久高島を大切にする島人が、島の自然物は持ち出し不可としている 久高島 離島の思い出(2)通巻

投稿No:8614

島を大切にする島人が、客人を泊める離島宿泊:久高島宿泊交流館には久高島の歴史資料館があります。久高島にはハブはいません。

島を大切にする島人たち 久高島

久高島へ行くまでに、久高島で守る心得を読みました。

久高島は、島を大切にしているので、

島の自然物を持ち出してはいけないそうです。

久高島では、島の土地さえ、

個人所有になっていません、村の物です。

離島宿泊をします。久高島に渡る船は、

小さい船で、フェリーボートですが、

積載できる車は、わずか4台です。14時15分出発です。

久高島は日差しが強いので、

安座真港の売店で麦わら帽子を買いました。1050円です。

同行の片山正喜さんの愛犬、リーも一緒に離島宿泊です。

波も穏やかで、船酔いすることはありません。

船は、知念半島から久高島に進みます。

途中の海には、わずかな緑と、

白い砂浜が広がる、無人島を横に見て進みます。

若い女性だけのグループが、何組か乗り合わせています。

モデルになったような気持ちになるのか、

デッキの一番後ろの方で、写真を撮りあいっこしています。

25分ほどの乗船で、久高港に入ってきました。

島を大切にする島人たち 久高島上陸

久高島に上陸するのは、これで何回目でしょうか?

久高島に上陸すると、迎えに来てくれた

内間 豊さんと、初めての顔合わせをします。

内間 豊さんの車に、乗せてもらって、

久高島宿泊交流館に入って、離島宿泊の為に進んで行きます。

片山正喜さんの友達の、内間(うちま)豊さんが、

離島宿泊の案内をしてくれます。

この久高島宿泊交流館は、久高町が久高の村でつくって、

そして民間NPOが運営しているそうです。

飲食、宿泊、会議やコンサートに使える多目的ホール、

久高島民族資料室もあります。

高島宿泊交流館の宿泊は、一拍3500円素泊まりです。

キッチンや、シャワールーム、

会議場など色々な設備がありますが、テレビはありません。

テレビの代わりにあるのは、久高島のビデオだそうです。

これも離島宿泊の醍醐味です。

久高島に来る前に、

人工衛星でとった写真を見ると、久高島では島の周りに、

一本の白い線がありました。

これはいったい何だろうかと、実際に見てみたいと思っています。

人工衛星から見える、一本の白い線とは、なんでしょうか?

離島宿泊生活が始まりました。

高島宿泊交流館から、自転車を借りて、

島を一周します、自転車は一時間300円です。

片山正喜さんと二人で、自転車で島を一周することにしました。

リーは、片山正喜さんの後ろを着いて走ります。

炎天下の下で、灼熱に焼けた舗装道路を、

リーは、毛皮を着て走るのですから、息もあがり、

暑苦しそうで、同情してしまいます。25日(水)


島を大切にする島、久高島といえば、植物の宝庫です。 久高島には大きなガジュマロ、久高島には大きな女郎蜘蛛、久高島にはビロウジュの木に目がいきます。

島を大切にする島 久高島は自然の宝庫です。

久高島は「神の島」と呼ばれる島です。

沖縄県知念村にある離島で、

周囲約8キロメートルほどの、南北に細長い島です。

島の北側は神の領域とされており、

集落は南端のわずかな所に集中 しています。

島を大切にする島 久高島は神の島です

神の島と呼ばれるだけあり、

自転車で離島検索に回っていると、拝所が所々にあり、

立ち入り禁止の看板がたっています。何カ所もあります。

見てみたいけど、島に入る約束を守って、

ここまでしか行く事ができません。

琉球の祖神「アマミキヨ」が初めて降り立った場所、

そして、五穀が初めてもたらされた場所とされ、

数多くの神話が祭りの中で伝えられています。

久高島の、主な生業は漁業になります。

近頃では、民宿など観光業、海産物加工業、牧畜も行われています。

現在漁業を生業とする方は、

本島側を拠点としている方が多いそうです。

リーはこの離島検索はしんどそうです。

片山正喜さんの後ろを散歩していて、

しんどそうに「ハアハア」と言っています。

途中で、片山正喜さんの荷台に乗せてもらっていました。

離島検索の途中、ロマンスロードという案内を見つけました。

久高島で数少ない、整備された場所で、白い遊歩道が続いています。

何がロマンスロードなのか、

実際にまわって見ると、意味がわかりました。

ロマンスロードからは、本島の知念岬、中城湾の向こうにうるま市、

津堅島などがパノラマ状に広がっています。

男女が二人一緒に、こんな景色を見ながら、歩くと、話も弾み、

ロマンスもきっと生まれるだろうと言う、舞台設定になっています。

この道から、ビーチに降りる場所もあり、

確かにロマンチックなムードに浸ることができそうな場所です。

遊歩道は細く、離島検索用の自転車を停めて歩いて見て回ります。

やはりいました。そう若くはありませんが、男女二人が、展望台の近くで、

なんだか親しそうに話をしていました。

ロマンス進行中でしょうか?

久高島の植物

久高島には、いろんな植物が手つかずで残っています。

整備していない、人の手を加えずに、残しているのは、久高島では、

立派な信仰のための建物をたてるのではなく、

自然そのものを信仰の対象としているからだそうです。

先祖の魂がとどまると場所として、大切にされています。

離島検索ではいろいろな事に気づかされます。

手つかずの場所が沢山あるので、女郎蜘蛛もたくさんいます。

神戸で見るような蜘蛛と違って、

誰にも邪魔されずに暮らしているのですから、

野性的で大きな女郎蜘蛛です。

ガジュマロの大きな木を見つけて、離島検索の中、木陰で少し休んでいると、
蚊がよってきます。

久高島には、農業のために水を溜める、

貯水用のバケツ、ドラム、桶などが、

たくさんあって、その水たまりに、

ボウフラが沸いて、蚊がたくさんいます。

久高島は植物の宝庫

久高島は植物の宝庫でもあります。

カベールの植物集落、イシキ浜の植物群落を、見て回ります。

所々に、案内用の看板がたっていて、

植物や、土地の解説をしてあります。

久高島の離島検索で、植物を見ていて思うのは、

どれも大きく緑が濃く青々としていることです。

この島の植物は、

とても元気で生命力にあふれていると思いました。

離島検索で自転車で島を一周するのは、1時間もかかりません。

離島検索の途中で行き交う人たちは、

やはり久高島に渡るときに一緒に乗船した人たちでした。

船の中では、言葉は交わさなくても、

離島検索の中、自然の中ですれ違うと、

自然に「こんにちは」の声がでています。月25日(水)


島を大切にする島人が 久高島のイシキ(伊敷)浜で生まれた、ウミガメが戻ってくるように、私もイシキ(伊敷)浜に思い出を追いかけて、戻ってきました。

久高島を自転車で回ると

久高島は、こんな所に来たかった、

と思うようなまっすぐ伸びたみはらしの良い道が続きます。

自転車でイシキ(伊敷)浜を目指します。

移動は自転車です。

時折、自転車を降りて写真を撮りながら進みます。

なぜイシキ(伊敷)浜を目指すのか、

それは、長女と一緒に来た思い出、

長男と一緒に泳いだ思い出などがあるからです。

ここにもアメリカ軍が、放出した軍事物資が、残されてありました。

飛行機の部品を使って、カヌーを造っています。

イシキ(伊敷)浜の入り口には、

祭事用の整えられたスペースがあります。

久高島 イシキ(伊敷)浜

細い道を下っていくと、イシキ(伊敷)浜です。

子どもたちを連れてきた、懐かしい場所です。

ここにも拝所があります。

イシキ(伊敷)浜は聖域なので、汚すことは厳禁です。

遊泳も、できたら控えめにすることをお勧めします。

頭の中にあった思い出が、よみがえってきます。

確かにここで、子供たちと遊びました。

イシキ(伊敷)浜の砂浜の砂粒は細かく、

砂時計ができるほどの目の細かい砂です。

砂浜の色は白く、輝く太陽の光を反射して、輝いています。

島を大切にする島人が 礼拝所を示す御先

少し残った記憶は、現実に目の前にある、礼拝所を示す小さな柱に、

「御先」と書いてある文字を読んで、

記憶が正しかったことを確認しました。

イシキ(伊敷)浜は神話があります。

イシキ(伊敷)浜に五穀が入った壷が流れてきて、

それから久高島、沖縄本島へと穀物が広まったとされる伝説の場所です。

道をおりると拝所があり、海岸には祭祀用の整えられた場所があります。

捧げ物を置くためのような、台もあります。

海の向こうから、この島へ恵がもたらされたことへの感謝を捧げるのです。

久高島の浜辺には 恐竜の卵みたいな

イシキ(伊敷)浜には久高島の白い、ダチョウの卵か、鶏の卵か、

それとも恐竜の卵なのか、なんとなく卵と思うような、

大小様々な丸い、楕円の形の白い石が散らばっています。

柔らかい岩が、海から押し寄せる波に洗われ、

数千年か、数万年かけて丸くなった石です。

柔らかい丸い石とは、浜辺に打ち上げられた珊瑚石です。

沖縄の他の浜辺では見られない、整った形の石です。

久高島の石は、島外へ持ち出し禁止です。

持って帰ってはいけません。

ここから、海の向こうのニライカナイを拝むところです。

こんな所に来たかった、と叫びたくなるような美しさです。

植物が豊富です。浜をあちこち見て回りました。

久高島には、たち浜、ぴざ浜、めーぎ浜と数カ所浜がありますが、

イシキ(伊敷)浜が一番いいです。

久高島の、直射日光は、クラクラとするほど、暑いはずです。

梅雨明けから続く酷暑で、暑さに慣れてしまって、久高島の直射日光が、

以前程くらっと来ませんでした。

久高島の郷土料理の店

島を自転車で一周すると、心地よい疲労感があり、

のども渇き、ビールもいいけど、

かき氷の方がいいということになり、

島では港の方が、お店が固まっているので、

港の方に移動しました。

徳仁港の方にいくと、郷土料理のお店があります。

一番近くのお店で、かき氷を食べました。250円です。

炎天下のかき氷は、乾いた喉を癒してくれます。

炎天下のかき氷は、上昇した体温を下げてくれます。

炎天下のかき氷は、お金があれば涼しさが買えることを、実感させてくれます。

ちょっと一言言えば、

もう少しイチゴの濃度が濃い方がいいと思いました。

薄めすぎです。

 

久高島土地憲章 島の生き物は、神の作ったものです。

久高島は土地が総有制、個人の持ち物ではない

島の猫と遭遇しました。島の猫は、

島の生き物で、神の作ったものだと思います。

久高島は土地が総有制、個人の持ち物ではない為に外部の資本が、

入ることができないのだそうです。

久高島は、この制度を残せるように、

久高島土地憲章を制定して守っています。

ネコ 画像

根底にあるのは、天、地、海を

大切なものとして守っている、島の伝統です。

ネコ 画像

島民は字から土地を借りて、家を建て、畑を耕します。

久高島の土地は 字の共有財産、

個人には使用権が与えられるのです。

ネコ 画像

そうした制度のを守り続けることで、

久高島は昔ながらの姿をずっと、
とどめ続けています。

ネコ 画像

久高島には猫がいっぱい

今回も、久高島の、気位の高いネコの姿を見た、

散歩中、久高島のネコを探しています。

松葉博雄の、追想のネコは、街にいるような、

ずんぐりむっくりなネコではないのです。

野生の、気品が残った、なんとなく近寄りがたい、

爪を隠した久高島のネコなのです。

ネコ 画像

久高島追想は、イシキ浜だけではありません。

イシキ浜の近くに、凜としてただずんでいるネコの姿が、

強く残像に残っています。

安っぽい男の誘いには、ツンとするような、

近寄りがたい、近づくと、睨まれそうな、

やや気品のあるネコの姿です。

ネコ 画像

それでも、なんとなく近づきがたい、でも近づきたい、

爪を隠した島の猫を撮影出来ました。

ネコ 画像

思いは叶い、港の近くで松葉博雄の追想に近い、

久高島のネコに出会いました。

ネコ 画像

写真撮影の希望としては、フクギの木陰で、周りを見渡すような、

凜とした姿を撮りたかったのですが、しばらくついて歩いたものの、

思うような写真構図が撮れませんでした。

ネコ 画像

ネコ 画像

 

島を大切に守る久高島伝説です、秦の始皇帝の時代、長寿の薬を求めるように、家来の徐福に、東方に行って、いつまでも長生きできるような長寿の薬を探してこい、見つかるまで帰って来るなと、命令を受けて、旅に出ています。

島を大切に守る久高島伝説

久高島の人口維持の話題です。久高島が養える人口は、

200-300人の範囲です。

男の人たちは船に乗り、久高島を離れ、

魚を追いかけたり、貿易に携わったり、

近隣の島に仕事を求めて、久高島の外に出て行っています。

黒猫チャン 島のレストラン「とくじん」から、

交流センターに戻って、8時半頃一杯やります。

片山正喜さんが持参してきた、お酒です。

本土から久高島に来た学生が、10日ほど前から、

久高島宿泊交流所に居着いているそうです。

体育館のような広いところの、講堂の隅の所に集まって、大学生も仲間に入れて、

それから内間豊さん、片山正喜さん、松葉博雄の4人で飲みます。

内間豊さんが、酒盛り用に刺身を買ってきてくれました。

片山正喜さんと内間 豊さんは昔、

一緒に仕事をしていたことがあり、35年ぶりの再会です。

気になるのは、今夜が満月であることです。

久高島には、月を隠す灯がないので、

月の光が100%見えるはずです。

久高島の神秘

片山正喜さんに、紹介してもらった内間 豊さんは、

南城市の前市会議員さんです。

内間豊さんは、元々海の専門家で、久高島から外へ働きに行き、

何十年かのちに久高島へ帰ってきてからは、

ウミヘビのイラブー漁を復活させました。

このときのお話を聞きました。

久高島の神秘

久高島はなぜ、神の島なのか

飲みながら、だんだんと酔っぱらいながら、

久高島の話に進んで行きます。

久高島はなぜ、神の島なのか、説明を聞きます。

風説では、秦の始皇帝の時代、始皇帝は長寿の薬を求めるように、

家来の徐福に、東方に行って、

いつまでも長生きできるような長寿の薬を探してこい、

見つかるまで帰って来るなと、命令を受けて、旅に出ています。

この、徐福の行き着いた先は、台湾になってみたり、

久高島になっていたりします。

今夜の内間豊さんの話では、

久高島に来たのではないかという説を言っています。

なぜかというと、秦の始皇帝が、五穀米を徐福に与えて、

「不老長寿の薬をもってこい」ということを言っています。

この久高島に、五穀を祀るという習慣があるというのがひとつで、

また、島の史跡に、

赤人(あかんちゅ)というのを祀る風習があります。

赤人(あかんちゅ)と言うのは、中国人(貴い人)のことです。

これが、徐福ではないかと言うことです。

いきなり、フラッシュをたいたので、

久高島の猫も、目を奪われたように、

ビックリしています。また、交流館に入ります。

今夜は満月なので、月の輝きを見るために、少し外に出てみました。

夕暮れ時に、厚い雲が空を覆い、稲妻が走り、

落雷さえもありそうな空模様でした。

それが、雲が消え、月明かりが見え始め、

道には久高島のネコが、散歩をしています。

久高島の人口維持

どんどん泡盛が減っています。次の話題は、

久高島の人口維持の話題です。

久高島が養える人口は、200-300人の範囲です。

男の人たちは船に乗り、久高島を離れ、

魚を追いかけたり、貿易に携わったり、

近隣の島に仕事を求めて、久高島の外に出て行っています。

島の人口が一定で、何百年の間、島だけの人で、

結婚を繰り返していれば、

いつの間にか、血族結婚が増えてくると言う心配があります。

従って、血族結婚を避けるために、

どういう先人の知恵があったのかという話がありました。

これは、外から近親ではない人の血をいれたのだということですが、

その方法、あるいはそれについての関わりについては、

なかなか真相は難しそうです。

今回の久高島旅行に同行した、片山正喜さんから、

その後、久高島に関する考察の手紙が届きました。

手紙にはこのようなことが書いてあります。(片山正喜さん了承済み)

伝承、現在の風習および地理条件により、

久高島の神域としての仕組みは、

約5000年前に宇宙からの来訪者によりつくられたものである。

【地理的条件】

a.細長い島の中心線に、T字状に伸びる白い道

上空より識別しやすい、滑走路のよう。

b.近くの大きな地(本島)に影響を与えやすいが、

独自性を保てる適度に離れた距離

c.統治しやすい適度な広さと島人口
==================================================
これらの条件により、久高島を宇宙からの基地として選んだ来訪者は、

その秘密を守るため、数々の緻密な規則、

しばりをつくり神秘性をもつ神域を作り上げた。

さらに、この神域の守護者として、

選別した島民を子孫代々までこの規則、

しばりを守る義務を課した。
==================================================
このように緻密につくられたしばりは、

神秘性を増し、時々の権力者にも負けず

宇宙からの基地としての役目を終えた

現在までもしたたかに生き続けている。

神域であるこの島の外部との接触は、

島民が経済的に自立できる最低限の範囲に

おさえなければならない。

現在、一般的にいう開発発展という発想などとんでもない事だ。

外からの訪問者は内地での神社の鳥居をくぐって境内に入るつもりで上陸し、

神域の数々の規則、しばりを知らない間に犯す前に、

なるべく多くのお賽銭をあげて早々に島から立ち去るべきだ。

【結論】

立ち入り禁止の御獄の奥に何が埋まってるのだろう?から始まり

いろんな事を想像させる不思議な雰囲気を持った島である。

宇宙からの基地の役目は本当に終わったのだろうか?

今も、神域を守る人たちがいると言うことは又、

宇宙から来訪するのだろうか?

いつ来る?

久高島の神秘

2010年8月25日(水)

久高島の留学センターでは、街の中学生を久高島に留学生として受入れ、自然を守る大切さを教育しています。 

久高島の留学センター

青少年教育をしてる久高島は、

街の中学生を久高島に留学生として受入れ、

自然を守る大切さを教育しています。

とても良い青少年教育をしているなぁ、と思います。

ハイビスカスが、今日限りの命を惜しんで、

次第にしぼんでいく時に、

月は東からのぼり、ハイビスカスを見送るように輝いてきます。

月の光は、夕日を浴びて、赤く輝いてはじまり、

次第に冷めた青色に変わっていきます。

その頃には、ハイビスカスはすっかり今日一日の命を終えて、

五弁の花びらを絞るように巻いて、静かに枝から離れて行きます。

久高島は神の島である。神から税金をとるのか

久高島は元々、神の島として、沖縄の中でも最も精神的に域の高い、

ステーシャルだと思って来ました。

明治政府になって、地租改正があったときに、

久高島については税を取るということに対して、

「久高島は、神の島である。神から税金をとるのか」

と抗議したところ、租税免除になったということです。

現在でも、租税はごく少額の租税になっています。

日本の神道の総本山は、出雲大社ですが、

出雲大社には毎年神事があって、

もう一つ、イラブー漁と、

日本の古代神道のしめ縄との関わりを聞きました。

久高島の、神を迎える火をたく行事というのが、

かがり火をたく行事が九月の末にあるということです。

これも、調べたら分かると言われました。

聞いてみれば、なるほどと思える構想ですが、

なかなかできないことです。

内間豊さんは南城市の市会議員さんになって、村に泊まる施設だとか、

久高島留学センター、港、

あるいは食事施設を1セットにして、沖縄県に提言し、

地方債を発行してもらい、島民と旅行者が両立できる施設を、

建設したことを聞きました。

久高島留学センターは、街から、

中学生の子供たちを預かり、久高島の自然の中で、

のびのびと自然に溶け込んだ、生活体験を通して、教育をしています。

そして、ウミヘビのイラブーを獲って、それを燻製にして、

神の島のシンボルにし、

イラブー漁を復活させたと言うことを聞きました。

村おこしの方法も聞かせてもらいました。

久高島の今夜は満月 月の浜辺へ行こう

22時半頃まで、酒盛りは続き、

酒盛りが終わった後、今夜は満月なので、

片山正喜さんと自転車に乗って、浜辺に行って月を見ることにします。

久高島には、街灯がありません。

月の明かりが頼りで、それが、満月とはこんなに明るいのかと、思うほど、闇夜を照らしてくれます。

でも、泡盛をたくさんのんで、

足下がふらふらしているので歩行注意です。

浜に出て、砂浜に寝転がって、

東からかなり頭上にあがってきている満月を、

月の光だけで見ています。

海の、潮水は、月の光を反射させ、

島全体を明るくしているように、見えます。

久高島から見る、満月は、本当にキレイな月でした。

月の光がこんなに明るいのかと思うほど、

明るい浜辺で、しばらく見とれていました。

久高島の海や久高島の浜辺、そして久高島の珊瑚礁に生息する、久高島の魚介類、久高島の動植物これらは、一切、久高島から持ち出し禁止です。

うまく撮れるかな、

うまく撮りたいな、と久高島に来て、写真を撮る度に思っています。

久高島の酔っぱらいは、一晩寝ると、正気に戻っています。

朝食は朝8時からです。

本来朝食はついていないのですが、

内間豊さんの計らいで、朝食をいただけることになりました。

久高島 シュノーケリング

素朴な朝食です。ご飯、味噌汁、鮭、だし巻き卵、

漬け物、小皿にひじき煮、お茶です。

久高島 シュノーケリング

今日の、一番の取り組みは、シュノーケリングです。

久高島 シュノーケリング

これから、浜に行き、海に潜る間、リーはお留守番です。

久高島 シュノーケリング

久高島の海と魚

満月の日には、潮の満ち引きは大きくなり、

潮が引いてくると、深い水位も、歩いて遠くまで行けるほど、

水位が下がっています。

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

片山正喜さんと、潮の流れを読み込んで、

どっちの方向に行き、その後どちらの方に流されるかを、

打ち合わせしておきます。

久高島 シュノーケリング

何しろ、海中に入ると、言葉は交わせないし、5mも離れると、

どこに行ったのかわからないくらい、はぐれてしまいます。

久高島 シュノーケリング

シュノーケリングで危険なのは、全体の分析を忘れてしまって、

目の前の魚や、珊瑚に夢中になり、潮の満ち引き、

方向性、海流の流れを、忘れてしまうことです。

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島の、珊瑚礁の群れは、自分を忘れて、

珊瑚に夢中にさせるほどの美しい海です。

久高島 シュノーケリング

足のひれを、ばたばたさせながら、両手には水中カメラを構え、

瞬間に替わっていく、魚の群れを追いかけて行きます。

久高島 シュノーケリング

人が近づくと、警戒して、美しい魚も、

珊瑚礁の穴やくぼみ、岩陰に隠れてしまいます。

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

こんな時に、何か、魚をおびき出す、

美味しいえさがあれば、よってくるのですが、

生憎と、食べ物を持って来ていません。

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

そこで、魚がよってくる、自然の中からえさ作りをします。

ウニや、貝をみつけ、岩でたたいて、外殻を砕いて、

そっと海の底に沈めておくと、警戒しながらも、

小魚からやってきます。

久高島 シュノーケリング

久高島 シュノーケリング

小魚が、えさをついばみ始めると、

少しずつサイズの大きい魚がやってきて、

今までの小魚を威嚇して追い払い、

次は自分が美味しいものを食べようとしています。

久高島 シュノーケリング

この辺は、ビジネスと一緒で、少し上手く行くようになると、

資本を持っている大手がやっってきて、市場を奪ってしまいます。2010年8月26日(木)

 


イソギンチャクとクマノミの共生 久高島の海 

イソギンチャクとクマノミの共生 久高島の海

久高島の海に潜って、イソギンチャクとクマノミの共生の観察です。

思い出すのは、娘の中学時代の夏休みの宿題に自由研究として、

イソギンチャクとクマノミの共生生活の観察記録を手伝いました。

イソギンチャクとクマノミの共生生活

あれから、何年か経ちイソギンチャクとクマノミの共生が、また気になり、

久高島の海に、足ひれをつけ、シュノーケリングをつけて、

移りゆく海の底の景色を見ています。

何度も、久高島の珊瑚礁をシュノーケリングしているので、

当時の海の自然と、

現在の目の前にある自然を、比較してしまいます。

もちろん、10年も前のことや、20年も前のことを、

鮮明に覚えているわけではありません。

覚えているといえるのは、魚がたくさんいたとか、

クマノミとイソギンチャクの共生生活をしている姿に見とれて、

長い時間潮に流されないように、同じ場所にとどまるように、

足ひれで潮水をかきながら、ばたばたしたことです。

久高島のサンゴに白化現象

珊瑚礁の白化現象が、沖縄全体に起きた時期があります。

原因は、海水温度の上昇と言われています。

サンゴの生息地は水深が浅い海なので、水温は上昇しやすいのです。

久高島の海は、海水は澄んでいて、透明度は高い、きれいな海です。

透明度が高いと、先の方までくっきり見えます。

確か、1998年ごろから始まり、2002年には、オニヒトデも大量発生し、

抵抗力の弱い珊瑚の群生は、今はすっかり形が変わっています。

シュノーケリングで見る沖縄の海は、本当に美しいです。

珊瑚は確かに、白く変わっていました。

白くなって、折れたサンゴの枝は、まるで人の骨のように見えます。

サンゴが、かわいそうに思えてきます。

子供のようになって、

霧中で美しい沖縄の海の生き物達を眺めていました。

沖縄の本島でも、沖縄の離島でも、共通して見られるのは、

枝珊瑚が海の底に沈んで、まるで、

人の骨のように見えることです。

その人の骨のように見えた、

木陰から美しい魚たちが泳いでいるのが見えて、

心が穏やかになります。

いつまでも、いつまでも眺めていたい風景です。

枝サンゴにも近づいていってみることにします。

ルリスズメ、コバルトスズメが群れになって泳いでいます。

コバルトスズメは、コバルト色に発色して、とてもきれいで。

コバルトスズメの縄張り意識は強く、

侵入者を見つけると威嚇しています。

水槽でコバルトスズメを飼育してみると、

コバルト色は退化してきます。

自然の海と、水槽のなかでは、体色が違うのです。

久高島でも 枝サンゴはほとんど死滅状態です

以前、子どもたちと来た久高島の豊かな海は、

どうなっているか大変期待していますが、海に入ってみると、

サンゴの白化現象の影響なのか、枝サンゴがほぼ全滅です。

岩のような、大きく成長した珊瑚は生きています。

ひとつの岩のように見えても、魚が隠れられる、

くぼみとか、割れ目があって、

そこに魚はすぐに逃げ込んで行きます。

美しい海からの光を全身に浴びるように、魚は泳いでいます。

さんざん沖縄の海と戯れた後、陸にあがってきました。

久高島の浜辺に吹く風

空気いっぱい沖縄の風がながれています。暖かい、肌に優しい風です。

風にあたり、濡れた体を干します。

美しい時が止まったかのような景色が地上にも広がります。

海の中では虫に刺されないように

シュノーケリングは、顔を海に向けて、

背中を太陽に向けているので、

日焼け止め、紫外線よけのクリームは、首筋に塗っています。

水温が寒くなくても、薄いウェットスーツが必要です。

なにやら訳のわからない、水中の虫に刺されるからです。

何時間、久高島の珊瑚礁を漂流したでしょうか?

片山正喜さんとはぐれないように、子供用の浮き輪に空気を入れ、

浮き輪を白いひもでつなぎ、白いひもの先端は、胴の周りに結び、

松葉博雄がどこに泳いでいるのか、

片山正喜さんからすぐわかるようにしました。

シュノーケリングの後は、海水を洗い流すために、

昨晩泊まった久高島宿泊交流所に戻ります。

移動は、自転車です。安座真港で買った、

ビロウジュの笠が、暑い直射日光を防いでくれます。

 

久高島留学センター

久高島留学センターの前を通っています。

「もしも」と言っても、どうにもならないことですが、

もしも、もう一度中学生に戻れるなら、

松葉博雄も、久高島留学センターに留学して、

久高島で中学時代を過ごしたいものです。

まとめ

イソギンチャクとクマノミの共生を見たくて、

久高島の海に潜ってみると、

地球温暖化の影響や、オニヒトデの異常繁殖の結果、

久高島の美しいサンゴは、

だんだんと死滅していることが分かりました。

イソギンチャクとクマノミの共生が共生できるには、

サンゴ礁が必要です。

イソギンチャクとクマノミは、

サンゴ礁と共生しているとも言えます。

私たちは、地球と共生しているようなものです。

お互いを大切の守らなければ自分だけでは存続できません。


さようなら久高島よさようなら:久高島宿泊交流所は、昔のユースホステルに泊まったような、懐かしさです。

さようなら久高島よさようなら。

久高島 とくじん

久高島の2日目は、朝の10時くらいに海に入って、13時前に海から出て、

久高島宿泊交流館でシャワーを浴びて潮水を流すと、服に着替えます。

直射日光の下で、ぬれた水着を干すと、すぐに乾きます。

久高島宿泊交流館の職員さんに、港まで送ってもらってから、

「とくじん」で食事をします。

久高島宿泊交流館は、泊まりと朝ご飯で3500円でした。

とても安いお値段です。

久高島 とくじん

まるで、昔のユースホステル宿舎に泊まったような感じです。

久高島 とくじん

昔のユースホステルでは、

ペアレンツと称する宿の主人が、教育的な話やら、

教育的な歌を一緒に歌うように、促されて、

それがイヤでユースホステルを使いたくても、

使わない人が多くいました。

久高島 とくじん

交流所には、手書きの久高島を紹介する写真と、

写真のコメントが掲示してあります。

昨夜一緒に、泡盛を飲んだ、内間豊さんが、

イラブーを捕り、燻製にする作業を写真に納めています。

「とくじん」では、お昼の定食を食べます。

この「とくじん」も、内間豊さんが久高島の村おこしに、

作った一連の公共施設の一部です。

非営利法人NPOが運営しています。

お昼の定食は、チャーハンと沖縄蕎麦になっています。

久高島 とくじん

内間豊さんは、これから、子どもたちやお年寄りたちと、

追い込み漁をするようです。

久高島 とくじん

久高島 とくじん

そんな話なら、着替えなくても、あのままの水着で、

追い込み漁について行きたいところです。

久高島 とくじん

久高島 とくじん

とても行きたかったです。

まだまだ名残惜しいのですが、船に乗って帰ります。

久高島 とくじん

久高島 とくじん

食事中に内間豊さんが、最後の見送りにやってきて、

「また、久高島にいらっしゃい」と言ってくれました。

顔見知りの人ができると、来やすくなります。

久高島 とくじん

帰りは、高速船ですから、来た時より60円追加料金がかかり、

来るときの25分が帰る時には15分で、スピーディーに帰ることができました。

水上スキーのような早さで、

知念半島へ久高島から戻ってきました。

ちょっとどんよりした天気です。

帰りに、片山正喜さんがホテルまで送ってくれるということなので、

いつものように金松へ行ってステーキを食べることにしました。

久高島 とくじん

久高島 とくじん

オリオンビールとステーキです。

久高島 とくじん

ここのステーキを食べると、元気になります。

久高島 とくじん

注釈:新型コロナウイルス感染問題で、

沖縄への渡航が制限されているので、沖縄へは行けません。

沖縄に行かないと、心が鎮まらない沖縄病に罹りそうな状況ですが、

沖縄へ行く代わりに、これまでに投稿した

沖縄訪問記から沖縄の思い出をリメイクしました。

久高島 関連記事 アーカイブ 0年8月26日(木)