名護市親川の民俗資料博物館に行きました。
民俗資料博物館の館長は、眞嘉比 朝政さんです。一代で、博物館の民俗資料を集めたそうです。 第147回沖縄訪問 (10)
ヤンバルに向かって、松田光正さんとドライブ中です。名護を出て、ヤンバルの方向に行く途中で、民俗資料博物館を見つけました。ここに寄ってみます。
民俗資料博物館では、沖縄の古民具や、民芸品、その他の資料を集めて、展示しています。
これが県立や国立なら、立派な施設に収まるのですが、民間となれば、自費で集め、自費で展示場を作り、自費で保存して、ほんの僅かの入場料を頂くだけです。
民俗資料博物館の入場料は、一人200円です。それも、空箱に自分でお金を入れるシステムで、本当に払っているかどうかは、確認していません。
確かに、古い生活用品が下から上の段まで、積み上げられるように並んでいます。
自転車に木製の冷蔵庫を積んで、アイスケーキを町に売りに来ていた人から、アイスケーキを買った記憶もあります。
お米を一升瓶に入れて、棒で突いて、精米していた頃の古民具です。
仏壇もあれば、土間には竈もあり、このぐらいの狭い空間で、たくさんの家族が、団子になって生活していた光景が目に浮かびます。
趣味の収集は、カメラが沢山ありました。ストロボを使ってフラッシュを焚いていたカメラです。
見て回るうちに、どこかでこんな古民具を展示していて、見たことを思い出します。それは、笠形温泉せせらぎの湯にある、エーモン工業の会長、廣畑良記さんが集めた、古民具です。
沖縄が本土復帰したとき、これからは標準語を使いましょうという運動がありました。学校では、沖縄の方言を使うと、使った生徒には罰として、方言札と書かれた木札を、首から掲げさせられたそうです。
名護湾では、イルカ漁がありました。イルカを船で追い立てて、名護湾の浅瀬に追い込み、みんなでとどめをさして、食料にしていたそうです。
数百頭のイルカの血潮で、名護の海は、赤く染まったと言われています。名護の町では、今は、イルカ漁はしていません。
これは、「石のジーシガーミ」です。説明には、こう書かれていました。
「石灰岩を彫ったタイプのジーシガーミ、なんとも素朴なデザインですね。琉球王国時代から、昭和初期までは、亀甲墓(カーミヌクーバカ)などのお墓の中に遺体を安置し、三年忌の時に洗骨して厨子甕に納めていました。」
こちらは国宝級天龍山 石窟仏教美術です。
小学校や中学校で使った、戦前、戦中、戦後の教科書が手広く集められて、展示されています。
よくぞ、これだけ教科書を集めたものだと思います。紐で保護されているので、教科書をめくることができませんが、貴重な資料であることは伝わってきます。
ランプの収集もありました。電気が無かった時代のランプです。
天上にずらりとランプが吊されて、なかなか壮観です。
奥の方には、レコード盤がありました。小さいのやら、大きいのやら、たくさんのレコード盤です。
一枚一枚、写真に撮りたくなるほど貴重な、戦後すぐの沖縄の生活を写した写真が、たくさんあります。こんな生活をしていたことが、写真を見れば、話で聞くより、具体的に分かります。
民俗資料博物館の館長は、眞嘉比 朝政(まかび ちょうせい)さんです。これだけの資料を、一代で集めたそうです。
眞嘉比 朝政さんは、こちらで休んでいって下さいと、コーヒーをご馳走してくれました。そして、これだけの資料を集めた時の、苦労話を聞かせて頂きました。
2014年6月2日(月)
沖縄語研究会に入って勉強している者です、天秤棒の事を沖縄語では
何と呼ぶのでしょうか?教えて下さい、
貴重な物を保管するのに大変なご負担でしょうね、
敬服致します、2015/05/22 10:08
知名 保様
コメントを頂きまして、有り難う御座いました。
天秤棒の沖縄方言の呼び名につきましては、沖縄の友人に尋ねてみました。
昔は、天秤棒を使って、ヤギの重さを量っていたそうです。
竿秤は『ハカイ』、担ぐは『カタミーン』併せると濁音になり、
『カタミー・バガーヒー』となります。
ただし、地域によって、発音が変わったり、方言が入ってきます。
沖縄の標準語かどうかは分かりません。
松葉博雄