1996年沖縄にて 台風の目:Part2 

昨日の台風は嘘のように静まりかえり、沖縄の恩納村の天気はゆっくりと回復してきました。ホテルの廊下に吹き込んでいた雨と風は少しずつ勢いが治まり、吹き飛ばされそうな暴風は去っていきました。台風が通り過ぎた後は、海は荒れ、砂を舞い上げているため、海水の透明度はとても悪くなっています。

大きな引き潮の力で、少々の水泳の自信がある人でも、波の力にはどうにもなりません。

波に攫われ、沖に引き込まれてしまえば、波に飲まれて一巻の終わりもありえます。そこで、8月13日は波が静まるのを待ちました。天気の回復を待つ間、とても退屈な一日となりました。


 

部屋の中でトランプを4人でしてみたり、お店に行ってレストランで料理を食べながらオリオンビールを飲むような一日となりました。 今回は長女とその友人、それに普段色々とお世話になっているメーカーの担当者の方の4人で来ています。外に出ないので、部屋の中で、なんやらかんやら世代を超えてあれやこれやと学生さんの今どきの話題とか、メーカーさんの苦労話などの話をしました。

この話題の中に台風は当然登場しました。

台風はなぜタイフーンというのか、台風はどうして女性名詞なのか、以前に日本が第二次世界大戦後に一時的にアメリカの占領かにおかれた時、当時の気象庁はアメリカ軍の管理下に置かれ、台風の名前は女性名詞がつけられました。台風は今は発生順に1号から順次2号、3号へと名前がつきますが、アメリカ軍がつけた名前は女性の名前が中心でした。

ちなみに、船の名前も女性名詞になっています。

 


【参考】

・台風の名称に女性の名を使っていたころ:1955年の台風リスト

・アメリカ占領以降の台風の名前のつけ方(「アジア名」というそうです)

・語源には諸説あり ですが、順番としては「typhoon」から「タイフウ」になったようですね。


 

4人で、トランプを退屈しのぎにしました。七並べを繰り返し、繰り返し、プレーして順位を得点表につけ、最終的に1位から4位までを争いました。

一応、戦闘意欲を掻き立てるために一律に寄付金をあおぎ、この寄付金を基金とし、上位の勝者が寄付金をどのように使うかを一任することにしました。

さて、ルールは当然「7」のカードをもらった人は「7」のカードを出します。左右からスタートします。もし「1」のエースが先に出ると大きい数字は「13」からの逆順になります。パスは3回まで。たとえ親子、友人、取引先であっても、同情はしない、談合はしない、というフェアプレーでおこなわれました。

ブツブツと「これ止めとかないかんし、これを先に出しとこうか、パスにしとこうか。」と、言ってる独り言を真に受けてはいけません。これも罠であるかもしれないのです。相手の顔を見ながら何を隠しているのか、真相はなんなのか、を探りながら勝者へ向かって一枚一枚のカードを正しく意思決定を繰り返していきました。

トランプは東洋から始まり、インドを経由しヨーロッパに渡り、そこから洗練され現在の形に発展したようです。これは、モンゴル帝国がヨーロッパに攻め入り、東洋の文化を西洋に伝え、西洋の文化を東洋に持ち帰った時期に近いと思います。

この頃は、マルコ=ポーロも東洋に訪れ、西と東の交流が徐々に始まっていますが、何しろ、道中は長く、時間はたっぷりあり、船の中でも陸路でも何かカードでもして賭け事で気を紛らわしたり、払った給料をいかさまで巻き上げるぐらいの悪巧みはあったのではないでしょうか。

長い接戦の末、勝負は私の負けです。

寄付金をしっかりお支払いし、これを元手にまた夜にはおいしい料理とオリオンビールをしっかり四人でいただきました。

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