与論島「パナウル王国」新日本紀行 青春時代のJASの「コーラルアイランド」総集編

与論島「パナウル王国」のポスータ写真  与論島は、「パナウル王国」とも呼ばれています。「パナウル」とは、与論の方言で、「パナ」 とは「花」、「ウル」 とは「珊瑚」を指しています 第102回沖縄訪問記 与論島訪問 1

与論島「パナウル王国」のポスター写真 で見た与論島へ出航

与論島「パナウル王国」のポスータ写真で見た与論島へ沖縄から行きます。

普段よりも早く、朝、7時前に起きました。

楽しいことがある日には、自然と目が覚めて、体内時計の不思議さに驚きま

す。7時ごろの恩納村前兼久の夜明けの状況です。

今朝は、穏やかな海です。

だんだん陽が上がってくると、周りが明るくなってきます。朝焼けです。

与論島「パナウル王国」のポスータ写真で、青春時代に憧れてた与論島に行

くことになっています。名護市本部港から与論島に向かいます。

与論島行き マルエーフェリー

マルエーフェリーの「A LINE」に乗ります。

乗船券発売所は、第100回沖縄訪問時に訪れました

あのときは9月でしたが、同じ年の12月に、ここでフェリーに乗るとは思いませんでした。

車に1人乗って、往復が24890円です。

フェリーに乗るには、切符だけでなく、車に乗船券を貼り付けて、本船の作

業員が一目見てどこに向かう車なのか、すぐに判断できるように、A4サイ

ズの張り紙を渡されます。

張り紙は、運転席の窓ガラスに外から見て分かるように、留めるように糊が

付いています。マルエーフェリーでは、本部から与論までの往復券を買う

と、1割引になります。乗車券を買うには、申込書を書きます。

申込書には、もし船が事故にあったときは、身元が分かるように、車の車検

番号だけでなく、乗客者の個人情報を書いて、申告します。

切符も買ったので、間もなく「A LINE」の「フェリーなみのうえ」に乗ります。

A LINE「フェリーなみのうえ」

船は大きな船です。

総トン数は6,586.00トンで、全長145.61m、幅が22m、旅客定員は、804

名、最大速力23.6ノットの早さです。

船に乗ると、工場のような天上の高い、鉄板で敷かれた広いところに車が入

っていきます。あまり車の乗客はいません。

2時間足らずの船の旅です。

車に愛犬リーを残して、車から降りて、朝ご飯を買いに売店に行って、きつ

ね寿司を買いました。

きつね寿司とお茶を持って一番上のデッキで日に当りながら食べます。

フェリー「なみのうえ」は、ゆっくりと本部港の岸壁を離れて、与論島を目

指して出港しました。

昔のように、ドラが鳴り、別れを惜しむ紙テープを握り合って、船を見送る

姿もありません。あっさりしたものです。

瀬底島に掛かる橋です。

向かいに見える島は、瀬底島です。

本島伝いにずっと行くので、本島を抜けるまでが長いのです。

9時25分頃出発です。

少しずつ「フェリーなみのうえ」は本部港の岸壁を離れていきます。

船が進むと、白い軌跡が残っていきます。

次に見える島は、水納島です。

水納島を過ぎると、伊江島が見えます。

デッキに座って、日に当りながら、片山正喜さんとお弁当を食べながら、海

の話をしています。

片山正喜さんは、大学で海洋学を学び、船を操ること、海に潜ること、魚を

捕ることなどを理論だけでなく、実技でも学んでいます。

これからゆっくり片山正喜さんの歩いてきた道を思い出すように、話してく

れます。この道のりの中で、与論島が出てくるようです。

船の中を歩いてみました。

デッキにいる人は希で、ほとんどの人がキャビンで横になって、寝ていま

す。この船は、鹿児島行きなので、鹿児島までの長い時間は、寝て過ごし

て、エネルギーを溜めているのでしょうか?

伊江島が近くなりました。風力発電所が見えて、また離れていきます。

デッキで片山正喜さんと世間話をしていると、少女がいました。

ちょっと手を振ってみると、少女はやってきました。

話してみると、埼玉県から沖縄に移って、何年か過ごし、再び、沖縄から埼

玉に帰る旅のようです。小学校に上がる頃を機会に、家を替わるようです。

7歳ぐらいでしょうか。アイスクリームを食べているので、「寒くない?」

と尋ねてみると、寒くないそうです。

本船は与論島に向かって、どんどん進んでいきます。

およそ出航から2時間で、与論島が見えてきました。

与論島「パナウル王国」青春時代の憧れの独立王国(パナウル王国)

与論島は憧れの島でした。青春の独立王国(パナウル王国)の噂は青春時代

に憧れていました。

「パナウル」とは、与論の方言で、「パナ」 とは「花」、「ウル」 とは

「珊瑚」を指しています。

2つの言葉を繋ぐと、何か南太平洋の独立王国の島のようなイメージが湧い

てきます。後、しばらくすれば、パナウル王国に上陸します。

 

与論島 品覇海岸、宇勝海岸、寺崎海岸をまわって、奄美群島国定公園特別地域の大金久海岸、星の砂で有名な「百合々浜」を訪れました。   与論島訪問 2

与論島に上陸 「炉端居酒屋・海将」で昼食

与論島に上陸して、少しドライブすると、お昼頃になったので、与論町役場

のメインストリートに出て、適当な飲食店を探して歩いています。

見つけたのは、「炉端居酒屋・海将」です。決め手は、お店の前の黒板にチ

ョークで書いた、本日の日替りの酢豚定食700円の文字です。

片山正喜さんも迷わず、酢豚定食にしました。

今日は、酢豚定食が700円、かき揚げ丼が600円、牛丼が600円です。

でも、昨日の値段と明日の値段は知りません。まず、ビールを頂きます。

オリオンビールを注文すると、オリオンビールは置いていないと言われまし

た。与論島は、沖縄県から鹿児島県に移っているのです。

だから、アサヒビールかキリンビールを勧められました。

アサヒビールを選んで、まずは乾杯をして、酢豚定食を食べました。

隣の席で座って食事を取っていたおばあちゃんが、「あの人たちに箸を持っ

て行きなさい」とお店の人に言っていました。

「おばあちゃんよく気が付くね」と言うと、「炉端居酒屋・海将」のオーナ

ーかと思えば、お隣の刺身屋さんでした。

与論島を代表するお酒は、「有泉」です。アルコール度20度が飲みやす

く、お勧めです。

与論島のおばあちゃんから相談されて

隣のおばあちゃんが、「私は、刺身屋をやっていて、冷蔵庫を買い直したい

んだけど、沖縄で冷蔵庫を買うには、どうしようかなぁ」という相談を片山

正喜さんにしていました。

片山正喜さんは、「電話で連絡してくれたら、見繕ってあげるけど、おばあ

ちゃんは、本島の那覇に娘さんがいるなら、娘さんに頼んだ方がいいです

よ。それでも冷蔵庫を売っているお店が分からなかったら、私に連絡してく

ださい」という話になりました。

さっき会ったばかりの人に、いきなりお店の大切な設備である冷蔵庫を買う

相談をしていいのか、お店の人も少し心配そうに聞いています。

ちろん、片山正喜さんは、親切さで言っていることですが、一番確かなの

は、買う人が自分で選んで、納得して買うに越したことはありません。

でも、与論島にいるおばあちゃんは、船に乗って与論島から慣れない沖縄本

島に行くのですら、何か不安があるようです。

お昼ご飯を終わって、与論島巡りを再開します。

与論島のビーチ 百合々浜

与論島は、だいたい丸い形の島で、あちらこちらにビーチがあって、その中

で片山正喜さんが昔与論島に住んでいたころ、魚を捕りに行っていた、思い

出の綺麗なビーチに下りていきます。

与論島の珊瑚の海は、40年ぐらい前には、地球の中でも最上級の美しい珊

瑚礁の海だったようです。

それが、地球温暖化の影響で、水温が上がりすぎて、ほとんどの珊瑚が白化

現象で死滅してしまいました。

ドライブ中に気が付いたことは、沖縄と与論島は距離は近いのですが、戦

後、鹿児島県と沖縄県の境界で隔てられ、戦後は与論島には鹿児島県の影響

が出てきています。

例えば、与論島のお墓は、以前は沖縄風の大きなお墓だったようですが、今

では鹿児島の影響を受けたのか、本土風の石柱になっています。

与論港から時計回りにまわって、海岸線を1周している間に、品覇海岸、宇

勝海岸、寺崎海岸をまわって、 一番有名な、奄美群島国定公園特別地域の

大金久海岸に着きました。

 

有名な「百合々浜」があるビーチです。

ここで、松葉博雄は昔、ここで泳いで、魚獲り用のヤスを借りて、ムラサメ

モンガラを捕まえたことがあります。

以前に来たときの夏の海水浴客で賑わっている写真と比べてみると、冬の浜

辺は賑わいが違っています。

この浜辺の向こうには、潮が引くと出てくる「百合ヶ浜」があります。

今は、潮が満ちていて、「百合ヶ浜」の姿は、ちょっと水をかぶって見えません。

「百合ヶ浜」が見えなくても、沖の海の色が白浜で、白く見えることが分かります。

片山正喜さんが昔、与論島でダイビング・シュノーケリングを観光客の人達

に教えていた思い出のビーチに行きました。

白い砂浜と、すぐ後ろには、緑地が続く天然の美しさを無残にも壊してしま

う漁港整備がありました。

浜を埋め立てて、美しい白浜に漁港を作ってしまいました。

なんというもったいないことをしたのでしょう。

壊した自然は、短時間ではもとに戻りません。

地面をえぐり、コンクリートで埋め立てて、浜辺を陸地に変えてしまった、

与論島の持つ天然自然の美しい浜辺は、もう戻りません。¥2008年12月2日(火)

与論島 与論民族村では、オーナーの菊千代さんから、茅葺きの屋敷を維持する難しさを聞きました。素材の茅と茅職人はどんどん減っています.与論島訪問 3

与論島の宿 「星砂荘」

百合ケ浜を見た後は、浜辺の近くに並ぶお土産物屋さんを覗いてみました。

12月の浜辺を訪れる客はいませんが、それでもお店を開いて、お店の貝細

工を見て行くように、誘われました。

一軒の店に入って、何となく並べている珊瑚のネックレスなを見ていると、

お店のおばあちゃんが星の砂をくれました。

「私が作ったから、どれも安いよ」と言っていても、人件費の安い南の国か

ら輸入していることを知っているので、聞き流しています。

今日、泊まる「星砂荘」にチェックインに訪れました。

あいにく、ご主人は留守でした。

その間に、「星砂荘」の近くの観光施設に行きます。

与論島 与論民族村

歩いて行けるぐらいすぐ近くの与論民族村です。

ここは、前に来たことがあります。そのことを片山正喜さんに話しました。

「サトウキビを絞るため、牛がグルグルまわる作業の場所がありますよ」と

言ったら、片山正喜さんは、「そんなことはない」ということですが、どう

でしょうか?

片山正喜さんの方が詳しいので、松葉博雄の記憶間違いかなと、思って見た

り、「確かにあった」と自信を持ってみたり、まずは確かめてみましょう。

数年前、片山正喜さんは、与論民族村の経営者の方に沖縄からパパイヤの苗

を持ってきて、与論民族村に植えたそうです。

どれだけ大きくなったか、片山正喜さんもパパイヤの成長を気にしていまし

た。それが見事成長して、今年は台風もなく、たくさんのパパイヤの実を付

けています。

民族村は民営です。与論の昔の家、沖縄の文化、奄美群島の文化を今も残し

ています。

茅葺き屋根の維持は、素材の茅を集めることと、茅を屋根に葺く茅職人が集

まらないので、葺き替えが大変です。

与論民族村の入場券は400円です。

松葉博雄は有料で、片山正喜さんは、馴染みなので顔パスです。

民族村を一つひとつ屋敷を巡り、歩いているうちに、記憶が戻ってきまし

た。確かに、サトウキビを絞るための、牛がまわる施設があるはずです。

中庭には、バナナが実っています。

窓から覗く屋敷の中には、昔使った機織り機がありました。

見つけました。サトウキビを絞る機械です。

牛がグルグルまわってサトウキビから砂糖きび液を絞ります。

そして、黒糖を作ります。私の記憶は確かでした。

米蔵倉もありました。以前、与論島では、二毛作で米が取れたそうです。

そのときに、米を収納した蔵です。ネズミが来ないように、高倉にしていま

す。

昔の酒や米などを貯蔵する倉庫です。

戦後、沖縄と与論が琉球政府と日本政府の統治に分断されたときには、パス

ポートが発行され、沖縄からは泡盛が入らなくなった時期があったそうです。

与論民族村を経営する菊千代さんは、時代とともに消えていく、琉球時代の

家屋や農耕具、漁業具などを収集し、保存しています。

与論島だけでなく、沖縄本島から木造のお家を移築しています。

文化財としての価値が注目され、本にも掲載され、紹介されています。

オーナーの菊千代さんと片山正喜さんは、お茶を飲みながら、昔話に移り、

松葉博雄が知らない昔話に、笑いこけていました。

確かに貴重な文化財です。

民族村の歩道を案内に沿って歩いてみると、先日の朝日会バス旅行で見た

「おきなわワールド」の「王国村・城下町」と同じように、今では壊されて

しまった、台風にも耐えた、強い作りの民家です。

下の写真は、30年近く前に、松葉博雄が与論民族村に来たときの写真で

す。今と比べてみても、あまり変化がありません。

よく手入れして保存できています。

変っているのは、民族村にいる人たちの世代でしょうか。

与論島で見た物:德田たけしさんのポスター、与論港岸壁の釣、民宿「星の砂荘」、黒糖焼酎「有泉」のサービス、夜空に流れる流れ星  与論島訪問記 4

与論島は、徳洲会の徳田たけしさんの選挙区

与論民族村の見学を終え、車で与論島をあちらこちらドライブしていると、

選挙用のポスターがあちらこちらで目に着きました。

衆議院総選挙が近々あると予測し、選挙準備をしている立候補予定者の立て

看板があります。与論島は、徳洲会の徳田たけしさんが積極的に看板を立て

ています。

与論島 与論港で魚釣り

夕方になり、日が沈みかける前に、片山正喜さんは、与論島で釣をするとい

うことに決めています。釣具屋さんに行って、釣の道具と餌を買います。

夕方の日没寸前の頃は、魚の餌の食い付きが良いそうで、この時期を逃す

と、魚は釣れなくなるから、今がチャンスということです。

松葉博雄は、釣にはあまり興味がないので、釣り具店の周りをグルグルまわ

って、民家の写真を撮っています。

釣具屋さんの隣には、なんと枇杷の木がありました。

枇杷の木は12月になって花が咲き、実は6月頃収穫です。

最初に上陸した与論港の船着き場に来ています。

ここで、片山正喜さんは「大物を狙う」と言っていますが、そんなに簡単に

釣れるとは思いません。

釣をしようと思えば、竿を出し、釣り糸を付け、冷凍えびの餌を餌カゴや針

に引っかけ、ベトベトした手で竿を持ち、海に向かって投げ込み、当りが来

るまでじっと様子を見ながら、待たなければなりません。

冷凍えびの解凍した臭いが、手や竿に付き、周りが生臭くなってきて、手を

洗いたいものの水もなく、ベトベトしてイヤになってきました。

夕日が沈む夕方の5時半ごろ頃、釣を諦めて、写真を撮っています。

素晴らしい景色です。足下の水を見てみると、なんと澄んだ水なのか、綺麗です。

与論島 民宿星砂荘に戻る

「もう釣を止めよう」と、何回も言ったので、片山正喜さんも魚釣りを諦め

て、竿を納め、車に積んで、今晩泊まる民宿「星砂荘」に着きました。

まずは、冷えたビールを頂きます。

ビールを飲みながら、民宿の「星砂荘」の食堂でフロントを見ると、中学生

ぐらいの坊ちゃんが受付をしています。

パソコンを見ているようです。

フロント係の坊ちゃんは、熱心にパソコンでゲームをやっています。

フロントには、自然保護のために、「これより小さい魚介類を捕ってはダメ

ですよ」という注意を呼びかけるポスターが張ってありました。

サザエ、夜光貝、えび、シャコガイ、それぞれ10センチ以下は捕ってはいけません。

与論島 民宿 星砂荘の夕食


今日の夕ご飯です。

テレビレポートでは、有名人が民宿に泊まり、民宿の夕ご飯の山海の珍味に

びっくり驚き、「こんなに民宿って素晴らしいものですか」と締めがあると

ころですが、さて、有名人でない片山正喜さんと松葉博雄の場合は、どんな

料理が出てくるでしょうか?

お料理のメニューは、冷凍の刺身、片山正喜さんが持ってきたパパイヤの煮

物、ブリの切り身の塩焼きなどがありました。

食後のデザートには、ドラゴンフルーツが出てきました。

白いのと赤いのがあります。吸い物には、麩が浮いています。

ちょっと嬉しかったことは、与論島の民宿では、黒糖焼酎の有泉は、自由に

何杯でも無料で飲んでも良いとなっています。

これは、嬉しいサービスです。

有料のビールは止めて、今夜は無料サービスの黒糖焼酎の有泉の水割りを何

杯も飲みました。

片山正喜さんは、民宿「星砂荘」のロビーの書棚にあった、三国志の漫画を

読むそうです。

6冊ほどが一揃えになっているので、読み応えがあるようです。

今日の宿泊客は、片山正喜さんと松葉博雄だけのようです。

静かで良かったです。

民宿「星の砂荘」には、夏時になると、修学旅行生も多く宿泊に来るようです。

壁に貼ってある写真を見ると、大変な賑わいに見えます。

民宿のお嬢さんが、「明日、何時に起きる?」と聞きに来ました。

ストレートな質問ですが、女将さんが何時に朝食を作ったら良いのかを、宿

泊客に確認するために、お嬢ちゃんが客の都合を尋ねているようです。

与論島の闇夜を散歩

初冬の夜は早く、辺りが暗くなってきたので、ちょっと民宿の周りを歩いて

みました。片山正喜さんが懐中電灯を貸してくれました。

外に出ると、本当に真っ暗です。

懐中電灯がないと、道を踏み外しそうです。

真っ直ぐ海の方に行くと、先程の民族博物館に出ます。

その先が海になります。

今日は、三日月で、木星と金星が接近する夜です。

暗い夜道に、星が綺麗に光っています。

こんなに星が光るのかというほど、光るだけでなく、輝いて燃えていること

が分かります。

40年も前の頃、父親に注意されたことを思い出します。

「夜中にひとりで海岸に出ると、袋を被されてさらわれるから、夜、ひとり

で海岸に行くことは止めなさい」と言われたことを思い出しました。

北朝鮮が行った人さらいが多発したころの話です。

もし、誰かが側に寄ってきて、耳を摘んでも、鼻を捕まえても、分からない

ほど真っ暗な夜道です。

遠い向こうに、灯りがあり、近づいてみると、自動販売機の灯りでした。

闇夜だと、自動販売機の灯りでさえ、こんなに周りを照らすのかと、関心し

ました。

波の音が聞こえる海の浜辺に行きたくても、段差があって危険なので、船の

置いているコンクリートの床に空に向かって、仰向けになり、しばらく星空

を見ていると、花火の消えるような、尾を引いたような、流れ星を見ました。

帰り道に、危ないと思って、周りを照らして、ちょっと用心しながら帰りま

す。途中、誰とも出会いませんでした。

与論島でコガネムシの窮状 人生と重ねて考える

民宿「星砂荘」に帰ってみると、玄関のタイルの上に、コガネムシがひっく

り返って、困っています。

コガネムシの状況は、我が身がどうにもならない、飛びたくても飛べないと

いう哀れさを伝えています。

コガネムシを起してあげて、飛べるようにしてあげました。

これは、ひとつの人生の事例によく似ています。

ひっくり返って、飛ぶに飛べない、飛びたいなぁ、どこかに飛んで行きたい

なぁと思ってみても、、ひっくり返ってしまうと飛ぶに飛べない、どうにも

ならない人生のようです。

泊まり客が他にいないお陰で、二間続きの部屋で1人ゆっくりと寝ることが

できました。

トイレとお風呂も付いています。

黒糖焼酎の有泉の酔いも回り、ぐっすり眠れました。8年12月2日(火)

 

与論島「パナウル王国」与論島訪問 5

与論島の夜は漆を塗ったような闇夜でした

昨夜は、与論島の民家の周りにはネオンのない、真っ暗な夜空に輝く星を見

て感動した後、黒糖焼酎「有泉」で酔っぱらって、寝てしまって、覚めた翌

朝です。

ちょっといつもより早く目が覚めて、清々しい気持ちになったので、民宿

「星砂荘」の付近を散歩してみました。周りはさとうきび畑ばかりです。

さとうきび畑の向こうには、風力発電所の羽根車が見えます。

朝の8時ちょっと前の与論島の朝です。

JASの「コーラルアイランド」の宣伝写真

民宿の廊下に張ってあった、等身大ほど大きなポスターには、

JASの「コーラルアイランド」の宣伝写真がありました。

与論島「パナウル王国」のポスータ写真を35年ぶりにみまし

た。感激です。

この写真は、以前、見たことがあります。

この「コーラルアイランド」の写真が旅行社に掲示されていた頃は、与論島

に行きたくて行きたくて、たまらない時代でした。

散歩が終わると、朝食です。

与論島は NHKの「新日本紀行」で紹介されて以来、若者が押し寄せてくるようになりました

民宿が付近の景色の中で、大きな建物であることが分かります。

なぜ民宿は、こんなに大きくなったのか、女将さんに聞きました。

NHKの「新日本紀行」の番組で、ある日、突然与論島が紹介されたこと

で、都会からどんどん若い人達が与論島を目指してきたそうです。

それまでは、与論島では、民宿があまりなく、若者を受け入れるために、民

宿経営に転換したお家が続き、その中でも、経営に着目した民宿のオーナー

は、宿を拡大し、部屋を増やし、どんどん広くなっていったようです。

ところが、いつまでも与論島ブームが続くわけもなく、沖縄が返還される

と、沖縄の方に目が向いて、以前ほどは、民宿客が集まらなくなったようで

す。

似たような例を民放テレビ局が放映した「愛の貧乏脱出」で見たことを思い

出します。

テレビでお店が紹介されると、当日からビックリするぐらいお客さんが行列

を作り、繁盛店に変ります。

でも、いつまでもテレビの放映効果が続くわけでもなく、後は経営者の腕次

第です。

「星砂荘」の周りには、ハイビスカスが咲いています。

綺麗なハイビスカスです。

8時ちょっと過ぎた頃、朝ご飯を頂きます。

スターフルーツ、パパイヤの料理が出ました。

食事の後は、「星砂荘」の庭で民宿の経営者の家族と、片山正喜さんの愛犬

リーを囲んで、みんなでひなたぼっこをしながらの団欒です。

オーナーの永井新孝さんは、あいにく出張中でした。

留守を守る女将さんとお嬢ちゃんとの団欒でした。

片山正喜さんは「星砂荘」に何度も来ているので、民宿のお嬢さんと顔馴染

みです。民宿は、夕ご飯と朝ご飯が付いて、1泊5000円でした。

 

与論島観光めぐり

与論島には、高い山はありません。

港から見える一番高いところは、城(グスク)で、地主神社があります。

海抜100メートルそこそこの平らな島ですが、地主神社からは、与論島の全

体を見渡すことが出来ました。

地主神社の鳥居をくぐって、奥に入っていくと、土俵があります。

この土俵も、以前に与論島に訪れたとき、写真に写していました。

土俵は、当時は出来たばかりで、陣幕を張って、島での相撲大会があったようです。

昔の土俵の写真と、今の土俵の写真を比べてみても、それほど大きな差はありません。

しかし、この土俵の写真を見るまでは、以前にこの土俵を見たことをはっき

りと覚えていませんでした。

与論島のお城の敷地には,神社があり、お墓があり、記念碑があり、沖縄本

島の最北端である辺戸岬に向かって、ヤンバルクイナが友好の絆として像が

建てられています。

ここの神社は、元々の与論島の城の跡に建てられています。

ここからの周りの景色が、素晴らしく見えます。

ハングライダーに乗って、ここから飛び出せば、素晴らしい風に乗れそうです。

与論は、そんなに高い山はありません。

ここが一番高いところです。城から見た、与論の周りです。

島の畑を見れば、一つひとつの畑が小さく区切られています。

きっと、代々に渡って、子孫に畑を引き継いでいくうちに、兄弟が多いと、

田を小さく分けて贈与したのではないかと思います。

昔は、田を分けることを「たわけもの」と言い、してはいけないものと、注

意されていました。

しかし、兄弟が多ければ、お兄ちゃんだけがひとりで相続するというわけに

はいきません。

でも、あまり畑を小さくすると、一軒の生計が成り立ちません。

与論島の 蘇鉄地獄時代

与論島は、太平洋戦争では、戦場になっていませんが、島の人口が増えて、

食料が供給出来なくなる、天候による飢饉が起き、大変な生活苦がありまし

た。

蘇鉄の実でさえ、食べたと言われています。蘇鉄地獄の時代です。

そこで、島民の移住を促進した時代がありました。

記念碑には、九州の長崎県口之津の炭坑に移住した時の記述や、満州に移住

したときの記述がありました。とても苦しい時代が想像できます。

記念碑に黙祷して、次の場所に行きます。

2008年12月3日(水)

与論島 友好の絆ヤンバルクイナの像、与論の風葬跡、十五夜踊保存会を見て、与論島のお酒の「有泉」と与論島産のお米「こしひかり」を買いました。   与論島訪問 6⑥

与論島と沖縄との友好の絆として与論島から沖縄本島に向かって立っている

のは、ヤンバルクイナです。

ヤンバルクイナは、2000年3月に国頭村から友好の絆として贈られています。

与論島のお墓は、沖縄諸島と違って、本土風になっているのは、戦後からでしょうか?

与論島のお城の跡の敷地には、神戸でも見るような本土風のお墓が建っていました。

与論城の搦め手の裏側を歩いています。険しい断崖絶壁です。

もし、攻めてくるとなれば、攻められにくいようにお城を造っています。

ここにも、人頭税の柱がありました。

島民は、この柱の高さまで身長が伸びると、過酷な税を島津藩に納める義務

が発生していたのです。

与論島の風習では、以前は、風葬がありました。風葬のお墓を見ることがあ

りました。前回、私が与論島を訪れた時には、風葬地を見ました。

沢山の遺骨が風にさらされていました。

死者の遺体は、鳥や、ヤドカリがキレイにしてくれると聞きました。

しかし、いつの日か、どこかの学生がお墓の骨を盗んで持って帰ったことが

分かり、今では風葬の窓口を塞いでいます。

お城の裏の細い道は、日が当らない、暗い小径になっています。

一緒に愛犬リー君も付いて来て、散歩しています。

リー君は、山道が好きだそうです。

神社のすぐ近くには、与論の十五夜踊りという国指定重要無形民族文化財を

保護するお屋敷が建っています。

このお屋敷を覗いてみると、床の間には、与論十五夜踊保存会の旗が掲げら

れています。ここで、踊りの練習をするようです。

与論十五夜踊りの保存のためのお屋敷は、広い芝生に向かって、3つの棟が

建てられています。

その周りは、石垣島で見るような台風を避けるための、珊瑚の石垣が積み上

げられています。

きっと与論町が、島の美観保存のために作った地域だと思います。

100年も前、200年も前のような石垣の状態ではありません。

綺麗に整備され、美しい曲線を描いています。

民宿の女将さんに聞いた話のように、与論島は、NHKの「新日本紀行」に

より、今から30年前に、突然観光ブームになり、都会から若い人達が押し

寄せてきました。

そのために、与論町は、観光施設の景観作りや保存をしています。

車で一周すれば、1時間も掛からないほどの島なので、一応は、昨日と今日

で主要な観光スポットは効率よくまわりました。

これから、沖縄本島に帰るので、お土産を買います。

お土産は、与論島のお酒の「有泉」と与論島産のお米「こしひかり」です。

与論島では、僅かですが水田があり、二期作が行われています。

「ここしかない」という、お土産として、与論米を買いました。

与論島 関連記事 アーカイブ

2008年12月3日(水)

与論島へ若者は何を求めていたのか、新天地を求めて自由な生活か、新しい出会いか、気が付かなかった生き方か、果たして何でしょう?
与論島訪問記 7 第102回沖縄訪問(18)

与論島 NHK新日本紀行が与えた 若者の期待とは

お弁当を買って、浜辺で片山正喜さんと食べます。

誰もいない海です。素晴らしい眺望です。

帽子で太陽の直射日光を隠し、ビールを飲んだ酔いもあり、過ぎ去った昔の

ことを考えています。

コーラルアイランドの与論島に行きたいと思った青春時代の人達が、与論島

に期待したことは、何だったのでしょうか?

与論島に来てみると、期待に応えた何かがあったのでしょうか?

新日本紀行を見て、与論島を目指した若者達にどんな現実があったのでしょうか?

海に向かって、左側に水平線から45度の方向から、日が照りつけています。

ひょっとすると、若者達は、何をしていいか分からない人たちが集まって、

他人の意見を聞いて、自分が何をしたらいいか、共通意識を求めていたので

しょうか?

30年前、与論島に来た人達が、すべて海を目指していたとは違うようです。

中には、海に入らなくて、陸で酒浸りで過ごし、地域住民から嫌がられた人

もいたそうです。

片山正喜さんは、昔潜った与論島の珊瑚礁は、世界有数の美しい珊瑚礁と豊

かな魚の群れが生息していたと言っています。

しかし、今では、珊瑚礁は地球温暖化のため、白化現象をして、死んでしま

っています。珊瑚が死ぬと、魚は育ちません。

浜辺で寝転んで、神戸では出来ないような12月の日光浴をした後は、2時の

船に乗ることになりました。港に行って、乗船申込書に書き込みます。

最後にもう一度、与論島を見渡します。

与論港の岸壁では魚を釣っている人がいます。

イワシの大きいのが釣れています。

おばちゃんが釣って、今朝は3キロを魚市場に出荷したそうです。

与論島からの帰りの便は「フェリーあけぼの」

「フェリーあけぼの」が与論港に近づいてきました。

バックしながら岸壁に当らないようにそろりそろりと横付けをします。

近くで見れば、大きな船です。

荷下ろしの作業が終わるのを待って、車で「あけぼの」に乗船します。

デッキの上から与論港を見ると、湾曲した入り江の真ん中に、コンクリート

の港が作られていることが分かります。

慌ただしく荷物を下ろし、そして荷物を受け入れて、これが終わると、船は

出港します。

2時40分頃、船は港を離れて、本部(もとぶ)に向かいます。

与論島はだんだん視界から離れ、目で見える大きさがどんどん小さくなって

いきます。

片山正喜さんが提案した、僅か1泊2日の与論島旅行でしたが、年功重ねて

いることで、以前には分からなかったことや、気が付かなかったことの多く

のことが分かりました。

与論島で青春時代の一時を生活していたことがある片山正喜さんは、与論島

を去ることが何か感慨深そうな雰囲気です。

ひとりデッキのフェンス越しに、小さくなって消えていきそうな与論島の島

風をいつまでも、いつまでも見続けています。

後に残る白い波の軌跡も、消えていくうちに、いつの間にか与論島は水平線

の向こうに見えなくなってしまいました。

与論島が見えなくなってくると、今度は、本島の陸地がすぐ近くに見えてきました。

進行方向に向かって、左手には、伊平屋島、野浦島、伊是名島、伊江島が順

に見えてきます。

次も、機会があれば、このような突然の離島へのツアーがあったらいいなぁ

と思いました。

伊平屋島、伊是名島へは、まだ訪問の経験がありません。

テレビのツアー番組で、表面的な情報は聞いていますが、現地に行ってみな

いと分からないことがあります。ぜひ行ってみたいものです。

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2008年12月3日(水)

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