出石皿そば 湖月堂 内堀店 出石そばの食べ方には「お節介・食べ方指南」があります。「挽き立て、打ち立て、湯がき立て」伝統のそばの三立てがあります

 

出石皿そば湖月堂 内堀店 出石藩に伝わる 出石そばのお店 出石そばの食べ方 おせっかい指南 但馬へ近隣ツアー(2)

出石そばの食べ方

何気なく食べている手打ちそばですが、

出石そばの食べ方がありました。

美味しい出石そばのお店で、

お節介指南を受けて、納得しました。

併せて、出石がどうしておそばで有名になったのか、

これまで知りませんでしたが、

今回の旅行で分かりました。

出石そば

出石そばの起源

江戸時代の1706年に、

これまでの出石藩主であった松平のお殿様が、

信州上田の仙石のお殿様と、

領地が替わるお国替えになりました。

今なら、転勤です。

出石そば

信州から国替えして来た仙石のお殿様が、

信州そばの職人と一緒に出石に入ってきて、

そばを広めたことが起源となっています。

出石そば

その後、出石焼きも始まって、

小さな小皿にそばを盛りつける、

今の出石そばの様式が確立されました。

出石そば

令和時代の今では、出石は、

約50軒ものそば屋が並ぶ、

関西屈指のそば処として知られています。

出石そば

元々は信州のそばが

兵庫県の但馬に伝わったということがルーツでした。

出石そば

信州信濃のそばなら、全国ブランドで、

それが出石に伝わったのであれば納得しました。

江戸の昔は、稲作が出来ない土地に、

お米の代わりにそばを植えて、

お米の代用食だったのが、

今ではヘルシーと言われて評価が変わったのです。

出石そば

出石のそばのお節介・食べ方指南

出石のそばには、

「お節介・食べ方指南」というのがあります。

出石そば

一、汁をお猪口に注ぎ、つゆの味を味わう

二、まずそばとつゆだけで麺を味わう

三、次に薬味として葱、わさびでさっぱりと頂く

四、山芋、卵で違った美味しさを味わう

五、最後は、そば湯で締めてご馳走様

これが指南です。

出石そば

挽き立て、打ち立て、湯がき立て」という、

伝統のそばの三立てというのがあります。

確かに、三立てでいただくと、出石そばは一層おいしくなります。

出石そば

出石そばは競争のない、どのお店も同じ値段

どこのお店も1人前5皿となっています。

今日のところ、どこのお店も相談したのか、

1人前が1セット850円となっています。

出石そば

1皿と言っても、箸で掴めば、1~2回分です。

5皿では少し足りませんので、お皿を追加して頂きます。

出石そば

そば湯がとても美味しいのです。とてもドロっとして、

そば出汁で割って飲むと、とても美味しいです。

山芋のとろろともよく会います。

何杯食べたのか数えてみると、7杯食べました。

出石そば

出石焼きの小皿が可愛い

小皿には、1枚1枚絵や文字が書いてあります。

「朝起きて生きてるだけで極楽なのよ」と、

なるほどと思うことが書いてありました。

出石そば

おそばをお腹いっぱい味わった後は、少し街を歩きます。

どのお店にもお値段が850円で、

何となく協定価格のように、競争のない値段でした。

今日のそば屋さんは、

辰鼓楼の隣でとても良い場所です。

出石そば

時計台のすぐ下には堀があり、

鯉が口を開けてエサをおねだりしています。

出石そば

辰鼓楼の周りを散策してみます。

辰鼓楼は、明治4年(1871年)に

旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されました。

出石そば

時計台とは思えないほど立派で、

お城の櫓のように見えます。

 

 

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出石は出石そばだけではありません。

辰鼓楼、対面所跡、出石城、家老屋敷、お城まつりなどもあります。但馬へ近隣ツアー(3)

出石そばといえば、出石ですが、

出石はそれだけではありません。

辰鼓楼の周りの散策

辰鼓楼の周りの散策は続きます。

秋の日差しで、とてものどかな景色です。

出石のお天気は、曇りや雨が多く、こんな良い天気に恵まれるのは、珍しいと言われました。

辰鼓楼の周りの散策

辰鼓楼は、場所に寄って、季節によって、時間によって、

随分といろいろと趣きが変わるというお話を聞きました。

誰に聞いたのかと言えば、ガイドさんです。

辰鼓楼の周りの散策

今日は、地元のガイドさんに、出石をガイドしてもらいます。

これまで表面的に見ていた出石が、より深く理解できるようになりました。

辰鼓楼の周りの散策

最初に見たところは、対面所跡です。

これは、出石城の向かいにある御殿ですが、出石城は元々山の裾で日当たりも悪く、

湿気も多く、お殿様は何人も病弱でした。

辰鼓楼の周りの散策

とうとう、これではいけないということになり、

松平の殿様の時に、お城から離れて日当たりの良いところに御殿を移したそうです。

これは正解です。日が当たらないと、健康に悪いのです。

辰鼓楼の周りの散策

対面所を出て、お城に向かいます。

明治の始め、全国にあったお城は、どこもお城の取り壊しにあってしまっています。

今から思うと、もったいないことです。

辰鼓楼の周りの散策

従って、出石城も壊されてしまい、その後昭和43年にやぐらが再建されています。

辰鼓楼の周りの散策

お城に渡る堀も、後から掘り返されたようです。

出石の町は今、町興しを行っています。

「壊すのはもったいない」という考えで、これまであった古い民家を、

何らかの形で街に合うように作り替えて、残しています。

辰鼓楼の周りの散策

映画館だったところは、今では外部を城下町に合うような外形にして、

中ではいろいろな行事ができるようなコミュニティセンターになっています。

町興しの設計は見事なものです。

辰鼓楼の周りの散策

出石の町の民家は、京都の町のように入り口が狭く、奥行きが深くなっています。

それは当時の税金の掛け方が、間口に対して掛けられたからです。

辰鼓楼の周りの散策

出来るだけ税金を安くするために、入り口は狭く、

奥が深くという、うなぎの寝床法になっています。

辰鼓楼の周りの散策

家老屋敷に行きます。

家老屋敷は、裏口から見るのと、玄関から見るのでは、

平屋と2階建ての違いのようになっています。

辰鼓楼の周りの散策

これは、いつか敵に攻め込まれたときの備えだそうです。

とても立派な家老屋敷ですが、これも後から作ったものです。

辰鼓楼の周りの散策

江戸時代の3大お家騒動のひとつに、仙石騒動があります。

辰鼓楼の周りの散策

これは、家老同士が改革派と保守派で争って、

幕府からおとがめを受けて、5万8千石が3万石に厳封された事件です。

辰鼓楼の周りの散策

出石が但馬地方の中心となったのは、

山名一族が領土を広げていき、その中心の居城となったからです。

山名氏と言えば、応仁の乱を起こした山名宗全が有名です。

辰鼓楼の周りの散策

全国66州の6分の1を領有した大名でした。

しかし、京都で応仁の乱を起こして、11年間戦乱の元を作りました。

辰鼓楼の周りの散策

お城に渡るには太鼓橋がありますが、これは市民の寄付で出来た橋だそうです。

辰鼓楼の周りの散策

橋を架けるときの町長が、町の予算で建てる予定が、

町民の寄付金が集まり、5000万円掛けて作られたということです。

辰鼓楼の周りの散策

今まで、この太鼓橋を5000万円とは知らずに渡っていました。

今日は、この橋が5000万円架かったことを知ったので、

傷まないように、5000円万円を踏みつけないように、恐れながら、

もったいなくもゆるりと歩いて、お城に入って行きます。

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2009年10月21日(水)