恩納村 旧冨着住居地跡 礎石、古道、ガジュマルの巨木を見つけました。第102回沖縄訪問(8)
恩納村旧冨着 住居地跡の礎石、古道、ガジュマルを見つけました。ガジュマルは巨木です。根を何本も地面に広げ、ブランコを付け、隠れ家を造りたくなる子供心を持たせてくれます。
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その8】
恩納村 旧冨着住居地跡 探訪
朝、モーニングコールをしてもらっていません。
起きるのも自然に任せて、ゆっくり起きています。
今日は、片山正喜さんのお家に行くために、
まず、金城正則さんのお家に車を取りに行って、
車で片山正喜さんのお家に行く事になります。
途中でお弁当を買って、
お弁当を片山正喜さんのお家で頂きます。
片山正喜さんと
冨着の森を愛犬のリーを連れて散歩に行きました。
昔の冨着村の礼拝所の跡があります。
冨着地区は、国道58号線に沿って、
海岸沿いに広がっています。
以前、まだ冨着の皆さんが
陸の上に住んでいた頃の屋敷跡があります。
入り口には、石造りの階段があり、
周囲は石垣で防風林を作っています。
崩れたり石段を上がって、中に入ってみると、
屋敷の跡には、いくつかの礎石があり、
後は草ぼうぼうになっています。
村の儀式に使うための、
女の神様を祀る礼拝所の礎石、階段、屋敷の跡、
最近付けた道印などが、点々と残っています。
石には、なにやら彫り物をしていて、
マークなのか、位置を示す物なのか、謎です。
海岸の珊瑚を削って、陸に持って上がったようで、
石は御影石ではありません。
最近、奇特な方が、荒れた昔の冨着村住居跡を掃除し、
生活道路を見つけました。
道路の脇には、
ガジュマルの大きな樹が見つかりました。
片山正喜さんは、このガジュマロの大木にツタを伝わせて、
上の方に昇ったそうです。
ガジュマロの高いところからは、
恩納村の海が一望できるようです。
松葉博雄は、
「ガジュマロの樹の中間の辺りに板を張り、
座ってお酒を飲めるような小屋を造ろう」
と提案しています。
昭和初期から終戦頃までの、
昔の冨着村の人たちの生活はどんな感じだったのか、
思いが巡ります。
生活の中心となるのは、飲料水の確保ですが、
谷の底には、小さな川が流れています。
この川から、水甕に水をくんで、
女性が頭の上に乗せて、
生活水の確保を毎日していたようです。
最近、都会から来た人で、やや高齢の方が、
付近に開墾した畑を見てみました。
少し畑が荒れています。
バナナの木を間引きをしていないので、茂りすぎて、
バナナの実が細くなっています。
バナナが茂りすぎると、
バナナの実まで栄養が行き渡っていません。
散歩から帰って、
片山正喜さんのお家でお茶を頂いて、
ちょっと模擬ピストルでビー玉を使って、
ビール缶を標的にして、ピストルの打ち合いをします。
人に当らないように、
空き地の資材倉庫になっている敷地に、
缶ビールを立てて、10メートルぐらいの距離から、
材木で固定した缶ビールを撃ちます。
最初は、なかなか当らなかったビー玉も
、練習すると、命中率が高まってきました。
模造ピストルぐらいで、撃ってみたくなれば、
新兵器や精密な化学兵器を作れば、
実験してみたくなるのも人の気持ちかもしれません。
しかし、おもちゃと殺傷能力の高い兵器では、
扱い方が違います。
くれぐれも、お間違えのないよう、
シビリアンコントロールでお願いします。
片山正喜さんの畑には、野菜バナナが実っています。
よく手入れしていることが分かります。
ビービー弾が当ると、アルミ缶が凹みます。
近くに行って確認してみると、意外に衝撃が強いようです。
晴れた日に、白く漆喰で塗られた冨着のお墓には、
眩しいほどの夏の印象が残ったお墓がありました。
昼からは、アロハゴルフに行って、
ゴルフの練習をしようということになりました。
2008年12月1日(月)