエーフェリーの「A LINE」に乗ります。

乗船券発売所は、第100回沖縄訪問時に訪れました

あのときは9月でしたが、同じ年の12月に、ここでフェリーに乗るとは思いませんでした。

車に1人乗って、往復が24890円です。

フェリーに乗るには、切符だけでなく、車に乗船券を貼り付けて、本船の作業員が一目見てどこに向かう車なのか、すぐに判断できるように、A4サイズの張り紙を渡されます。

張り紙は、運転席の窓ガラスに外から見て分かるように、留めるように糊が付いています。

マルエーフェリーでは、本部から与論までの往復券を買うと、1割引になります。乗車券を買うには、申込書を書きます。

申込書には、もし船が事故にあったときは、身元が分かるように、車の車検番号だけでなく、乗客者の個人情報を書いて、申告します。

切符も買ったので、間もなく「A LINE」の「フェリーなみのうえ」に乗ります。

A LINE「フェリーなみのうえ」

船は大きな船です。

総トン数は6,586.00トンで、全長145.61m、幅が22m、旅客定員は、804名、最大速力23.6ノットの早さです。

船に乗ると、工場のような天上の高い、鉄板で敷かれた広いところに車が入っていきます。

あまり車の乗客はいません。

2時間足らずの船の旅です。

車に愛犬リーを残して、車から降りて、朝ご飯を買いに売店に行って、きつね寿司を買いました。

きつね寿司とお茶を持って一番上のデッキで日に当りながら食べます。

フェリー「なみのうえ」は、ゆっくりと本部港の岸壁を離れて、与論島を目指して出港しました。

昔のように、ドラが鳴り、別れを惜しむ紙テープを握り合って、船を見送る姿もありません。あっさりしたものです。

瀬底島に掛かる橋です。

向かいに見える島は、瀬底島です。

本島伝いにずっと行くので、本島を抜けるまでが長いのです。

9時25分頃出発です。

少しずつ「フェリーなみのうえ」は本部港の岸壁を離れていきます。

船が進むと、白い軌跡が残っていきます。

次に見える島は、水納島です。

水納島を過ぎると、伊江島が見えます。

デッキに座って、日に当りながら、片山正喜さんとお弁当を食べながら、海の話をしています。

片山正喜さんは、大学で海洋学を学び、船を操ること、海に潜ること、魚を捕ることなどを理論だけでなく、実技でも学んでいます。

これからゆっくり片山正喜さんの歩いてきた道を思い出すように、話してくれます。

この道のりの中で、与論島が出てくるようです。

船の中を歩いてみました。

デッキにいる人は希で、ほとんどの人がキャビンで横になって、寝ています。

この船は、鹿児島行きなので、鹿児島までの長い時間は、寝て過ごして、エネルギーを溜めているのでしょうか?

伊江島が近くなりました。風力発電所が見えて、また離れていきます。

デッキで片山正喜さんと世間話をしていると、少女がいました。

ちょっと手を振ってみると、少女はやってきました。

話してみると、埼玉県から沖縄に移って、何年か過ごし、再び、沖縄から埼玉に帰る旅のようです。

小学校に上がる頃を機会に、家を替わるようです。

7歳ぐらいでしょうか。アイスクリームを食べているので、「寒くない?」と尋ねてみると、寒くないそうです。

本船は与論島に向かって、どんどん進んでいきます。

およそ出航から2時間で、与論島が見えてきました。

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真の憧れの島、青春の独立王国(パナウル王国)

憧れの島、青春の独立王国(パナウル王国)と若いときに聞いたことがあります。

「パナウル」とは、与論の方言で、「パナ」 とは「花」、「ウル」 とは「珊瑚」を指しています。

2つの言葉を繋ぐと、何か南太平洋の独立王国の島のようなイメージが湧いてきます。

後、しばらくすれば、パナウル王国に上陸します。

 

品覇海岸、宇勝海岸、寺崎海岸をまわって、奄美郡島国定公園特別地域の大金久海岸、星の砂で有名な「百合々浜」を訪れました。   与論島訪問 2

与論島上陸

与論島に上陸して、少しドライブすると、お昼頃になったので、与論町役場のメインストリートに出て、適当な飲食店を探して歩いています。

見つけたのは、「炉端居酒屋・海将」です。決め手は、お店の前の黒板にチョークで書いた、本日の日替りの酢豚定食700円の文字です。

片山正喜さんも迷わず、酢豚定食にしました。

今日は、酢豚定食が700円、かき揚げ丼が600円、牛丼が600円です。

でも、昨日の値段と明日の値段は知りません。

まず、ビールを頂きます。

オリオンビールを注文すると、オリオンビールは置いていないと言われました。

与論島は、沖縄県から鹿児島県に移っているのです。

だから、アサヒビールかキリンビールを勧められました。

アサヒビールを選んで、まずは乾杯をして、酢豚定食を食べました。

隣の席で座って食事を取っていたおばあちゃんが、「あの人たちに箸を持って行きなさい」とお店の人に言っていました。

「おばあちゃんよく気が付くね」と言うと、「炉端居酒屋・海将」のオーナーかと思えば、お隣の刺身屋さんでした。

与論島を代表するお酒は、「有泉」です。アルコール度20度が飲みやすく、お勧めです。

 

隣のおばあちゃんが、「私は、刺身屋をやっていて、冷蔵庫を買い直したいんだけど、沖縄で冷蔵庫を買うには、どうしようかなぁ」という相談を片山正喜さんにしていました。

 

片山正喜さんは、「電話で連絡してくれたら、見繕ってあげるけど、おばあちゃんは、本島の那覇に娘さんがいるなら、娘さんに頼んだ方がいいですよ。

それでも冷蔵庫を売っているお店が分からなかったら、私に連絡してください」という話になりました。

さっき会ったばかりの人に、いきなりお店の大切な設備である冷蔵庫を買う相談をしていいのか、お店の人も少し心配そうに聞いています。

ちろん、片山正喜さんは、親切さで言っていることですが、一番確かなのは、買う人が自分で選んで、納得して買うに越したことはありません。

でも、与論島にいるおばあちゃんは、船に乗って沖縄の本島に行くのですら、何か不安があるようです。

お昼ご飯を終わって、与論島巡りを再開します。

与論島のビーチ 百合々浜

与論島は、だいたい丸い形の島で、あちらこちらにビーチがあって、その中で片山正喜さんが昔、魚を捕りに行っていた、思い出の綺麗なビーチに下りていきます。

与論島の珊瑚の海は、40年ぐらい前には、地球の中でも最上級の美しい珊瑚礁の海だったようです。

それが、地球温暖化の影響で、水温が上がりすぎて、ほとんどの珊瑚が白化現象で死滅してしまいました。

ドライブ中に気が付いたことは、沖縄と与論島は距離は近いのですが、戦後、鹿児島県と沖縄県の境界で隔てられ、戦後は鹿児島県の影響が出てきています。

例えば、与論島のお墓は、以前は沖縄風の大きなお墓だったようですが、今では鹿児島の影響を受けたのか、本土風の石柱になっています。

与論港から時計回りにまわって、海岸線を1周している間に、品覇海岸、宇勝海岸、寺崎海岸をまわって、 一番有名な、奄美郡島国定公園特別地域の大金久海岸に着きました。

 

有名な「百合々浜」があるビーチです。

ここで、松葉博雄は昔、泳いで、魚獲り用のヤスを借りて、ムラサメモンガラを捕まえたことがあります。

以前に来たときの夏の海水浴客で賑わっている写真と比べてみると、冬の浜辺は賑わいが違っています。

この浜辺の向こうには、潮が引くと出てくる「百合ヶ浜」があります。

今は、潮が満ちていて、「百合ヶ浜」の姿は、ちょっと水をかぶって見えません。

「百合ヶ浜」が見えなくても、沖の海の色が白浜で、白く見えることが分かります。

片山正喜さんが昔、与論島でダイビング・シュノーケリングを観光客の人達に教えていたビーチに行きました。

白い砂浜と、すぐ後ろには、緑地が続く天然の美しさを無残にも壊してしまう漁港整備がありました。

浜を埋め立てて、美しい白浜に漁港を作ってしまいました。

なんというもったいないことをしたのでしょう。

壊した自然は、短時間ではもとに戻りません。

地面をえぐり、コンクリートで埋め立てて、浜辺を陸地に変えてしまった、与論島の持つ天然自然の美しい浜辺は、もう戻りません。

¥2008年12月2日(火)

与論民族村では、オーナーの菊千代さんから、茅葺きの屋敷を維持する難しさを聞きました。素材の茅と茅職人はどんどん減っています.与論島訪問 3

 

百合ケ浜を見た後は、浜辺の近くに並ぶお土産物屋さんを覗いてみました。

12月の浜辺を訪れる客はいませんが、それでもお店を開いて、お店の貝細工を見て行くように、誘われました。

一件の店に入って、何となく並べている珊瑚のネックレスなを見ていると、お店のおばあちゃんが星の砂をくれました。

「私が作ったから、どれも安いよ」と言っていても、人件費の安い南の国から輸入していることを知っているので、聞き流しています。

今日、泊まる「星砂荘」にチェックインに訪れました。

あいにく、ご主人は留守でした。

その間に、「星砂荘」の近くの観光施設に行きます。

歩いて行けるぐらいすぐ近くの与論民族村です。

ここは、前に来たことがあります。

そのことを片山正喜さんに話しました。

「サトウキビを絞るため、牛がグルグルまわる作業の場所がありますよ」と言ったら、片山正喜さんは、「そんなことはない」ということですが、どうでしょうか?

片山正喜さんの方が詳しいので、松葉博雄の記憶間違いかなと、思って見たり、「確かにあった」と自信を持ってみたり、まずは確かめてみましょう。

数年前、片山正喜さんは、与論民族村の経営者の方に沖縄からパパイヤの苗を持ってきて、植えたそうです。

どれだけ大きくなったか、片山正喜さんもパパイヤの成長を気にしていました。

それが見事成長して、今年は台風もなく、たくさんのパパイヤの実を付けています。

民族村は民営です。

与論の昔の家、沖縄の文化、奄美群島の文化を今も残しています。

茅葺き屋根の維持は、素材の茅を集めることと、茅を屋根に葺く茅職人が集まらないので、葺き替えが大変です。

与論民族村の入場券は400円です。

松葉博雄は有料で、片山正喜さんは、馴染みなので顔パスです。

民族村を一つひとつ屋敷を巡り、歩いているうちに、記憶が戻ってきました。

確かに、サトウキビを絞るための、牛がまわる施設があるはずです。

中庭には、バナナが実っています。

窓から覗く屋敷の中には、昔使った機織り機がありました。

見つけました。サトウキビを絞る機械です。

牛がグルグルまわってサトウキビから砂糖きび液を絞ります。

そして、黒糖を作ります。

米蔵倉もありました。以前、与論島では、二毛作で米が取れたそうです。

そのときに、米を収納した蔵です。

ネズミが来ないように、高倉にしています。

昔の酒や米などを貯蔵する倉庫です。

戦後、沖縄と与論が分断されたときには、パスポートが発行され、沖縄からは泡盛が入らなくなった時期があったそうです。

与論民族村を経営する菊千代さんは、時代とともに消えていく、琉球時代の家屋や農耕具、漁業具などを収集し、保存しています。

与論島だけでなく、沖縄本島から木造のお家を移築しています。

文化財としての価値が注目され、本にも掲載され、紹介されています。

オーナーの菊千代さんと片山正喜さんは、お茶を飲みながら、昔話に移り、松葉博雄が知らない昔話に、笑いこけていました。

確かに貴重な文化財です。

民族村の歩道を案内に沿って歩いてみると、先日の朝日会バス旅行で見た「おきなわワールド」の「王国村・城下町」と同じように、今では壊されてしまった、台風にも耐えた、強い作りの民家です。

下の写真は、30年近く前に、松葉博雄が与論民族村に来たときの写真です。

今と比べてみても、あまり変化がありません。

よく手入れして保存できています。

変っているのは、民族村にいる人たちの世代でしょうか。

 

2008年12月2日(火)

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真 JAS「コーラルアイランド」のポスター、 与論島訪問 4

 

昨夜は、与論島のネオンのない、真っ暗な夜空に輝く星を見て感動した後、黒糖焼酎「有泉」で酔っぱらって、寝てしまって、覚めた翌朝です。

ちょっといつもより早く目が覚めて、清々しい気持ちになったので、民宿「星砂荘」の付近を散歩してみました。周りはさとうきび畑ばかりです。

さとうきび畑の向こうには、風力発電所の羽根車が見えます。

朝の8時ちょっと前の与論島の朝です。

民宿の廊下に張ってあった、等身大ほど大きなポスターには、昔懐かしいJASの「コーラルアイランド」の宣伝写真がありました。

昔懐かしい与論島「パナウル王国」のポスータ写真を35年ぶりにみました。感激です。

この写真は、以前、見たことがあります。

この「コーラルアイランド」の写真が旅行社に掲示されていた頃は、与論島

に行きたくて行きたくて、たまらない時代でした。

散歩が終わると、朝食です。

民宿が付近の景色の中で、大きな建物であることが分かります。

なぜ民宿は、こんなに大きくなったのか、女将さんに聞きました。

NHKの「新日本紀行」の番組で、ある日、突然与論島が紹介されたことで、都会からどんどん若い人達が与論島を目指してきたそうです。

それまでは、与論島では、民宿があまりなく、若者を受け入れるために、民宿経営に転換したお家が続き、その中でも、経営に着目した民宿のオーナーは、宿を拡大し、部屋を増やし、どんどん広くなっていったようです。

ところが、いつまでも与論島ブームが続くわけもなく、沖縄が返還されると、沖縄の方に目が向いて、以前ほどは、民宿客が集まらなくなったようです。

似たような例を民放テレビ局が放映した「愛の貧乏脱出」で見たことを思い出します。テレビでお店が紹介されると、当日からビックリするぐらいお客さんが行列を作り、繁盛店に変ります。

でも、いつまでもテレビの放映効果が続くわけでもなく、後は経営者の腕次第です。 「星砂荘」の周りには、ハイビスカスが咲いています。

綺麗なハイビスカスです。

8時ちょっと過ぎた頃、朝ご飯を頂きます。スターフルーツ、パパイヤの料理が出ました。

食事の後は、「星砂荘」の庭で民宿の経営者の家族と、片山正喜さんの愛犬リーを囲んで、みんなでひなたぼっこをしながらの団欒です。

オーナーの永井新孝さんは、あいにく出張中でした。留守を守る女将さんとお嬢ちゃんとの団欒でした。

片山正喜さんは「星砂荘」に何度も来ているので、民宿のお嬢さんと顔馴染みです。

民宿を出て、与論島の観光にまわります。

民宿は、夕ご飯と朝ご飯が付いて、1泊5000円でした。

与論島には、高い山はありません。

港から見える一番高いところは、城(グスク)で、地主神社があります。

海抜100メートルそこそこの平らな島ですが、地主神社からは、与論島の全体を見渡すことが出来ました。

地主神社の鳥居をくぐって、奥に入っていくと、土俵があります。

この土俵も、以前に与論島に訪れたとき、写真に写していました。

土俵は、当時は出来たばかりで、陣幕を張って、島での相撲大会があったようです。

昔の土俵の写真と、今の土俵の写真を比べてみても、それほど大きな差はありません。

しかし、この土俵の写真を見るまでは、以前にこの土俵を見たことをはっきりと覚えていませんでした。

与論島のお城の敷地には,神社があり、お墓があり、記念碑があり、沖縄本島の最北端である辺戸岬に向かって、ヤンバルクイナが友好の絆として像が建てられています。

ここの神社は、元々の与論島の城の跡に建てられています。

ここからの周りの景色が、素晴らしく見えます。

ハングライダーに乗って、ここから飛び出せば、素晴らしい風に乗れそうです。

与論は、そんなに高い山はありません。ここが一番高いところです。城から見た、与論の周りです。

島の畑を見れば、一つひとつの畑が小さく区切られています。

きっと、代々に渡って、子孫に畑を引き継いでいくうちに、兄弟が多いと、田を小さく分けて贈与したのではないかと思います。

昔は、田を分けることを「たわけもの」と言い、してはいけないものと、注意されていました。

しかし、兄弟が多ければ、お兄ちゃんだけがひとりで相続するというわけにはいきません。

でも、あまり畑を小さくすると、一軒の生計が成り立ちません。

与論島は、太平洋戦争では、戦場になっていませんが、島の人口が増えて、食料が供給出来なくなる、天候による飢饉が起き、大変な生活苦がありました。

蘇鉄の実でさえ、食べたと言われています。

そこで、島民の移住を促進した時代がありました。

記念碑には、九州の長崎県口之津の炭坑に移住した時の記述や、満州に移住したときの記述がありました。

とても苦しい時代が想像できます。

記念碑に黙祷して、次の場所に行きます。

2008年12月3日(水)

友好の絆ヤンバルクイナの像、与論の風葬跡、十五夜踊保存会を見て、与論島のお酒の「有泉」と与論島産のお米「こしひかり」を買いました。   与論島訪問 4

友好の絆として与論島から沖縄本島に向かって立っているのは、ヤンバルクイナです。

ヤンバルクイナは、2000年3月に国頭村から友好の絆として贈られています。

与論島のお墓は、沖縄諸島と違って、本土風になっているのは、戦後からでしょうか?

与論島のお城の跡の敷地には、神戸でも見るような本土風のお墓が建っていました。

与論城の搦め手の裏側を歩いています。険しい断崖絶壁です。

もし、攻めてくるとなれば、攻められにくいようにお城を造っています。

ここにも、人頭税の柱がありました。

島民は、この柱の高さまで身長が伸びると、過酷な税を島津藩に納める義務が発生していたのです。

与論島の風習では、以前は、風葬がありました。風葬の跡地を見ることがありました。

しかし、いつの日か、どこかの学生がお墓の骨を盗んで持って帰ったことが分かり、今では風葬の窓口を塞いでいます。

お城の裏の細い道は、日が当らない、暗い小径になっています。

一緒に愛犬リー君も付いて来て、散歩しています。

リー君は、山道が好きだそうです。

神社のすぐ近くには、与論の十五夜踊りという国指定重要無形民族文化財を保護するお屋敷が建っています。

このお屋敷を覗いてみると、床の間には、与論十五夜踊保存会の旗が掲げられています。

ここで、踊りの練習をするようです。

与論十五夜踊りの保存のためのお屋敷は、広い芝生に向かって、3つの棟が建てられています。

その周りは、石垣島で見るような台風を避けるための、珊瑚の石垣が積み上げられています。

きっと与論町が、島の美観保存のために作った地域だと思います。

100年も前、200年も前のような石垣の状態ではありません。

綺麗に整備され、美しい曲線を描いています。

民宿の女将さんに聞いた話のように、与論島は、NHKの「新日本紀行」により、30年前に、突然観光ブームになり、都会から若い人達が押し寄せてきました。

そのために、与論町は、観光施設の景観作りや保存をしています。

車で一周すれば、1時間も掛からないほどの島なので、一応は、昨日と今日で主要な観光スポットは効率よくまわりました。

これから、沖縄本島に帰るので、お土産を買います。

お土産は、与論島のお酒の「有泉」と与論島産のお米「こしひかり」です。

与論島では、僅かですが水田があり、二期作が行われています。

「ここしかない」という、お土産として、与論米を買いました。

2008年12月3日(水)

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