久高島信仰 儒教思想 沖縄文化が支える祖先礼拝 清明祭 

投稿No:7790

清明祭(シーミー)には、ご馳走を持ち寄り、酒を酌み交わし、祖先のお墓の前で一族(門中)の絆を深めます。 第166回沖縄訪問(9)

 ◆清明祭(シーミー)は、久高島に向かって礼拝から始まります。

恩納村前兼久地区の清明祭(シーミー)の日です。

神戸から持参した金城家のご先祖様へのお供えを、

門中の皆さんが持ち寄ったご馳走の中に並べました。

今日の金城家のシーミー祭に参加している人は、

全員が金城姓の方です。

その中に、金城姓とは違う、松葉が参加しているのです。

不自然なようでも、長いお付き合いをして頂くと、

不自然でなくなっています。

むしろ、「松葉さんこちらに座って下さい」と、

前の方に座るように促されます。

清明祭は、久高島の方向に向かって、

家長の金城正浩さんが礼拝をすることから始まります。

皆さん同じように、久高島の方向に向かって、

両手を合わせて礼拝しています。

なぜ久高島かと言えば、沖縄の人達の始まりは、

久高島から始まっているという伝説があるからです。

 

◆久高島伝説 久高島から沖縄本島への祖先の上陸地点

久高島の対岸にある、百名の浜辺には、

久高島神話を伝える御嶽があります。

御嶽というのは、神様を祀る場所ですが、

この場所は久高島から、

百名の浜に神様が上陸したときの、

上陸地点だと言われている場所です。

沖縄恩納村

久高島神話は、文化財として保護されているので、

周りは古い木やツタがあり、ややジャングル風です。

ここに神様を祀って、

一時ここで過ごしたという記念碑がありました。

沖縄恩納村

沖縄の暑い日照りを防ぐ、深い亜熱帯植物の森、

その静かな森の中に、どこからか沸いてくる細い自然の水の流れ、

その水の湧き出るところは「神聖霊域」となっています。

沖縄恩納村

◆久高島から本島へ上陸した神々の足跡

久高島から上陸した神様達は、

一旦ここで体制を整えて、

しばらく過ごしたとの記録があります。

沖縄恩納村

知念半島の国道を走っているときは、

海岸線にこんな文化財が残っているとは、

思ってもいませんでしたが、歩いてみてみると、

随分貴重な文化財に出会いました。

沖縄恩納村

なんとも言えない自然の霊界を感じます。まさしくパワースポットです。

沖縄恩納村

亜熱帯の大きな木から、

大地に向かってツタが絡み合うように降りて来ています。

今は1月で暑さを感じませんが、

夏になってうだるような熱暑のなかでも、

ここなら涼しい風が吹くでしょう。

沖縄恩納村

玉城村教育委員会の案内に沿って、浜に降りてみます。

沖縄恩納村

海岸から浜の方を見て見ると、大きな岩が重なって、

岩には灌木が生い茂り、

岩と岩の間に木陰を作る洞窟があるように見えます。

きっと神様達は、海からこの洞窟のような岩の裂け目か、

割れ目を見つけ、水と涼しさを求めて、

上陸したのかもしれません。

沖縄恩納村

随分昔の話、それは神話と言われるほどの古い話ですが、

上陸記念に建っている石碑には、

なんと5年前の日付が刻まれています。

沖縄恩納村

ここから上陸したんだという、

記念碑が平成17年(2005年)に建てられています。

大変歴史的貴重な場所であり、景観もすばらしいです。

 

◆久高島信仰は、お正月やシーミー祭、お盆のエイサー祭りに今も伝わっています。

久高島から沖縄本島に上陸した神世の時代の祖先の人達は、

の後各地に広がっていきます。

前兼久を開拓した人達も、

もともとは久高島から渡って来たご先祖様がルーツとしてあがめています。

◆あの世のご先祖様へ送金はウチカビを燃やします。

久高島に向かって礼拝を終えると、次はご先祖様に、

あの世でお金に困らないようにと、この世からあの世に向かって、

模造の紙幣(ウチカビ)を焼いて、煙にして送金します。

このウチカビの風習は、中国から伝わってきたようです。

台湾に旅行したときにも、

台湾のお寺では模造紙幣を焼いて祖先に送っていました。

金城家の祖先に礼拝と送金が終わると、

各自が持参したお供えのお料理を、

ご先祖様のお下がりとして頂きます。

◆シーミー祭のお供えは、沖縄の伝統料理です。

沖縄は気温が高いので、生ものは傷みやすく、

殆どのお料理は火を通したものや、油で揚げた物や、

炒めた物を重箱に詰めて持ち寄っています。

甘いものが好きだったご先祖様のためには、

おはぎ、大福餅などがお供えされます。

お墓に向かって左側に男性達が着席し、

右側には女性達が着席します。

これも中国から伝わった儒教の教えが影響しています。

夫婦であっても、お墓の前では男女別席で座ります。

生ものでも、熱加工していないのは、カマボコです。

かまぼこは、かなりサイズが大きくて、板の上には乗っていません。

北海道で採取された昆布は、北回り廻船で日本海を経て、

九州に渡り、その後琉球に運ばれて来たので、

沖縄では琉球時代から昆布を使った料理が多く伝わっています。

仏教では、仏教行事の時に殺生を禁じている仏教の理念から、

生き物を使った料理は控えられていますが、

沖縄では内地ほど殺生料理にこだわっていません。

 

まとめ

シーミー祭の目的は、祖先を祀ることと、

門中の結束と親交を促進することなので、

お酒を飲みながら大人達はゆっくりと時間をかけて会話をしています。

大人の男性の酒盛りは延々と続きます。

皆さんお酒に強く、ビール、ウイスキー、

泡盛などを時間をかけて飲みます。

いったんお墓から引きあげて、

また門中の家で場所を変えて飲み続けます。

飲んでるだけのように見えても、

この間に門中の仕切りの問題や、

助け合いの問題を話題にしています。

裕福な門中は、門中全体を管理するための資産を持っていて、

門中の維持にかかる費用はそこから支払われます。

小学生や中学生の頃はシーミーに参加していた子供達も、

高校生や大学生の頃になってくると、

色々現状を尋ねられるのが嫌なのか、

シーミー祭から遠ざかることもあります。

地域で生活をしていくためには、

門中同士で助け合いすることが多いので、

大人になるとまたシーミー祭に参加するようになってきます。

日陰のためのブルーシートを通して、

お墓の集合場所は青い光に包まれています。

写真を撮っても、

自然の光とは違うブルーシートを通す光になっています。

ご馳走を食べる時間が終わると、

残ったご馳走は家ごとに分け合って持ち帰ります。

持ち帰ったご馳走は、留守をしていた人達へおすそ分けされます。

2018年4月8日(日)


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これまで参加したシーミー祭

2009年のシーミー祭

2010年のシーミー祭

2011年のシーミー祭

2012年のシーミー祭

2013年のシーミー祭

2014年のシーミー祭

2015年のシーミー祭

2017年のシーミー祭

 

 

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