恩納村前兼久のお墓参り、清明祭(シーミー)には、お墓の前にご馳走がお供えされています。
恩納村前兼久地区に入職してきたご先祖様達は、門中ごとに大きなお墓を作っています。 第161回沖縄訪問(2)
ホテルに入って間もなくすると、金城千賀子さんから連絡がありました。
1時から清明祭(シーミーさい)が始まります。
お天気が悪い日が続いたようですが、清明祭の時には、不思議とお天気は晴れてきます。
清明祭には、10年前から来ています。2007年4月の清明祭はこんな感じでした。
シーミー祭に行ってみると、若手の皆さんがテントをはったり、飲み物を用意してくれていました。
神戸から来た松葉夫妻は金城家の一員ではありませんが、いつも来ているので皆さんとは顔馴染みになっています。
皆さん、お家で作ったご馳走を持ち寄って、門中のお墓に集まっています。
今日はだいたい60人くらいの金城家の皆さんが集まってきます。
料理は各お家から持ち寄りです。料理をお供えして、それから頂く事になります。
一番最初は金城家の当主である金城正浩さんがウチカビを炊いて、ご先祖様を迎えいれます。
私と金城正浩さん、金城正則さん三人が並んでお迎えをしていると、「三人兄弟だ」と言われて冷やかされます。
今は沢山の金城家一門ですが、前兼久の金城家の始まりは、一組の夫婦から始まっています。
その夫婦から沢山の子どもが生まれ、成人すると伴侶を得て、また子孫を増やし、どんどん金城家の門中は増えていっています。
周りのお墓も皆さんシーミー祭をやっています。
おはぎ、オードブル、魚、いろいろな料理が集まっています。
神戸からもお供えを持ってきました。
ウチカビを炊いてご先祖様を迎え入れる準備ができたら、今度はお墓にの中に向かってお参りです。
このお墓の中は、覗く機会がありませんが、沢山の金城家の一族の骨壺が収まっているそうです。
皆さんが線香を一人ずつお供えして拝みます。
今年は金城正則さんのお家が当番になっているので、金城正則さんが皆さんに向かって挨拶です。
松葉博雄と奧さんが来ている事も紹介してもらいました。
子ども達の姿を見ると、わずか一年で背丈も伸びて、大きくなっています。
清明祭は、中国の文化なので、儒教の教えが色濃く出ていて、男性の席は左側に、女性の席は右側に分かれて座っています。
ここに同席している人は、松葉さん以外は、全員金城さんです。
皆金城さんのなで、名前を呼ぶときには、金城さんとは呼びません。
正浩さんとか、ノリ兄とか、下の名前で呼び合っています。
ご馳走が回ってきました。
昨年まで、私は厚かましくも上席の方に座っていましたが、今年は入り口近くの末席に座るようにして、やや遠慮気味に謹慎しています。
そうすると、門中の長老達から、「松葉さんこっちにおいで」と、声がかかってきます。
何しろ沖縄の人達はお酒が強いので、シーミー祭が始まる前から飲んでいて、ビールから始まり、泡盛に進んでいます。
泡盛も飲むとすぐに注がれて、勧められるまま飲んでいると、足が立たなくなってきます。
濃厚な油ものや、海でとれた魚・蛸、家庭で作ったおにぎりなどが沢山あります。
飲んで食べた後は、だんだん眠くなってきます。
時間がある程度たつと、少しずつ皆さん帰って行きます。
余った料理は、今夜皆さんまたお家で食べれるように持ち帰りです。
お墓のテントから抜け出して、一人お墓の上段に上ってみました。
コンクリートの部分はお墓で、この中には金城家の一族の亡くなった方が眠っています。
どのくらい骨壺があるのか、長老達に聞いてみても、はっきり数えていないので分からないそうです。
シーミー祭は続いています。私と奧さんは、一足先にシーミー祭を抜け出して、ホテルに帰ります。
途中、松田光正さんと、上間光元さんとお会いしました。お二人ともシーミー祭に来ています。
上間光元さんは「蛸もサザエもあるから取りに来なさい」と言ってくれました。太っ腹な方です。
ホテルに戻り、しばらく昼寝をして、また元気が出たので、夕方7時頃、金城家に向かいます。
金城千賀子さんと久し振りにお話です。
残念なことに、さきほどまでクレアちゃんたちが来ていたそうですが、私が金城家に来る時間が遅かったので、ついさっき帰ったそうです。
金城正則さんは、近くの我空我空(ワンカラ)で飲み会があるそうで、金城千賀子さんが電話をして呼び戻してくれました。
一緒に戻ってきたのは、ワンカラ会長の玉城惇博さんです。
思い出したのは、2年前にも、シーミー祭の時に、金城家で玉城惇博さんと一緒に飲みました。
玉城惇博さんは自分の飲み代のお酒を手にとってやってきました。
玉城惇博さんと私の話は、経営者が後進に道を譲ることについて、どうしたらいいかという話です。
玉城惇博さんのところも、中小企業診断士に相談をしながら、後ろにひくように社内体制を作っているそうです。
会長は家族ではなくて、外部から来た方にお願いしたそうですが、それぞれ良い点もあれば悪い点もあって、
後ろから会長として見ていて、悪いところがあれば意見を言いに出て行きたくなるところを、じっと我慢しているそうです。
玉城惇博さんは、沖縄の政治の世界にも人脈が広がっているようで、新聞に名前が出るような有名な方とも親しくされているようです。
いろいろ経営に関する話をして、9時半ごろお開きです。ご馳走様でした。
2017年4月9日(日)