30年のお付き合い,こっそり 準備して,メニコン執行役国内営業副統括本部長森山久さんの還暦お祝い 

投稿No:8704

30年のお付き合い,メニコン 森山久さん こっそり 準備して還暦お祝い

30年のお付き合い メニコン森山久部長とは 長いお付き合いになりました

メニコンの森山久執行役国内営業副統括本部長が、私の方からの招聘で、

神戸に夏のご挨拶を兼ねてお越しくださいました。

森山さんには、還暦祝いのことは話していません。

なんとなく、恒例の夏の時候挨拶のような感じで来ていただきました。

森山久さんとの出会い

森山久さんと、初めてお会いしたのは、広島営業所でした。

30年ほど前のことですが、当時、コンタクトレンズの低価格競争が、

全国的に広がり始めたので、木曜日の定休日を利用して、

全国主要都市の低価格競争の市場調査をしていました。

広島市にも行きました。

その時、メニコン広島営業所を訪問しました。

30年のお付き合い, 身を挺してキャッチフレーズを隠す

メニコンの広島営業所に入って、事務所を見渡した時のことです。

営業所にメニコンのキャッチフレーズが掲げられていたので、

それを写真に収めようとしたところ、営業所の中から走り出てきた社員さんがいて、

「写真は撮らないでください」と身を挺して、そのキャッチフレーズを隠したのです。

それが、森山久さんです。

何とも印象深い出会いになりました。

30年のお付き合い, 森山久さん、神戸営業所へ転勤

その後、しばらくして、森山さんは広島から、神戸営業所へ転勤になりました。

1995年1月に起きた、阪神淡路大震災のころでした。

わが社の担当として、着任の挨拶に来られた時、

この人、どこかで見たこと有るなぁ、と記憶を思いめぐらすと、

そうそう、広島で私が写真を写そうとした時、

両手を広げて、カメラの前に立って、撮影を制した人だと、思い出しました。

写真を制した時の写真もあります。

この時の人ですね、と思い出して、二人で大笑いしました。

森山さんが神戸営業所に転勤してこられた時は、わが社は震災復興の真っ最中でした。

全国展開をしている、量販店が神戸三宮市場に参入してきたころです。

どのようにして対抗するべきか、相談に乗ってもらいました。

このように、阪神淡路大震災の復興の際には大変ご尽力いただきました。

 

30年のお付き合い,取引先の担当社員が出世していくのは嬉しいものです。

森山さんはこれまでの、我が社のメニコン担当者の中で一番の出世頭です。

わが社を担当したメニコン社員で、執行役員にまで上り詰めたのは、森山さんが初めてです。

ひたむきな努力と営業センスの賜物と思います。

お付き合いの長さと、森山さんが還暦を迎えられたことを

思うと、時の流れを感じて感慨深いものがあります。

このたびは還暦おめでとうございました。

森山さんはどうして、役員になれたのですか

お祝いに、奥さんお手製のパッションフルーツゼリーに夏のフルーツを

飾った、夏らしい爽やかなスイーツを振舞いました。

お菓子とお茶をいただきながら、思い出話が弾みました。

私からの質問は、森山さんは、どうして役員になれたのですか?と核心を突く質問です。

森山さんは、さあ?と考え込んでいました。

なかなか、答えにくい質問でした。

私の想像では、森山さんはバランスが取れている人だと思います。

感情を強く表に出しません。

かといって、相手の言いなりになる人ではありません。

部下からも慕われていて、余り激しく部下を責めることもないようです。

信念は曲げないけど、温厚な人柄が評価されたのでしょうか。


さて、ここで少し思い出話です。

30年のお付き合い,経営談義 経営戦略論のお勉強会 神戸吉兆で、メニコンの森山久本部長と、九鬼真之副本部長の昇進祝をしました。 

経営談義 経営戦略論のお勉強会のきっかけは昇進祝賀会

メニコンの森山久国内営業本部長と九鬼真之副本部長の、

お二人の昇進を祝って、神戸吉兆で食事会です。

同席するのは、メニコンの安部優さんと菊川紀幸さんです。

森山久さんと九鬼真之さんは、阪神淡路大震災の頃と、その後の神戸営業所で我が社を担当して頂いていました。

もう30年近いお付き合いで、我が社を担当して頂いていた方が昇進することはとても嬉しく思います。

今夜の食事会の場所は、神戸大丸の近くにある「神戸吉兆」です。

今夜は、昇進祝いだけでなく、経営に関する松葉塾を併せて行っています。

何しろ重責になればなるほど経営知識は必要なので、いろいろな取引先の方と

経営談義になったとき、会話が対応できるようにという気持ちで応援です。

長年のお付き合いなので、上着は脱いで胸襟を開いて、事例話を交えながらの経営談義です。

経営談義 経営戦略論の知識は大学院で

神戸商科大学(現 兵庫県立大学)大学院、大阪府立大学大学院、

大阪市立大学大学院で研究した経営学や、マーケティング論、組織論、

競争戦略論などを話しながらの会食です。

経営談義 経営戦略論 ①問題意識をもって考える

何か疑問があったら、なぜ?を自問自答してみて、一度答えが出たら、

更にその答えに対して、もう一度、なぜ?と、さらに深堀してみる、

そしてもう一度答えを出してみて、その答えに対してまた、なぜ?と考えて、

三回なぜ?を繰り返してみれば、段々問題の本質が出てきます。

経営談義 経営戦略論 ②問題解決に対して、仮説を立ててみる

何か問題を見つければ、それに対する解決方法として、

こうすれば良いのではないかと仮説を考えて、仮説の通りに問題解決にあたります。

そして一定期間が過ぎると、その仮説は正しかったかどうか検証してみる癖をつけます。

経営談義 経営戦略論 ③モチベーションを上げるために、インセンティブを活用する

小さな目標でも大きな目標でも、ゴールを決めて、そのゴールに向かって皆が進むようにする為には、

途中の課程で結果に対するインセンティブを

用意していれば、長期的な計画でも参加者を励ます事ができます。

因みに、こんな内容の話だけでなく、公表できない経営の話もしています。

経営談義 経営戦略論のお勉強

戦略は相手に読まれては戦略にならないので、戦略を策定するときは

秘密にして、戦略の内容を公表することはできません。

戦略を知っているのは、戦略を策定した本人とか一部の人たちです。

そこで戦略はマル秘扱いとなります。

だんだん話は熱を帯びてきて、もっともっと知らなかった経営に関する話を

期待していますが、短い時間で出来る経営談義はこのくらいです。

経営談義 仮説を立てて、検証してみると

神戸吉兆の個室に入った瞬間から、私はくしゃみが続きました。

あまりにもくしゃみが何度も出るので、これは何かアレルギーではないか?と仮説をします。

では、アレルギーの元はなんでしょう?

もう、花粉症の時期は終わっています。

お料理はまだ食べていません。

なのにくしゃみが続くのは、この部屋にある何かが

抗原抗体反応を起こしているのではないかと思い、見回してみると、

床の間に花が生けられています。

ひょっとすると、この花から出る花粉かもしれません。

お店の方に尋ねると、この花はユキノシタ科の随菜(ズイナ)です。

随菜がくしゃみの原因ではないないかと仮説して、これを検証しようとすれば、

随菜を外せばくしゃみが止まるはずです。

確かにエアコンの流れを変えると、随菜の花粉流れも変わり、くしゃみは止まりました。

これが今日話した、仮説検証型の論理展開です。

30年のお付き合い,経営談義 昇進すれば責任が重くなる

森山久さんも九鬼真之さんも、しばらくは全国の主要取引先に挨拶回りが続くそうです。

名古屋本社を中心とした全国の得意先回りは、新幹線を使ったり、

飛行機を使ったり、車を使ったりで、その移動時間が大変なようです。

当然外泊も多くなり、外食も多くなり、体調管理もしっかり気を付けなければ、

メニコンの屋台骨を背負っているので職務遂行は難しくなります。

森山久さんも九鬼真之さんも、神戸営業所からの顔馴染みで、

大阪営業所でも一緒に仕事をしていたので、気心が通じていて

コンビとしてはとても良いコンビだと思います。

約2時間半の食事会兼経営勉強会は、楽しく終わりました。

神戸吉兆を出るとき、神戸吉兆の若主人平野誠人さんがご挨拶に出てこられました。

大変美味しいお料理だったので、こちらからも美味しかったですと

お礼を申し上げ、また来させてもらいますと言ってお店を出ました。

今日は昔話がよく出ました。

我が社とメニコン社は45年のお付き合いなので、幹部社員の皆さんの名前は

昔話の中にどんどん出てきます。

不思議な事に、忘れていた人の名前までが自然にすーっと名前が

思い浮かぶのには、自分自身でも驚くくらいです。

経営戦略 関連記事 アーカイブ年5月15日(日)

 

30年のお付き合い,森山久さんとは、阪神淡路大震災の復興の頃から、店舗経営のお手伝いをしてもらっています。

メニコン 森山久営業本部長 採用もお手伝いいただきました

毎年お盆の頃と年末の頃には、メニコンから時候の挨拶に重役が来られます。

時候の挨拶が中心で、日本的風習です。

2018年の重役挨拶は、馴染みの深い森山久取締役です。

森山久さんとは、神戸営業所があった時代からのお付き合いで、

1995年の阪神淡路大震災の復興の時にはひとかたならぬご尽力を賜りました。

奧さんは自宅で作ったパッションフルーツゼリーを森山久さんと

安部優さんの為に持って来ています。

メニコンの営業本部長は、激務の仕事です。

何しろ、全国のメニコン取引先を訪問するので、出張やホテル泊まりが多いそうです。

これまで営業本部長を務めた人は、任期中はとても激務だったと言われています。

森山久さんは、我が社が震災復興期の頃、会社再建の為にあれやこれや、

一つの会社を作るほどの大変な時代を知っているので、その頃の話をすると話が弾みます。

例えば、求職の為の会社説明会に参加したときは、森山久さんにも

付いていってもらい、面接を一緒にしたことがあります。

森山久さんと一緒に面接をして、お互いに今の方は採用するか見送るか、

サインを決めてその場で即決して、話を進めた想い出があります。

不思議と、森山久さんが指で○を作った方と、私の採用レベルと、思った方が一致していました。

森山久さんは全国を回っているので、いろいろな業界情報をご存知です。

最近の話題は、外資系2社の値上げの問題です。

特にシェアの大きい会社の値上げはユーザーに与える影響が大きく、

この機会に安いレンズに乗り換えようとするユーザーが増えているようです。

驚く話や知らなかった話、もっともっと知りたい話が出てきましたが、詳しい事は書けません。

メニコンの古くから付き合いのある大手取引先は、大体の経営者と私も会っています。

顔を合わせて一緒に話をしたり食事をすると、段々と情が移ってきます。

各地で激安店と戦っているメニコンのメルスプランの加盟店は、

応援したくなります。

加盟店の相互訪問もかなり進んで、一軒一軒の市場環境も話をすれば浮かんできます。

外資系企業が販売している使い捨てレンズを中心にビジネスを進めている販売店とは、ほとんど交流する機会がありません。

これは、メーカーもこのような機会を作る事をしていません。

森山久さんからは、メニコンの社員の方々の消息も聞く事も出来ました。

48年もメニコンと取引関係が続いているので、入社した人が定年退職で

会社を去っていった方も居られます。

メニコンの田中英成社長と田中恭一会長は、他の会社のように

交替する事がないので、長い関係が今後も続きます。

30年のお付き合い,メニコンの森山久営業本部長が年末のご挨拶に来られました。

30年のお付き合い,年末の挨拶訪問

メニコンの執行役員森山久営業統括部長が年末の挨拶に来られました。

一緒に来られたのは、大阪営業所の安部優部長です。

メニコンとの取引の始まり

メニコンとの取引の始まりは、1971年に会社を設立したときからです。

詳しく言えば、会社を設立する前、コンタクトレンズの事業を始めた創業の時からの付き合いです。

私がコンタクトレンズを神戸三宮さんプラザビルで販売を始めた48年前は、ハードレンズだけの時代でした。

どこのハードレンズメーカーと取引をするか、創業の前に考えました。

複数の候補の会社があったので、どこの会社と取引すればいいのか、

相手先の営業所に出向き、営業所の責任者の方に直接お会いして、

メーカーとしての考えを尋ねました。

メニコンの大阪営業所を訪ねたとき、その時はまだ社名はメニコンでなく、

東洋コンタクトレンズでした。

東洋コンタクトレンズ大阪営業所訪問

東洋コンタクトレンズ大阪営業所の所長は塚本弘昭さんでした。

20代の若かった私に、塚本弘昭所長は懇切丁寧にコンタクトレンズの販売について、

初歩的な知識を教えてくれました。

我が社と私を支えてくれたメニコンの社員

メニコンと取引が始まり48年になりますがその間、我が社の担当となって、

我が社と私を支えてくれたメニコンの社員の方が随分沢山いらっしゃいます。

30年のお付き合い,森山久さんが担当社員だったころ

阪神淡路大震災のあと、復興期のころ担当していただいたのが今日の森山久さんです。

当時、メニコン神戸営業所があった頃です。

森山久さんとの思い出も、深いものがあります。

阪神淡路大震災が1月17日に起きて、その後9月にはさんプラザビルが

応急修理を終えて、再びビルの使用が始まった時のことです。

震災の後、傷ついた三宮地区のコンタクトレンズ販売店に対して、

全国からチェーン店が押し寄せてきて価格競争が始まりました。

このとき頃の担当が森山久さんだったので、森山さんと押し寄せる

ライバルに対してどのようにして戦うか、連日のように協議しました。

松葉社長から言われたこと

その時の事を今日、森山久さんが思い出として話してくれました。

松葉社長に言われたことは、3つです。

震災復興に対して、

一つはメニコンからお金を引き出してくること

二つは我が社がライバルとどのように戦ったらいいのか、知恵を出すこと

三つは、お金も知恵も無ければ、体で働くこと

このように私から言われたことを今でも覚えているようです。

ではどうしたのですか?という質問に足して、森山久さんは

お金も知恵も出なかったので身体で協力しましたと言ったので、

聞いている皆さんは大笑いしました。

しかし本当は、お金も、知恵も、身体でも、かなりの支援をしていただきました。

震災のキズはとても重く、メニコンからの有難い支援があっても

復興に関しては厳しいものがありました。

何しろ、復興には何億円もの資金が必要だったので仕方のないことでした。

こちらを立てればあちらが立たず

知恵を出すという方法には、少し矛盾がありました。

各コンタクトレンズメーカーは、我が社だけでなく我が社を攻める

ライバル企業とも取引関係があったので、我が社だけを支援することが

ライバル企業から反発が起きることにもなりかねないからです。

あのとき私が矛盾を感じたのは、各メーカーは市場間競争を繰り広げる

各ライバル企業に対して、商品供給を続けていました。

A社・B社・C社・D社・E社が同じ地域で戦っていたとすると、

レンズメーカーはA・B・C・D・E各社にレンズを供給して

いるのですから、メーカーにとってみれば戦いは大きく激しくなるほど

メーカー側は売上げが上がるという構図です。

震災から23年経って今でもこの構図は続いています。

矛盾の解決としての経営戦略

しかし、メニコンだけはこの構図から抜け出す経営戦略を考えつきました。

それが定額会員制のメルスプランです。

メルスプランは、加盟店をメニコンの経営理念に沿った販売店だけに限っています。

闇雲に低価格訴求をしていると、業界全体が疲弊するからです。

もちろん、ユーザーである購入者も品質の高いサービスを

受けられなくなるので、低価格訴求の競争はユーザーにもデメリットが跳ね返ってきます。

顧客満足を高めるQC運動

こんな話をしている時に、西村屋で働いていた仲居の和田さんの事を思い出しました。

和田さんの話はこちらを読んで下さい≫

和田さんが教えてくれたことは、顧客サービス向上の勉強をしていると、

お客様が喜んでくれることが自分にも伝わって来て、

自分自身も従業員満足を感じたという話でした。

メニコンの森山さんも、顧客満足を追求しているうちに、

顧客が喜んでくれることが自分自身の仕事のやりがいと感じるようになったそうです。

まさに顧客満足向上は従業員満足に繋がることを実感しました。

2018年12月19日(水)

今日にもどります

30年のお付き合い,メニコン 森山久営業本部長 変わらぬ顧客への思いと理念

長いお付き合いの中で色々なことがありましたが、

お顔を拝見しながら話をしているとどんどんそれらのことが思い出されます。

メルスプランが始まって、さらに安定したお付き合いになりました。

メニコンさんは、コンタクトレンズユーザーに常に安全で快適に

コンタクトレンズを利用していただけるようなシステムを作りました。

その考え方の根本にあるのは、我が社の理念にも通じているものです。

眼疾患を予防し、快適な見え具合のための視力矯正を行い、

正しくコンタクトレンズを使用していただく。

これからもこの理念のもと、長いお付き合いが続いていけば嬉しいと思います。

森山久さん 関連記事 アーカイブ

2020年7月31日(金)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください